Words & Emotion   Written by 奥杜レイ

 
 

「快感ヴァイブレーション」

 
 

 まずい、と思う。本当にヤバイと思う。どうしちゃったんだよ、オレ。
「……だからさ、法学部の三人、いきなりレポート提出になったからって、ぜんぜん時間ないって言うんだ」
 学内で一番広い、一学部の一学年全員を収容できる階段教室。その最後列に近い席で河野はオレに囁き続ける。
 オレはと言えば、隣に座る河野には目もくれずに一心不乱に教壇に立つ鈴木教授に耳を傾けている――と、河野は思っているはずだ。いや、思ってくれていないと困る。実は、そうじゃないからだ。
 「経済学概論」の講義なんてちっとも耳に入ってこないどころか、さっきから頭はぼーっとしてるし、耳から背中から、体中がゾクゾクしてるし、はっきり言えば、ちんこびんびん。
 まずいって。相当ヤバイって。
「――穂積、聞いてる?」
 河野が下から覗き込むようにオレの顔を見た。目を逸らして苦し紛れにオレは答える。
「あとにしてくれよ、今、講義中」
「……悪かった」
 そう言って河野は顔を引っ込めた。なのに、再びオレの耳にひそひそと声を吹き込んできやがった。
「今夜、電話するから」
 あー……。
 歯を食いしばって俯くオレを河野がどう思おうが、かまってらんない。くっそー……。
 今、てめーの唇、オレの耳に触れたんだぞ! それでなくたってギリギリだってのに、気づいててやったんならぶっ殺す! イきそうになっちまったじゃんか!
 オレはできるだけひっそりと深呼吸する。ノートを取るふりをするにもシャーペンを持つ右手が動かないから、テキストを睨みつける。頭の中に充満している河野の声を追い払うためにも鈴木教授の声に全神経を集中する。
「……このように、基本経済は需要と供給の上に成り立ち――」
 ゆっくりと大きく息を吸い、大きく息を吐いた。――もう、大丈夫だ。
 そっと隣を窺えば、河野はいつもの顔で黒板に目を向けていた。大学生にありがちなスタイルの茶髪、いくぶん聡明さを感じさせる額、つんとすました鼻、細めの眉、くりっとした目――べつだん取り立ててどうってことのない、標準を若干上回る造りの顔だ。
 はー……。
 河野の横顔から視線を前に戻し、オレはため息をついてしまう。こんな自分を情けなく思う。オレはおかしくなっちまったんじゃないかとマジに思う。
 ダメなんだ、河野の声。どうしてなんだかわからないけど、ダメなんだよ、河野の声が。
 耳元で囁かれなくたって、普通に話してたってダメなんだ。だいたいが、初めて会った新歓コンパのときからダメだったんだってから、どうしようもない。
 そう、オレと河野は同じ釣りサークルに入っている。それはただの偶然で、海沿いの町に生まれたオレは子どもの頃から釣りが趣味だったし、河野はどんな理由からだか知らないけど、やっぱり釣りが趣味だからだ。
 その他河野にまつわるいろんなこと――どこに住んでいるのかとか釣りのほかに趣味があるのかとか――を新歓コンパの自己紹介のときに聞いたはずなのに、河野秀樹という名前と、釣りが好きだということ以外、オレの頭には何も残っていなかった。
 新歓コンパのとき、居酒屋の座敷でオレの隣に座っていた河野は、オレが自己紹介を終えて座ると同時に立ち上がって言った。
『経済学部一年の河野秀樹です――』
 しょっぱなからダメだったんだ、河野の声。最初の一撃は、それこそ、ズッドーン、って感じだった。脳天からケツに向かって雷が落ちたって言うか――それで座布団にひっついちまったんじゃないかと思えるケツから、今度はじわじわじわじわと痺れが背中を伝い上がっていったんだ。頭がくわーんとして、しばらく何も聞こえなくなった。
 自己紹介は河野がラストで、間違っても順番が逆でなくてよかったと、あの時つくづく思ったね。河野の声を聞いたあとじゃ、自己紹介するどころか、オレは立ち上がることすらできなかったと思う。いや、マジで。
 何がどう作用するのか知らないけどさ、自己紹介のあとも河野は隣にいるオレに向かって学部同じだなとか、よろしくとか、そんなふうに話しかけ続け、おかげでオレの腰のあたりはずーっとじんじん痺れっぱなしだった。
 とんでもないことだった。冗談じゃなかった。そんな経験は今まで一度もなかったし、いや、あったとしても、いや、あっちゃおかしいんだけど、いやだから、どっちにしても、なんで河野の声にこうまで反応してしまうのか、新歓コンパが終わるまで、オレはパニクり続けていたんだ。
 しこたま酔ってしまえば起たなくなるし、とかわけわかんないこと考えて、がんがんチューハイ飲み続けて、実はコンパの最後のほうは記憶にまったくない。
 でもって、新歓コンパから一週間、学内でオレを見つけると河野はなついた犬のように必ず飛んでくる。欠落したオレの記憶の時間に、先輩から一年連中に指示が出たらしい。年度始めの活動――つまり釣りに行くんだけど、その計画は新入部員に任されるのが恒例になっているんだと。
 それでさっきの話だ。今年の一年は経済学部のオレと河野のほかには法学部の三人しかいないのに、法学部の三人は突然のレポート提出で忙しくなったから、その計画はオレたちふたりに任せると言い出したらしいんだ。
 カンベンして欲しい。同じサークルで同じ学部、学科は違うけど、それだけで河野はオレに急接近してきてるってのに、さらに、ふたりっきりで初めてのサークル活動の計画立てなきゃならないのかよ。
 いいんだよ、べつに、河野の声があんなんじゃなければ。あの声のせいでいつもビクビクしながらも、あいつの話すことを聞いているうちに、あいつがいいヤツなのはわかってきたんだ。
 「釣り好き」と簡単に言ったって、河野はオレと同じように「マジな釣り好き」なんだ。ビジュアル系シンガーですら「趣味は釣りです」とテレビで平然と言ってのけるご時世、流行に乗って、ごく最近釣りを始めたやつらはわんさかいる。
 だけど、河野はあんな声だけど、はっきり言って釣りの上級者と見た。多分、三浦の海で育ったオレといい勝負だ。声があんなんでさえなければ、ソッコウ、つるむような仲になれたと思う。うん、それは間違いない。
 ……なんだけどなあ。だけど、あの声なんだよ。普段の会話すら緊張を強いられるってのに、どうやって煮詰めた話を進めるよ?
 それでも、あいつに話しかけられるより先にオレがあいつに気づければ、どうにかセーブできるようにはなったんだ。
 ほら、河野が来るぞ、来るぞ、来るぞ、来た! がまん、がまん、がまん、がまん!
 あー……疲れる。
 一番まずいのは不意打ち。特に、さっきみたいにいきなり耳元に口を寄せられて小声で囁かれんのが、いっちゃんダメ。初めてのときの一激に負けないほどの、ものすごい威力。そりゃあもう、効果バツグン。ビーンと起って、背中ビリビリビリビリ、だもんね。いや、自慢してどうする。自慢しちゃいないけど。
 まいったなあ……。
『今夜、電話するから』
 さっきの河野のフレーズが頭の中でリフレインする。びくっと、そこが反応する。
『今夜、電話するから』
 新たな発見。それっぽいセリフだと、さらにパワーアップ。
『今夜、電話するから……今夜、今夜、今夜……するから、するから、するから』
 う、まずい。ばかオレ、なに考えてんだよ!
「穂積」
 ぽんと肩に置かれた手に、それこそ飛び上がるほど驚いた。
「なにぼーっとしてんだよ、講義終わったぜ? 俺、これからバイトだからさ、電話すんの夜遅くなるかもしれない」
 河野の声に、何も言えずにうんうんと何度も頷いた。じゃあな、と席を立つ河野を無言のまま見送った。
 うわー……。
 またもや新たな発見だ。体に触れられて声聞かされると、さらにさらに威力増大。
 ダメだ、しばらく立てそうにない――。


 三浦半島の先端からじゃ都心の大学に通うのはかなり無理。だからオレはアパートにひとり暮らしだ。未だバイトを決められないオレは今夜もひとりでだらだらしている。金ないから自炊するにしても、メシだけ炊いて、おかずは閉店間際のスーパーで惣菜買うほうが安く上がると最近になって気づいたところ。
 出来合いの味に飽きるのは時間の問題と感じつつ夕飯を済ませ、風呂にお湯ためるの面倒だからシャワーで済ませ、明日の語学の予習だけさくっと済ませたら、あとはパジャマに着替えてひとつしかない部屋のベッドでテレビ見ながらごろごろするだけ。
 うつらうつらしてたと思う。のんきな着メロが聞こえて枕元のケータイを手に取った。
「穂積? 遅くなって悪い」
 いきなりだった。河野から電話あるって、すっかり忘れてた。おかげでドッカーン、だ。
「穂積?」
「あ、ああ」
 すっげー、心臓までバクバク言ってる。考えてみると、河野と電話で話すのって初めてなんだ。たいがいの話は大学で済んでたもんな。
「もしかして寝てた?」
「き、気にすんな――」
 オレの声が掠れてようとなんだろうと、気にしないでくれ! それどころじゃないんだっての、オレは。
「それで、昼間の話なんだけど――」
 河野は話し始める。耳に押し当てたケータイから、脳髄にじかに響いてるんじゃないかと思えるほど、河野の声がびんびん伝わってきた。一発目のドカンもあって、またもやオレのちんこもびんびんだ。
「で、予算は一万以内ってことで――」
 オレの事情なんて何も知らない河野はどんどん話し続ける。寝転がっていてもオレの背中は痺れっぱなしだ。それどころか体中が震え始めたんじゃないかと自分を疑ってしまう。
「……て、しようと思うんだ。どうかな?」
「い、いいんじゃないかな……」
「いい? マジ、よかったあ」
 あー、なんつーこと言うんだよ、つーか、オレが水向けたのか? なんてのはどうでもよくて、今のセリフがじんじん響く。
『いい?』
 うん、いい。マジいいっす、河野の声……。
「でさ、このスケジュールで無理ないかな? 穂積の実家って、そっちの方なんだろ?」
「う……な、なんだって?」
「だから、おまえの実家って、三崎漁港の近くなんだろ?」
「う、ん」
「何時間で行けそう?」
 イけそう?
「はあ……す、すぐにでも」
「――は?」
 うっわー、なに言ってんだよ、オレ! つーか、マジにイきそう。いや、イっちゃうか、ここオレの部屋なんだし、ほかに誰もいないんだし。こんな電話でテレフォンセックスかよ、ああ、オ、オレって安上がり……。
「んくっ……」
 変な声出ちゃったよ。だけど、いくら効果バツグンでも、河野の声だけでイくってのは無理か? だからって、河野の声聞きながら自分の手使うってのは――。
「どうしたんだよ穂積、なんか苦しそうだな」
「う、ん……ちょっと苦しい」
「熱でもあるのか?」
「わ、かんないけど――熱いかも」
 あー、どうしよ、触りたい、触りたいよぉ。ここで触っちまったら、オレ、変態決定かも。だけど、ちょっとでもそうしちゃおうかと思った瞬間から、もうオレのがまんは限界だ。
「大丈夫か?」
「……も、もたないかも」
「もたない? ――何が」
 ああ、だから、がまんが!
「穂積? ――穂積、穂積!」
 だからそうやって口押しつけて声吹き込むなって!
「俺、そっち行くから」
 なんだとー? イくだとー?
「今すぐ行く」
 今すぐイくだとぉ? あー、もうダメだ、どうとでもなれこんちくしょう!
「ふ……うう、く」
 食いしばった歯の間からオレの声が漏れる。
「待ってろ、すぐ行くからな!」
 だからすぐにもイきそうだってのに、待てるわけないっての! 
 プツ、ツーツーツー、という音を聞いて、すぐさまオレはパンツの中に手を突っ込んだ。
 大丈夫、河野の声を聞きながらじゃない、大丈夫、誰もがしていることだ、大丈夫、オレはまだ変態じゃない――。


「はー、やっとスッキリした!」
 丸めたティッシュをゴミ箱に放り込み、ようやくオレはほっと一息つけた。
 だってさー、考えてみると昼間からずーっとがまんしてたんだぜ? がまんもがまん、がまん大会だっての。もう、なんだって、こう毎日が苦行の日々なんだか。
 色即是空、空即是色――。
 ピンポーン。
 マヌケな音がオレの部屋に響き渡る……え?
 ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン!
「おい、穂積、おい!」
 今度はドンドンドンドン! 玄関のドアを叩く音だ――って、わ、河野?
「穂積、大丈夫かっ?」
 慌てて玄関に飛び出してみれば、はあはあと息を上げて、せわしく肩を上下させる河野が立っていた。
「熱は!」
 いきなりオレのおでこに手を当てた。一気に、カーッと血が昇る。
「……べつに熱くはないな――だけど、顔、真っ赤」
 ほらほらとオレを押し戻し、河野はずんずん上がってきた。
「いいから寝てろ」
 オレのベッドの掛け布団をバッとめくり、オレをそこに押し倒す――って、やば!
「……あ」
 あ、じゃない! オレを仰向けに押し倒したおまえが悪いんだ! パジャマの薄い布地じゃバレバレじゃん!
「穂積……具合悪いんじゃないのか?」
「だから――」
 慌ててそこを両手で隠したオレを河野は思いっきり不機嫌そうな顔で見下ろした。
「――なんで起ってんだ」
 だからそれはおまえが息上げてはあはあ言ったり、オレのおでこに触ったりしたからで――ああああ……。
「おい、まさか、さっきの電話のときエロビデオ見てたとか言うんじゃないだろうな?」
「見てないって!」
 今ごろになって電話中のオレの変さに気づいたのか、河野はそう言うといきなりオレのテレビデオをつけた。再生ボタンを押す。
 画面に映し出されたのは先週放映された釣りの特番を録画した映像。場違いに明るい海と空が太陽の光にきらきらしている。
「――俺……この番組見逃したんだよな。このビデオ借りてもいいか?」
「あ……ああ、もちろん!」
 ハッとオレに振り向き、河野は気まずい顔になる。せっかく日常会話に戻ったのに、なんでー……。
「穂積さあ……まさか魚で起つのか?」
「なわけねえだろ!」
 あったりめーだ、いくらオレが釣り好きだっても魚にコーフンするわけねーじゃん!
「じゃあ、なんで起ってんだよ」
 河野はあくまで追求してくる。
「俺はなあ、バイト終わってすぐにおまえに電話して、おまえの様子が変だからタクシーでぶっ飛んできたんだぞ! 俺はマジに心配したのに、これはどういうわけだよ!」
 と、オレのそこをビシッと指差す。
「あ、それ。河野、どうしてオレんち知ってたんだ?」
 話を逸らそうとしても無駄だった。見る見る河野は顔を怒りで真っ赤にさせる。
「やっぱ覚えてなかったのかよ! 新歓で潰れたおまえを送ったのは俺だったんだぞ!」
 がーん……。
 ――そうなんだよ。河野はいいヤツなんだ。
 オレの態度がどんなでもオレに話しかけてくれて、電話ごしのオレの様子が変だと思えばこうして飛んで来てくれて、新歓コンパで潰れたオレを送り届けてくれもして、しかもオレはそれをちっとも覚えてなかったのに、今までそのことを自分から言って恩着せがましくしたりしないで――しかも、今回のサークル活動の計画だってひとりで考えてくれて。
 悪かった、と思う。オレの勝手な都合で今までずーっと愛想悪かったよな、オレ。
 白状しよう。もう、河野を騙し続けるのは嫌だ。それより、河野はこんなにいいヤツなのに、河野の声に起っちまう自分が許せない。いっそ、こんなオレとは縁切っちまうほうが河野のためだ。
「河野――」
「なんだよ!」
「オレさ――河野の声に起つんだよ」
「はあっ?」
 そんな超ビックリって顔すんなよぉ。そりゃ、驚くのはあたりまえだけどさ……穴があったら入りたい……。
 バサッと掛け布団を頭まで被った。だけど河野は、すぐにガバッとめくりやがった。
「マジ?」
 床に膝をついて、ベッドに身を乗り出して、河野はオレに顔を突きつけてくる。
「俺の声に起つって、マジ?」
 だからそうやって間近で声聞かせんじゃねえ! 確かめるようにオレのそこを見た河野はニヤリと笑う。
「へえー、そうなんだー、へえー」
 って、やたらと感心すんじゃねえ! 慌てて両手で隠したって、バッチリ河野に見られちまった……オレの、テント……。
「ふうん」
 ニヤニヤと笑いながら河野はオレの耳元に口を近づける。そして言った。
「穂積クンってあたしのタイプなのぉ」
「わー、やめろー!」
 裏返った河野の声に、思わず両耳を塞いだ。
「背も高くてイケてるぅ」
「やめろやめろやめろ!」
「短くて硬そうな黒髪も男らしくてステキ」
 オレの髪に伸びてきた河野の手を乱暴に払った。
「気色悪! オネエ言葉なんか使うな!」
「えー、このほうが気分出るだろ?」
「出ねえ、ちっとも出ねえって!」
 ほれ、とオレはそこを指差した。
「ありゃ、ホントだ」
「だろ?」
「へえ……俺の地声に弱いのか」
 う……しまった!
「そんなに感じるんだ」
「じゃなくて――」
「嘘つくんじゃねえよ、見ればわかるって」
 再び元気に張り詰めたオレのテントにちらっと目をくれて、河野はオレの耳にさらに口を近づけた。生あったかい息まで吹きかけて、とんでもないことを言う。
「いい感じ?」
「うう……」
 これだ、この、体に染みるような深くてやわらかい声――。
「たまんない?」
「く……」
 なんつーか――ベルベットのよう、ってのか、そろりと肌を撫でられるような――。
「イきそう?」
 って……くっそー!
「――触ってもいい?」
「ざけんな、オレで遊ぶんじゃねえ!」
 河野の腕をぐっと掴み、オレは河野をベッドに引き倒した。ガバッと体を入れ替え、覆いかぶさり、河野の両肩を強く押さえ込む。
「おまえがいけないんだからな、おまえがオレで遊んだのがいけないんだからな、おまえなんか、ヤってやる!」
 そうだそうだ、いっそのこと、ヤっちまえばどれだけスッキリするか!
「ほ、穂積……」
 びっくりうろたえた河野の顔がかすかに赤らんだ。乱れた前髪の合間から、やけに真剣な眼差しがオレに向けられている。
 わー、なんだよこれ! オレの心臓バクバク! 知らなかった、こんな至近距離で見ると、河野ってえらく肌きれーじゃん。標準を若干上回る造りの河野の顔が、むちゃくちゃ色っぽく見える!
「穂積……」
「……ああ」
「おまえ――そっちの人なのか?」
 そっちの人――どっちの人? じゃなくて、それって、ホモとかゲイとか?
「違う違う違う!」
 ぶんぶん頭を振るオレの下で、河野は途端にムッとした顔になった。ぐっと肩に力を入れて身を捩り、すげー勢いで手を伸ばした。
「もらった!」
「ひっ!」
 握るな! いきなり握るんじゃねえ!
「へへ……いいざまだな、穂積」
「は、放せ」
 パジャマの薄い布じゃ、上からでもがっちり握られてしまう。オレは身動きが取れない。
「放せ、じゃないだろ? こんなでかくて凶暴なものを俺に使おうとしたんだぜ?」
 真っ赤な顔でニヤリと笑って河野は凄む。
「く……」
「――抜いてやる」
 言うと、河野は握った手をぐーっと扱き下ろした。ビーンと脳天まで電流が走る。
「そ、それはやめろ、それだけはやめろ! いや、やめてやめて! お願いだから〜」
 あー、なんかもう、ちょー情けねー。
「降参、降参します!」
「――よし」
 河野が手を放すと同時にオレはトイレに駆け込んだ。あたふたとちんこを取り出す。
 よし、ってなんだよ? 何が「よし」なんだよ? 冗談じゃない、あれ以上遊ばれてたまるかってんだ!
 だからって、河野がいるのにトイレに駆け込んで自分で処理するのも情けなく、なんかもう、涙がちょちょぎれそうだぜ。
「穂積」
 ドアの向こうから河野の声が聞こえた。
「また、明日な」
 玄関に向かう足音、ごそごそと靴を履く音、古びたドアのキィと軋む音、パタンとドアの閉じる音――。
 ちくしょう。何も言い返せなかった。なにがまた明日だ。けろっとした声で言いやがって。なのに、そんな声にもオレの背筋はぞくっとしたんだ。
 あー……。
 惨めだ、みっともない、情けない!
 トイレでシコシコ自分を慰め、ビクンとイっても、ちっとも気持ちよくもなんともない。
 今度こそ、この次こそ、河野に一泡吹かせてやる! このままで済むと思うなよ、河野。この次は、ゼッテーおまえをヤってやる!
 ……て。……あれ?


 
 
 
 

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