Words & Emotion   Written by 奥杜レイ

 
 

「フェザータッチ・ニューイヤー」


『あけましておめでとうございます
原稿に向かって新年を迎えられたことと思います。
さらなる飛躍の年の幕開けと、どうぞ、そのようにお受け取りになり、がんばってください。(入稿は20日と聞いています)

郷里にて 弓削里央[ゆげりお]

 そっけない文面に俺はため息をついた。新年のあいさつにすぎない年賀状でも、しっかり[くぎ]を刺すのが弓削くんらしい。さすが、[あめ][むち]を的確に使い分ける元担当と言うべきか。いや、今では恋人である俺にまで、わざわざ年賀状をよこすところが弓削くんらしい。
 そうなんだ……入稿は20日。年末押し迫ってから担当の富樫[とがし]さんにダメだしを食らった俺は、弓削くんの推察どおり、原稿に向かって年を越した。
 〆切まで3週間あろうとも、ペースをつかんでいる時期をのがすと原稿に戻るのが辛くなる。余裕のあるうちに、とことん書き進めておいたほうが何かと都合がいい。
 とは言っても、まさか本当にパソコンのキーボードを[たた]きながら除夜の鐘を聞くことになったとは。ひとり暮らしの身では、おせちも何もあったもんじゃない。一眠りしてからコンビニに行って朝食を調達し、ついでにポストをのぞいたら年賀状が届いていた――そんな経緯で今に至る。
 リビングのラグに座り、ローテーブルでミックスサンドを食べている。熱くてにぎれなかった缶コーヒーは冷めかけている。テレビではお笑い番組が流れている。
 ときおり笑いにどっとわくテレビを横目に年賀状の薄い束を開いていた。高校時代の友人、大学時代の友人、出版社関係、親、そんな差出人の中に弓削くんの名前を見つけたときはドキンと胸が高鳴ったというのに――文面にガックリした。
 ……ほかに書くことなかったのか?
『○日に戻ります』とか『早く会いたいです』とか……『愛してます』とか。
 ――俺って、情けない。とりわけ、弓削くんのこととなるとなおさらだ。
 どこの出版社でも編集者は多忙で、弓削くんに会えるのは土日祝祭日に限られてしまうのは仕方ないとわかっていても、その土日祝祭日に俺に追い込みがかかっていれば会えないわけで、俺の仕事を優先するのは編集者であり俺の小説のファンでもある弓削くんには当然のことなんだろうけど――帰省前の弓削くんに会ったのって――いつだ?
 壁のカレンダーを見る。まだ去年のままだ。そう……23日だった。天皇誕生日。
 また、ため息が出た。
 子どものころは正月が楽しみで、お年玉はもらえるし、いとこたちとスゴロクしたり、コマ回ししたり、凧上げしたりして過ごしたのに。あ、でも、宿題の書初めもしなくちゃならなくて、あれはイヤだったなあ。
 なんてことを高校時代の友人からの年賀状を見て思う。赤ん坊が生まれたと、写真つきで書いてある。弓削くんからの年賀状は一番下に押し込んでしまった。
 何日に帰るのか、書いてあったっていいじゃないか。原稿に向かって年越しした甲斐あって、俺は一段落ついてるんだ。弓削くんの仕事始めは4日だろうし、それまでには帰ってくるんだろうけど、その前に会えるかどうか――。
『せんせ』
 いまだに俺をそう呼ぶ弓削くんが思い出された。シーツに細い黒髪を乱し、ほんのりと頬を上気させて俺を見上げる顔だ。
『せんせ……来て』
 甘えたささやきは、いつだって俺を簡単に燃え上がらせる。終わってから思い返すと、恥ずかしさに赤面してしまうほどに。
『う……ん、いい、せんせ、すご、い』
 そのくせ、弓削くん自身はためらいもなく乱れるにまかせて乱れるから――。
 ……まずい。そんなこと考えちゃ――。
 テレビから流れる笑い声が耳につく。消せばいいのに、消すとなると、なんだかマジでそうするようで、かえって恥ずかしく――。
 俺はもぞもぞとスウェットパンツの中に右手を忍ばせた。ローテーブルに向かったまま。
 テレビに映るタレントに見られているようで気まずい。だけど、実際には俺ひとりしかいない俺の部屋だ。
『あ、ん……ダメ、せんせ』
 細い眉をひそめ、黒髪を散らす弓削くんが目に浮かぶ。美男子と呼ぶにはばからない端正な顔は、どんなに乱れても美しい。
『……そこ……もっと』
 たまらない。自分のものをにぎる手の動きは速くなる。
『やだっ』
 やだ、て――いいくせに。
『ん……一緒に』
 ああ、一緒に、一緒にな――。
「う」
 ……しまった。手に出してしまった。
 身動きの取れない体勢で、左手をぐっと伸ばしてティッシュボックスを引き寄せる。
 なんか……早すぎないか、俺。
 しょうがないじゃないか、久しぶりだったし、弓削くんがあんな顔してあんな声出すから――って、ここにはいないけど。
 右手をごしごしふきながら、なにげに思う。
 これって――『カキ初め』?
 どっと、テレビの中で笑いが起こった。あまりにもくだらないことを思った自分にあきれそうになって、いや待て、これ、次の作品で使えないかと考えてみる。
 ――そうさ、俺はエロ作家だしな。
 ぽいっとティッシュをくずかごに放り投げ、ナイスシュートと胸のうちでつぶやいた。ラグにごろりと横になる。
 窓の外は冬晴れだ。真っ青な空が目に映る。世間の人々は初詣とか年始とかで出かけてんだろうな。家族とか友人とか――恋人とかと。
 ――ピンポーン。
 ほら、隣だかどこだかの呼び鈴が鳴る。このマンション、家族世帯が多いから、年始だろう、親戚とかで集まって楽しい正月を過ごすんだ。
 ――ピンポーン、ピンポン。
 早く出ろよ、客を待たせるんじゃない。
「美園先生? ――出かけてるのかな」
 かすかに聞こえたその声に跳ね起きた。玄関にダッシュする。
「弓削くん!」
 エレベーターに戻りかけていた後ろ姿を呼び止めた。
「先生」
 振り向いた顔にうれしくて泣き出しそうになってしまう。泣きやしないけど。
 駆け戻ってきた弓削くんに聞いてやった。10日ぶりに見る顔だ。
「実家に帰ってたんじゃないのか?」
「今戻ってきました。元日だと、ラッシュにあわなくて済むんです」
 すげない返事にも顔がゆるむ。カジュアルな黒いハーフコートは北国生まれの弓削くんによく似合っていて、つい見とれてしまった。
 大きめのボストンバッグをさげていて、実家から自宅に戻る途中でここに立ち寄ってくれたのは、言われるまでもなく、わかった。
 玄関ドアを閉めると同時に抱きしめてキスを交わした。
「あ……ダメです、先生。今日はこれをお持ちしただけですから」
 腰を引き寄せ密着させる俺に言った。
「帰省みやげと、おせちのおすそ分けです。追い込みで食事の用意もままならないでしょうし、少しでも正月気分を味わっていただこうと思って」
 俺を押し戻すようにして、俺の目の前に紙袋を差し出した。
「今日はこれで失礼します。すみません、執筆のおじゃまをしました」
「どうしてそんなこと言うんだ」
 久しぶりに会えたのに、とは続けられなかった。それを言ってしまったら、会いたかったのは俺だけみたいで――。
「でも」
「原稿は一段落しているんだ」
「――そうなんですか?」
 軽く見開いた目で俺を見る。涼しい目元がかすかに揺らいで笑った。
「よかった」
 原稿を心配してよかったと言ったのか、俺に時間があると知ってよかったと言ったのか――弓削くんが編集者の顔をしているかどうかを探るより早く――。
「……会いたかったです」
 殺し文句を聞かされてしまった。たっぷり3分はかけて、またキスを交わした。玄関の上がり口で。
「おせちは一応、冷蔵庫に入れておきますね、暖房で痛むかもしれませんから」
 言い訳のように言って、弓削くんはキッチンへ向かう。細身の体を背後から抱きしめた。
「……新幹線、車内が暑くて、僕、汗かいちゃったんですけど」
 言われなくてもわかった。首筋をひとなめしたあとだったから。
「シャワー、使わせてもらってもいいですか?」
 冷蔵庫を閉じて言う。
「俺も昨日から風呂入ってないから」
 答えれば、くすりと肩が揺れた。
「先生のほっぺた、ちょっとジョリってします」
 原稿に没頭してしまえばヒゲを剃るのも忘れる俺だ。
「くすぐったい」
 くすくすと笑いながら振り向いた顔をおおって、またキスをした。


「それ、どうしたんですか?」
 湯気にけむるバスルームに入るなり、弓削くんは小声で言った。目線で指し示したのは、小窓の隅に立てかけてある極太の毛筆だ。
「このあいだの正月特集に書き下ろした、あれの題字を書くのに使ったんだ」
「ああ、『恋情』ですね?」
 タイトルは『恋情』と渋いのだけど、コメディだった。悪ノリした富樫さんが俺に題字を書かせるために持ってきた毛筆を、洗って干して忘れてあった。
「あの題字、先生が書いたんですか」
 裸の背を丸めて、おかしそうに弓削くんは笑う。
「……悪いか」
 だから子どものころ、俺は書初めがイヤだったんだ。
 俺は手を伸ばしてその毛筆を取る。返さなくてもいいって富樫さんは言っていた。
「や……何、するんですか?」
 背中を撫で下ろされた感触に弓削くんの声はふるえた。
「ちょっと待って、せんせ――」
 ぞくりと反り返る背中をさらに毛筆で撫で下ろしてやった。
「ん――」
 壁に向かって両手をついて体を支える弓削くんに繰り返す。やわらかな毛先だけを使って、そうっと、くすぐる。
 まだ湯を浴びていない肌は乾いていてもなめらかで、毛筆で撫でていても、その感触が手に伝わるようで興奮した。
 背中だけでなく、長めの髪に隠れたうなじも、とりわけ感じやすい耳の下もくすぐる。
「あ」
 そこが弱いと知っていて、わき腹も撫で下ろした。すーっと、力を入れずに。
「は……っ」
 のけぞった顔をのぞいてやった。――むちゃくちゃ、色っぽい。
「降参か――?」
「いじわる、しないで……下さい」
「習字がヘタなのは生まれつきだ」
「そんなの……味のある題字でしたよ?」
 そう言っても、まだ笑う。
「いじわるとか言ったって、本当はイイんだろ?」
「――いじわる」
 口にきかなくても、アレにきけばわかるんだよ。いや、きかなくても、もう、わかっている――。
 わき腹を撫で下ろした流れで、弓削くんの前に毛筆を回した。しっかり上を向いているそれを先端に向かって撫で上げる。
「筆、濡れちゃったかな?」
「やだっ」
 小さく叫んで、弓削くんはシャワーのコックをひねった。勢いよく、湯が落ちてくる。
 またたくまに、弓削くんも俺も毛筆もびっしょりと濡れてしまった。くるりと振り向き、俺の首にかじりついて弓削くんが濃厚なキスをしかけてきたものだから、俺の手から毛筆は落ちた。
 10日ぶりなんだ。毎日抱いたって、決して飽きない体に俺はたちまち上り詰める。
 弓削くんの顔をおおって水滴の伝い落ちる黒髪をかき上げた。じっくりと見つめたかったその顔を目に焼きつける。情欲に濡れたまっすぐな眼差しに射抜かれる。
「好きだ――きれいだよ」
 ささやきは、意図しなくても口から出てきた。弓削くんの後ろに、おのずと指は伸びてしまう。
 シャワーにぐっしょりと濡れ、俺は弓削くんの前にひざまずく。そうしながら、今度は舌先で肌を撫で下ろした。もちろん、後ろに回した指は深く探りながら。
「は、ん」
 甘ったるいあえぎを頭上に聞いて、濡れた髪にもぐってきた指先を心地よく感じる。硬い屹立をなめまわし、軽く歯でしごく。
「んっ」
 ダンッと、音を立てて弓削くんは壁に背を預けた。それでも俺のしつこさは変わらない。
 ずっと、自分は淡白だと思っていた。官能小説を俺は書き続けてきたけど、それは想像の産物でしかなく、現実の俺がこんなにしつこくなれるなんて、弓削くんを知るまで思ってもみなかったことだ。
「も、ダメ、許して」
 ガクリと[ひざ]が折れ、弓削くんの体はずるずると下がってくる。後ろを探る指を増やして、ぐいと突き上げてやった。
「あ!」
 その瞬間に解放し、唇に深いキスを与えて到達を迎えさせる。きゅっと、きつくしめつけられた指は痛いほどだった。
 弓削くんの放った熱はシャワーに流されていく。俺にしがみつく細い体は降り注ぐ湯よりも熱かった。
「僕にもさせて」
 のぼせそうになるのはシャワーを浴び続けているせいじゃない。狭いバスルームに立ちこめる湯気のせいじゃない。
 まちがいなく、弓削くんは俺よりも上手で、それよりも、バスタブに腰かけて見下ろす弓削くんの眺めがすごくて――。
 シャワーをもろに浴びながら、それこそ、愛しくてたまらない、って顔で俺のものをなめているんだ。
 ついさっき、弓削くんが来る前に抜いたばかりだっていうのに、俺はもうギンギンで。
「おいで。だいじょうぶだろ?」
 ガラにもなく、催促してしまった。抱き上げて、向かい合わせに俺の[もも]をまたがせる。
「う……ん」
 俺の肩につかまり、俺のものを深くうずめていく顔を見つめる。伏し目がちにしていても俺をしっかりと見ていて、それがなおさら、ひとつにつながる喜びを深くする。
「……どうだ?」
「いい……」
 舌もからめて、腕も脚も何もかもからめて、どこにも[すき]がないほど密着する、ひとつになる。突き上げて、揺さぶって、弓削くんとしか行けない高みを目指す。
「あ……なんだか……」
 俺にすがるのがやっとというありさまで、切れ切れに言った。
「いつも、よりも……なんだか、すごく」
「すごく――?」
「いい、は……あ、ん!」
 ビクンと大きく揺れた勢いで、ふたりそろって湯の中に落ちた。


「どうしちゃったんですか、先生」
 ぐったりと俺の胸に背を預ける弓削くんを[かか]えなおした。ちゃぷりと湯を波立たせ、弓削くんの肩を撫でさする。
「どうしたって……俺は、いつもと変わりないぞ?」
 肩を撫でる俺の手を止めて、顔も見せずに弓削くんは言う。
「そんなことなかった。いつもよりも、すごく――」
「すごく――何?」
「強かったみたい」
 ぎゅっと俺の手をにぎった。
「そうかな?」
 そんなふうに言われると照れくさいけど、それはやはり――弓削くんとする前に、カキ初めしといたから?
「先生」
 ひっそりと振り向いて俺を呼んだ。
「今夜、泊まってもいいですか?」
 初めてでもないのに、ひどく緊張した様子で、そんなことを言う。
「いいさ、もちろん」
 気軽に答えた俺をじっと見つめた。
「どうした?」
 濡れた前髪の合間から、[うる]んだような眼差しで、細い眉を寄せて、やけにせつなげに俺を見つめている。
「どうしだんだよ――ん?」
 ちゃぷっと小さくしぶきを上げて、俺の首にすがりついた。
「こんなにまでなるのって、先生が初めてです」
「何を言って――」
「今日は、先生の顔を見るだけで、すぐに帰るつもりでした」
「うん」
「でも、会ったら帰りたくなくなって、こうしちゃったら、なおさら帰りたくなくなって」
「俺もだ。帰したくなんかないよ」
「好きです、ものすごく、離れているのが辛くなる」
 胸が詰まった。からみつく細い体を抱きしめて、頬を重ねた。
「……一緒に暮らすか?」
 ずっと心にあった一言を吐き出した。
 せめてノベルスが出てからとか、できれば他誌からも声をかけられるようになってからとか、そんなことを思って、言うのを我慢してきた一言だ。ジャンル転向してからの俺には、実績と言える実績が、まだない。
 弓削くんは答えなかった。何も言わずに、俺の唇にそっと唇を押し当てた。
 そこから伝わるふるえで、弓削くんの気持ちがよくわかった。
 会う前よりも、会ってからのほうが、もっと欲しくなる。会って、気持ちを確かめ、ひとつにつながれば、もっともっと、そうしていたくなる。
「……俺だって、こんなにまでなったのは、きみが初めてだ」
 離れていく唇を見つめて言った。
 にっこりと、心からのやわらかな笑顔を弓削くんは見せてくれた。ふわりと、あたりの空気の色が変わって見えたほどの――。
「今年もよろしく、先生」
「なんだよ、あらたまって」
 ちょっと面食らった俺に続けて言う。
「今年だけじゃなくて、ずっとよろしく、いつまでもよろしく――英明[ひであき]さん」
 いきなり本名で呼ばれてドキッとしてしまったけど、驚きよりもうれしさでいっぱいになって――。
「俺のほうこそ」
 つまりは、そういうことだ。
 照れくさくて恥ずかしくて、みっともないようにも思えるけど、俺たちはそこにいるわけだ。気持ちを確かめあって、恋をしている。
 何よりも、それが大切――。
「今夜は寝かせませんから」
 俺を見つめる目がキラリと光った。
「さっきは筆でいたずらされて、すっかりペースもってかれちゃったけど」
「ゆ、弓削くん……?」
 洗い場に落ちていた毛筆を拾う。
「今度は僕がこれを使おうかな?」
 湯につけて、筆先をそろえる。
「こうやって……」
 俺の胸に字を書いた。
「く、くすぐったい!」
 ふふっと笑った顔に、俺も笑みがこぼれる。
 弓削くんは俺の胸にこう書いたんだ。
『あいしてる』




作品一覧に戻る