「真貴、おいしい?」 「――うん」 さっきからずっと、広人が見つめている。狭いダイニングテーブルの向かいの席にいて、頬杖をついて、じっと見ている。 クリスマスのホールケーキを前に、真貴はどうしても焦ってしまう。広人に取り分けたのはほんの一切れで、残り全部をもらった。既に半分ほど胃に納めたが、広人はとっくに食べ終わっている。 「もっとゆっくり食べていいのに」 「ん――」 さっきも同じことを言われた。もごもごと答え、真貴は顔が熱くなる。つい急いで食べてしまうのは、こんなにも近くで広人に見つめられているからだ。 コーヒー、もう、いらないのかな。 ケーキはすっかり片づいているがコーヒーはまだ飲みかけのはずで、一瞬でもいいから自分から目を離してほしかった。 いつのまにかドキドキしている。夕食の買い物に出る広人についていって、スーパーの特設売り場で買ってもらったケーキを食べているだけなのに。 『今日って、クリスマスだったんだ』 店内にはクリスマスソングが流れていたが、真貴はまるで気づかずに、レジの前に山積みになっていたケーキに目を止めて言った。 『こういうの、ひとりで丸ごと食べてみたいとか、思ったことない?』 ふと思い出して言っただけなのに、広人は口元で笑って、一番小さな箱を取り上げた。 『え?』 『いいよ、丸ごと食べてみたいんだろ?』 『広人は?』 『俺は、そんなにケーキ食べられない。全部、真貴のだ』 それで今、こんなことになっている。 普段と変わらない献立の夕食のあとに、これもまた普段と同じように、広人はインスタントコーヒーを、真貴はインスタントココアを淹れてテーブルに戻り、クリスマスケーキの箱を開いた。 真っ白なホイップクリームと真っ赤なイチゴで、デコレーションされた丸いケーキ。 サンタクロースの形をしたろうそくは火をともすこともなくすぐにどかして、チョコレートの小屋もプレートも真貴のものになった。半ば強引に広人にも取り分けてもらったが、八分の一にも満たない量だった。 『食べな』 言われてウキウキとフォークを刺したが、そんなふうにしていられたのは最初のうちだけだった。 気づいてから、広人の眼差しがやさしくて熱い。太い黒ぶちメガネの奥で、ずっと目がやわらかく笑っている。 ……なんで。 口の端にクリームがつくのに、真貴は目を伏せて食べ続ける。イチゴを丸のまま放り込み、もごもごと口を動かす。指にクリームがつけばぺろりと舐めて、ひたすらに食べ進める。 やっと半分。 気が急くのは、広人にじっと見られているからではない。やはり広人の目が普段と違うからだ。 だって――。 たまらなくなる。次第に体の奥が疼くようになって、広人の眼差しの熱がうつったみたいに、じわっと熱くなってくるのだ。 ……しょうがない、よね。 広人と初めて肌を合わせてひとつに繋がったのは、もう半年も前だ。しばらくは、毎晩のようにそうしてきた。広人に素肌で抱かれるとそれだけで言い知れない安堵が湧き上がり、大切でならない相手とひとつに繋がれたなら何にも換えがたい歓びに満たされると、そうなって初めて知った。 あの頃は、広人のやさしさを貪るばかりの嵐のような時期だったと思う。きっと自分の心には器があって、求めれば注がれる繰り返しで、広人が満杯にしてくれたのだと思う。 今は、あの頃ほど欲しくならない。広人といるだけで、広人が身近に感じられるだけで、気持ちがいっぱいになる。あんな時期を過ごしてから、広人の目はいつもやさしくなったから。以前は感情を映さない目に思えていたのに。 でも……。 今は違う。いつものやさしさに別の感情が混ざっている。そんな、熱い眼差し。 何度抱かれたかも覚えていられなくなってからは、体のどこかが触れ合うだけでも、ただ見つめられるだけでも、そのことに気づいた途端、すぐに気持ちのスイッチが切り替わってこんなふうに高揚してしまうようになった。 「どうしたの、真貴? もう食べられない?」 「そ、そういうわけじゃ――」 「そこ。クリームついたまま。口の端」 ゆったりと笑い、頬杖をついたまま広人が手を伸ばしてくる。ドキッとして身構える間もなく、真貴は指先で唇の端を拭われた。 「ひ、ろと……」 「なに? 真貴」 答えるが、広人は身を乗り出してきた。唇の端を拭った手は離れずに真貴の頬をおおう。 「こっちにも、ついてる」 ささやくように言って、広人は真貴の唇の反対側をぺろりと舐めた。 「や……」 生温かく濡れた肉厚の舌になぞられ、真貴はビクッと肩をすくませる。自然と唇が開いて、淡い吐息がこぼれる。 「ん――」 視界の隅に、食べかけのケーキが押しやられるのが映った。広人の手に上向かせられ、唇をふさがれる。ねっとりと入り込んできた舌に口中を舐められ、一段と鼓動が高くなる。 「……あ」 「真貴――」 「な、んで……」 「顔が赤い」 「こ、こんなんじゃ――」 じゃれあうようなキスの合間にささやきを交わされ、真貴は椅子から浮きそうになった。もっとキスが欲しいし、どうしてこんなことになっているのか戸惑う。 「違う。さっきから、ずっとだ」 耳元に移ってきた唇にひっそりと言い当てられ、背筋がゾクッとした。 「ひろと……」 たまらず、広人の腕につかまってしまう。そうしないと広人に倒れてしまうように思う。 「真貴――俺も欲しくなるって、知らなかったはずないよな?」 「あ――」 広人に腕を引かれて立ち上がった。すぐに回り込んできた広人の胸に包まれる。 「確かめ合いたい……好きなんだ」 いきなり、なんで――。 懐かしいような広人の匂いを胸いっぱいに吸い込み、じわりと体温が上がった。 「かわいいよ、真貴……」 それを聞いて、やっとわかった。さっきからの広人の眼差しは、自分を抱くときに見せるものだ。 「広人――」 うれしくて恥ずかしくて、もうどうにもならない。もしかして広人から求められるのは、これが初めてなんじゃないかと思う。 「ボク……」 広人と触れ合っている体中が熱い。足も絡ませて、素肌をさらして、もっともっと広人を感じたくなる。 「ケーキ、丸ごと食べられなかった?」 「そ……そんなの!」 慌てて顔を上げ、広人にすがりつくようにして言った。 「丸ごと広人が感じられるなら――」 「俺がケーキ?」 くすっと冗談めかして笑った顔が、ぐっと胸に迫った。 「そうだよ……広人は甘いもん――」 「俺には真貴が甘い」 それこそ甘いささやきを残し、ふわりと唇が重ねられた。深くなるのはこのあとで、広人に抱かれて満たされる予感に真貴は震える。 「こんなふうに、なっちゃうなんて」 深い吐息を落とし、声をかすれさせて言った。 「これだけでもう、イきそう……」 「真貴」 「ホッとして、ボク――」 いつもと同じスウェット姿の広人の胸をぎゅっとつかんだ。そこに額を押しつけ、大きく息を継いだ。 「広人がとても好きなんだ」 その途端、無言できつく抱きしめられたのが、たまらない幸福だった。 そっと広人に促される。寄り添って、震えそうな足取りで真貴は広人の部屋に入った。 おわり ◆作品一覧に戻る |
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