Words & Emotion   Written by 奥杜レイ

     
     

    「カ・タ・オ・モ・イ」
    −「夏の風」番外編−

     

         ずっと、好きだった。
         たぶん……初めて会った、あの瞬間から。
         夏の風にふわふわ揺れる茶色っぽい髪に触れたいと思ったのも、よく動く大きな瞳にじっと見つめられたいと思ったのも、きっと――初めて会った、あの瞬間から。
        『へえ。本間って、おまえなんだ?』
         ニヤッと笑って、やけに挑発的な目で俺を見た。
        『そっちのサークルに、むちゃウマイのがいるって聞いてたからさ――』
         一年の夏だ。テニスやるから来いよって誘われて、それで行った先のコートで初めて会った。
         瀬戸春樹――。
         それほど背は高くはないのに、けど、すらっとして見えるのは姿勢がいいから。やたら威勢がよくて元気で、コート中を楽々と駆け回って、テニスが本当に好きなんだって――よくわかった。
         そのとき、ほかにはふたりいて、四人で軽く打ち合ってから流れでダブルスが始まって、それから――ジャンケンで対戦相手を決めてシングルスの試合をした。
         瀬戸はうまかった。最初からやけに挑発的だったのもあたりまえに思えた。
         体格でもパワーでも俺には負けてるくせに、コントロールがすごくいい。泣けてくるようなところを狙って、ピンポイントで決めてきた。配球もよく考えられていて、試合の組み立てにセンスを感じた。
         ヤバくなりそうになると、すっと流れを変えてくる。常にリードを取ろうとするのがミエミエで――勝ち気で、鼻っ柱が強くて――なのに、冷静だった。
         クレバーなテニス――瀬戸のテニスはそうで、俺は……すっかり魅了された。
        『ちっくしょー!』
         だけど、負けが決まった瞬間には感情を丸出しにして、試合中の雰囲気とはガラリと変わった。そんな瀬戸は、ガキみたいで、なんだかおかしくて――。
        『この次は、ゼッタイ勝ってやる! 逃げんなよ!』
         ギッとにらみつけられても、ちっとも迫力なんかなくて……かわいかった。
         きっと――あのとき、カンペキに俺はやられたんだと思う。瀬戸のテニスに惚れて、瀬戸に惚れた。
         それでも、瀬戸はずっとトモダチだった。瀬戸にはカノジョがいたから――。
         ふたりが本当に仲がいいのは見ていてわかったし、もともとオープンな性格のふたりだから、そんなつきあいをしていた。
         見ていて――ものすごく、つらかった。
         どんなに好きになっても、瀬戸に気持ちを打ち明けることすら許されないと、思えてならなかったから。
         ――だけど。
         今になって思い返してみると、瀬戸とカノジョ――由佳は……なんだか、姉と弟みたいだったように思える。もしかしたら、本当に、ふたりはそんなカンジのつきあいをしてたのかもしれない。
         今、瀬戸は俺の車の助手席で眠りこけている。その様子を流し見れば――胸がときめく。
         テニスはクレバーなのに、普段はガキくさくて――その落差がたまらないのだけど。顔立ちも、ちょっと幼いカンジで――そんなだから、なんか……純、って言うか――。
         今年の夏合宿、最後の夜だった昨夜――あんなふうに想いを遂げられたなんて……夢のようだ。俺に抱かれて、瀬戸は、初めてなのにマジで感じてた――。
         思い出すと、顔が熱くなる。ドキドキしてきて……ヤバくなりそう……。
         けど――。
         あんな夜を過ごしたあとでも瀬戸は相変わらずで、今日の午前中には瀬戸の希望どおり試合したわけだけど、やっぱ、瀬戸がいつものように走れなかったのは昨夜のせいで……それは、わざわざ訊くようなことじゃないし、訊かなかったけど――妙に照れくさい。
         合宿には高速バスで来たと聞いたから、それなら俺の車で一緒に帰ろうってなって――。
        『あたりまえだ、送れ』
         恥ずかしそうに言ったのは、俺との試合に負けたから――だけじゃ、ないよな?
        『少しは責任感じろ』
         それは、言われるまでもなかったんだけど。
         昼食のあとに解散になって、俺の車に荷物を積み込んでも、瀬戸はずっと照れたふうにしていた。だけど、走り出した途端に眠り込んでしまった。
         それで、聞きそびれていた。
         今夜も時間あるか、て。
         ――瀬戸。
         きっと、おまえはわかっちゃいない。俺が、どれほどおまえを好きか――。
         このまま、送って帰すだけだって……信じてる?
        「瀬戸――」
         ちらっと視線を流して呼んでみた。ぐっすりと眠る瀬戸は、ピクリともしない。
         もうすぐインターだ。高速はそこで下りる。それからのことが頭の中であれこれとふくらんできて――無駄にドキドキしてくる。
        「瀬戸」
         一般道に出た。信号で止まれたから、腕を伸ばして軽く揺すってみた。
        「……ん?」
        「もう、高速下りてるぞ」
        「うん……」
         いまひとつ、すっきり起きてくれない。
         瀬戸の家は何度か行ったから知っている。経堂[きょうどう]にある一戸建てで、もちろん家族と同居だ。
         もう、すぐにでも着いてしまう。
        「瀬戸――」
         俺の家に連れていくのもできない。俺だって、家族と同居なんだから。ただ泊めるだけならできるけど……だから、そうじゃなくて。
        「今夜、バイトとか言うなよ」
        「バイト……? んなわけ、ねえだろ……」
         ううん、と瀬戸は狭苦しそうに寝返りを打つ。車内に射し込む西日で、窓に向いた茶色い髪が光って見える。
        「お盆過ぎてるし……明後日までオフ――」
         寝ぼけたような声で答えた。
        「――わかった」
         だったら――もっと、俺の気持ちを知ってほしいと思うんだ。ずっと抑えて、ガマンしてきた俺の気持ちを――。
         だって俺たち……これからは、昨日の夜のようなことをして――つきあっていくんだろう?
        「瀬戸」
        「……んん?」
        「寄り道していいか?」
        「いいけど……どこ……?」
        「いいよ、寝てろ。着いたら起こす」
        「――うん」
         こういうのは卑怯かな、とも思う。だけど……もっと確かめたいんだ。おまえの気持ちを――。


        「着いたぞ」
         屋内駐車場に停めた車の中で、眠り続けていた瀬戸を揺り動かした。
        「う、ん」
         もぞもぞと起き上がり、目をこする。
        「なに、暗い……。もう、夜?」
         とぼけているわけじゃないのは、わかっている。だけど、説明するのは気が引けて――。
        「――て。ここ、って……」
         それでなくても大きな目を、さらに大きくした。
         ……怒るだろうか。
         ムッとしたように俺を見て、だけどそれから、恥ずかしそうに目を泳がせた。
        「おまえ……エッチだったんだな」
         顔が、カッと熱くなる。そう言われてもしょうがないから、俺は何も返せない。
         ふたりして、うつむいてしまった。車の中はしんと静まり返る。
        「なんつーか……」
         瀬戸はぽつりと言うと、ドアに手を伸ばした。
        「いかにも、ってカンジで――照れるな」
         言い残すようにして先に外に出た。
         胸が、ドキドキする。ドキドキして、顔がますます熱くなる。半分ぼうっとしたような頭で俺も車を降りた。
        「どの部屋がいいなんて、訊くなよ?」
         フロントに入ると、瀬戸はそう言って、正面にあるパネルから目をそらした。俺との距離は、微妙だ。
         夏の終わりの平日、まだ日も暮れきらないうちにラブホに入るやつなんて、やっぱ、少ないんだと思う。
         俺たちは、ほかの客に会わずにエレベーターに乗った。ふたりとも男なのは……フロントにバレずに済んだようだ。
         瀬戸は、エレベーターの階数表示を見上げている。両手をポケットに突っ込んで、まるで、これからCDでも買いに行くみたいだ。
         すぐにでも、引き寄せて抱きしめたい。それができないのは……どうしてだろう。
        「どっち?」
         エレベーターを降りると俺と目を合わせた。あまりにもあっさりしていて、少し戸惑う。
        「こっちだ」
         俺たち……どこへ向かってるんだ?
         部屋に向かっているのはわかっていても、なぜか、そんな気持ちになってしまう。
         ドアを開けて――先に瀬戸を入れた。そこはもう、さあどうぞ始めてください、とでも言ってるような薄暗さで――ぼんやりと灯るキングサイズのベッド脇のライトに――誘われるような、怖気づいてしまうような……。
         ものすごく、緊張する。
         それは、部屋に入った途端、瀬戸も同じようになったのが丸わかりで、俺たちのあいだの微妙な距離は、さっきから縮まらない。
         俺……テンパってたかも。
         そんな思いが頭をかすめた瞬間、どうしようもなく、いたたまれない気持ちになってきた。
         眠っていた瀬戸をこんなところに黙って連れ込んで、瀬戸は来たくなかったかもしれないのに、これって、強引――。
        「瀬戸」
         やっぱ帰ろうか、と言おうとして目を向けた。瀬戸も俺を見る。
         ほのかに照らされた瀬戸の顔――。
         顔の半分だけ明るくて、そこにある瞳がきらきらとして見えて、なめらかな頬に、小さめの唇が、濡れているように艶っぽい……。
         だ、だめ……だ。
         やっぱ帰ろう、なんて――言えない。
        「あのさ」
         瀬戸は表情を変えないで、やけに魅惑的な唇を動かす。
        「さっきから思ってたんだけど、俺のこと、春樹って呼ぶんじゃなかったの?」
         こ……こいつ、って――。
         心臓、直撃だった。その勢いで俺の鼓動は駆け出す。もう、静まらない。
         いきなり腕をつかむと引き寄せた。たまらない思いで、胸に抱きしめた。
        「……春樹」
         ふわりと俺の頬をかすめる、やわらかな髪――熱い吐息があふれてくる。
        「好きだ――」
         どんなに想いが募っても、どんなにせつない気持ちでいっぱいになっても、伝えられる言葉はそれだけなんだって……思い知った。
         だけど――。
        「トオル……」
         耳元でささやかれた声――うっとりとした響きに、俺は歯止めを失ってしまう。
        「ん……」
         顎に指をかけて上を向かせた。俺を淫らな気持ちにさせる唇をふさいだ。
         クチュッと、濡れた音がやけに響いて聞こえて――それが、なおさら俺を駆り立てるから――瀬戸と……いや、春樹とキスをしている感触をありありとさせるから――夢中になって――余計なことは、みんな忘れた。
         好きだから、欲しくて……一度でも手に入れてしまえば、何度でも欲しくなって……だから……そういうことなんだ。
         ただ、それだけなんだ。
        「ふ、あ……」
         ディープなキスから逃れ、春樹は小さな顎をのけぞらせた。喉元が目の前にあらわになって、Tシャツの襟に覗く鎖骨まで続くラインが――ひどく、セクシーだ。
        「……ん」
         そこに、唇を押し当てる。べろりと舌を出して舐め上げた。そのまま顎を辿って、また、キスをする。
        「な、んだよ……なんか、スゴ――」
        「カワイイから、食べちゃいたい」
         それは、ふと口をついた本当の気持ちで――なのに、春樹は――。
        「俺をカワイイって、言うな」
         急に照れくさそうにして、俺の胸を押し戻した。上目づかいに俺を見つめる。
        「か、カワイイのは、おまえだろっ? こんな、全身で、欲しい欲しいって言ってくるヤツだなんて、知らなかった」
         一息で顔が火照った。思わず、手のひらで口をおおってしまう。マジで、頭から湯気が出てるんじゃないかって――そんなバカなことまで考えてしまう。
        「わ、悪いけど――」
         なんだよ俺、なに言おうとしてんだ?
        「俺、そういうヤツかも――」
         口が、勝手にしゃべる……。
        「知らなかったなら……」
         ぐっと、無理にでも歯を食いしばった。もっとヤバイことを言ってしまいそうで――。
        「……知らなかったなら……なんだよ?」
         春樹は探るような目になる。
        「もっと――知って、ほしい……かも」
         これじゃ、沸騰する。
        「かも、って――」
         くすっと間近で春樹は笑う。屈託のない、やさしい笑顔だ。
        「なんだよ、それ」
         照れたように、俺をじっと見つめてくる。
        「いいぜ、もっと教えろよ、今のおまえ……サイコーにカワイイ」
         だから!
         こいつが、こうだから!
        「あおるなよ――昨日から、何度も言ってるのに!」
         飛びつく勢いで春樹を抱きしめた。
        「え?」
         俺だって知らなかったんだ。こいつが、ここまで天然だったなんて――。
         そのまま、春樹をベッドに押し倒す。脱がせるのももどかしくて、脱ぐのももどかしくて、無駄に手を動かしてしまった。
         それをカッコ悪いとか、そんなこと思っている余裕もなくて――もつれ合うみたいになって、やっと肌を合わせられたときには、また……胸がいっぱいになっていた。
        「おまえが欲しいよ、いくらでも」
         絞り出てきたような声は、自分でもかなり情けなくて、せつない気分になってしまう。
        「俺が、どれくらいおまえのこと好きなのか……おまえは、知らないんだ」
         情けなさも、ここまでくると救いようがないかもしれない。
         春樹は俺の頭を引き寄せる。俺の額に、チュッとキスをした。
        「知ってるつもりだけど。露天風呂でいきなり襲うくらい、俺が好きなんだろ?」
         面食らう俺を、いたずらっぽく笑う。
        「……襲う、って……」
        「んな顔、すんなよ。俺も、いきなり襲われたのにイけちゃったくらい、おまえが――」
         春樹の顔が、薄明かりの中で……すっと、なまめかしく変わる。
        「――好きだ、徹」
        「うん――」
         重ねた唇に、何度でもしびれる。何度キスしても、そのときが初めてのように感じる。
        「俺は、逃げないから。だから、ゆっくり……」
         ――うん。
         やっと想いを遂げられたことに、振り回されてたのかもしれない。追えば逃げると思った自分が一度はいて……それで……俺、焦ってたのかな……。
        「あ……と、徹――」
         俺の手で、俺の唇で、春樹は喘ぐ。好きで、愛しくて、かわいくて、大切で――。
         もっと……感じてよ。もっと、俺を感じて、俺の気持ちを感じて――。
        「……どう?」
         声を出せば、自分でも驚くほど甘く溶けていた。
        「ここ……感じる?」
         訊かなくても、わかっていた。だけど俺は、おまえの声で聞かせてほしいんだ。
        「ん……い、いい――」
         しなやかに背を反らせ、春樹は全身をひくひくと震わせる。
        「……もっと?」
        「……もっと」
         たとえばそれは、性感を刺激合うだけのことかもしれない。だけどそれは、心を開くことでもあるから、こんなに満たされる。
         重なる素肌が熱くて――俺たちは裸だからで――それは、つまりそういうことで――心までも裸ってことで――。
         涙があふれそうなくらい、おまえの気持ちを感じる。
         昨夜はいきなりだったのに許してくれた。今も、こうして許してくれている。
         受け入れてくれて、体ごと受け取ってもらえて、それがうれしいから、もっと感じてほしいから、それで、おまえが喜んでくれるなら。
        「は、あん! だ、ダメだって、そんなことしたら――」
        「いいから――イきな」
         淡い茂みにそそり立つものを俺は舐め回す。たっぷりと滴らせ、きつく吸い上げる。
        「あっ……」
         小さく上がった叫びと同時に、口の中に熱い飛沫が散った。それを、使わせてもらう。
        「はぁ、はぁ……」
         肩でせわしない息をつぐ春樹の脚を抱え上げる。潤んでとろんと俺を見つめる目は、むちゃくちゃ色っぽい。
        「は、あ!」
         力の抜け切っていた体がビクンと跳ねる。中指を深くまでもぐらせて、その箇所を見つける。
        「またっ……や、だ……」
         シーツに伸ばした腕をきつく握られた。びくびくとした震えが、俺に伝わってくる。春樹の中を探る指が、強くしめつけられる。
        「いや、だ、徹……!」
         ふわりと春樹は髪を散らす。
        「俺、ばっかり――」
         上体を起こしてきた。
        「やだよ、俺だけじゃ」
         俺にしがみついてくる。俺のものを握った。
        「……春樹?」
         そんなことは少しも考えていなくて――背筋を駆け上る感覚にしびれた。頭までが、じんとする。
        「徹!」
         むしゃぶりつくように唇を求められて、胸がいっそう熱くなる。春樹の中を探っていた指は引き抜いて、両腕でしっかり抱きとめた。
        「……徹」
         その声はためらうようにも聞こえて……まさか、あんなふうに……そんなことまで……。
         春樹は俺の肩につかまり、膝立ちになって、浮かせた腰を落としてきた。
         ゆっくりと、熱くやわらかな体内に迎え入れられる。その感触に、もう、何も考えられなくなる――。
        「徹……」
         俺の肩に額を乗せて、そっと、春樹はささやいた。俺にしがみついて、全身を預けて、熱く湿った息を吐く。
        「徹」
         耳たぶを甘く噛まれた。首筋にキスをされる。離れていこうとする唇を唇で追って、つかまえた。
         つながって、抱き合って、キスを交わして――あとはもう、ゆっくりと、やさしく、大切だから、好きだから、それだけで、じわじわと登りつめて――もっと高いところまで登りつめて――弾けた。
         ドサッとシーツに倒れた春樹を見下ろす。息を上げ、胸が上下するのが目にわかる。
         たまらなく、愛しさが募った。
         でも、それは言葉にはできなくて――。
         俺は、ゆっくりと顔を近づけていく。汗に湿る茶色っぽい髪を梳き上げ、額に、まぶたに、唇に――キスをした。
        「来て」
         呼ばれて、寄り添った。俺と春樹と、どっちのほうが熱いかなんて――わからない。
         春樹は、俺に擦り寄ってくる。耳元でささやいた。
        「このまま泊まろう? 俺、おまえとこうして眠ると……ホッとする」
         胸がいっぱいになって、思いがけない力で抱きしめてしまったら、苦しいと笑われた。
         だから――。
         これで、いいんだと思う。
         俺がどれほどおまえを好きなのか、おまえはわかってないかもしれないけど、俺も――おまえがどれほど俺を好きなのか、わかってないのかもしれない。
         でも……急ぐことなんか、ないんだ。おまえも、きっと、そう思っているだろうから。


        了


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