Words & Emotion   Written by 奥杜レイ




    佐宗くん



       物理科準備室に入るときは、いつも少しだけ緊張する。物理科の教師は織田しかいないし、今年は担任だから不自然さもないけれど、たまにほかの教師が来ていたりするのだ。
       ドアの前に立ち、佐宗は息をひそめる。この三階には地学室も化学室もあって、どの教室も部活動に使われてないものの、それぞれの準備室からいつ担当教師が出てきてもおかしくない。
       耳をそばだてた。四階の音楽室で練習するブラスバンド部の音が大きく、それに紛れて外から運動部の声が聞こえる。廊下には自分のほかに人影はなく、ドアの中から話し声がするでもない。
       ひとつ息をつき、軽くノックした。ココン、とスタッカートをつけるのは、自分だと織田に知らせる合図だ。
       返事をされるより先に中に入った。後ろ手にドアを閉めるも、思ったとおり織田は机にいて、ノートパソコンから目も上げない。
      「成績評価中だ」
       それだけを不機嫌そうに漏らした。
      「なら、問題ないじゃない」
       定期テストの前は生徒の入室が禁じられている。それはどの教科の準備室でも同じで、だけど期末テストは昨日で終わった。
      「あるだろ。こっちに来るな」
       他人の成績になど興味はない。しかしそれをわざわざ口にする気はなく、佐宗は左手の隅に寄る。そこの作業机に鞄を置いて織田に向き直った。そうなっても織田はパソコンを見つめ、せわしく手を動かしている。
      「さっき、抱いてくれって真野に言われた」
       つい今しがたの出来事を口にしてみた。
      「廊下だったから、まわりにたくさんいてさ。一緒にいた女子なんて、思いきり引いてた」
       だがやはり、織田は目も上げない。女子と一緒にいたと話したところで反応がないのはいつもだが、『抱いてくれ』と真野に言われたと話しても変わらないのでは悔しくなる。
      「真野って、かわいいよね。愛らしい顔立ちだし、性格も素直だし。抱いてくれなんて直球で言ってくるから、ちょっとクラッとした」
      「――適当なこと言うな」
       しかしそれには面倒そうな声が返ってきた。相変わらずパソコンに目を向けたままだが、織田は眉をひそめている。
      「妬いちゃった?」
       少しうれしくなって言うが、あっさり退けられた。
      「まさか。おまえが抱く側に回るわけないだろう? 特に相手が真野じゃ、奉仕させられるだけになるだろうし」
       言われたことに間違いはなく、つまらなくなって織田から目を離す。その後ろの窓に広がる青空を目に映した。
       どの教科の準備室も冷房が完備されているから窓は閉まっている。外は校庭でも、廊下にいたときより運動部の声は聞こえず、室内は嫌になるくらい静かだ。
       もっと食いついてくれると思ったのに――。
       昨日まで期末テストだったから、織田とふたりになる機会がしばらくなかった。生徒の自分とは違い、期末テストが終わっても織田はまだ何日か忙しいとわかっていたが、少しは構ってほしかったのだ。
       わかってて冷たくするんだから。
      「明日の午後二時までに提出しなくちゃならないんだ」
       唐突に言われ、織田に目を戻すが、依然として自分を見ようともしない。
       溜め息が出た。さらりとした黒髪をかき上げ、その手で額を支えて佐宗はうつむいてしまう。
       真野を思い出し、うらやましくなる。どの程度の気持ちにしても、『好きだ、抱いてくれ』と口にできる素直さは自分にはない。
       だから、言われたとき少し苛立った。ほとんど話したこともない自分に、どうしてそこまで言えるのかと。男のくせに、男の自分にそんなことを言う躊躇はないのかと。しかも、あんな人前で。誰に聞かれても恥ずかしくないのか、と。
       ……恥ずかしくなかったんだろうな。
       それが真野の潔さなのか、単なる考えなしなのか、たぶん後者だろうけど、自分にはまぶしいほどで、うっとうしく感じられた。
       冗談、と切り返したのはそのせいもある。あの場を離れてから、一緒にいた女子が興味本位に話題にしたことにも苛立った。
      『今の、なに? マジなの、あれ?』
       彼女たちはただの友人で、しかし彼女たちと親しくすることで織田との関係を隠している自分には、嫌な一言だった。
      『そんなに珍しくもないだろう? 人口の何パーセントかは、そういった人たちなんだし』
       それで、つい言ってしまった。それでも彼女たちの好奇心は尽きず、駅まで一緒に帰るはずが苦痛になって、忘れ物をしたと嘘をついて学校に戻ってきた。
       どうしようもなく、織田に会いたかった。会って、もやもやする気持ちを消したかった。だからまっすぐここに来たのに、織田は一貫してつれない態度だ。
      「……帰らないのか?」
       今また、そんなことを言う。焦がれているのは自分ばかりのようで、佐宗に返す言葉はない。
      「真野じゃ俺は釣れないぞ? 仕事の邪魔をしても俺をそそのかしたいなら、もっとそれらしくしたらどうだ?」
       少し驚いて目を上げた。今度こそ自分を見ているかと思ったが、織田はまだパソコンに向かっている。
       ……ふうん。
       今まで、仕事中は絶対に放置を決めていたことを思えば、これは進歩なのか。
       そそのかしていい、ってわけね。
       何を話しかけても流されて、仕事をしている織田を見つめるだけのせつなさにも恋の歓びはあるけれど、つれない恋人を振り向かせられるなら、そっちのほうが格段に楽しい。
       織田を見つめ、佐宗は後ろの作業机に浅く腰かける。長い両脚を心持ち開き、しなやかに伸ばした。夏服の真っ白なシャツのボタンを、意識してゆっくりとはずしていく。
       そうして、胸に片手を滑り込ませた。もうドキドキしている。いつも織田にされることを思い、体の芯が熱くなる。何も考えずとも、真っ白なシャツに隠れて手は動き出した。
      「……あ」
       あえて声を抑えない。そそのかせと、織田が言ったのだ。
       乳首をこねて生まれる快感よりも、こんなことを自分で始めた事実に昂ぶった。制服の黒いズボンの下で、欲望が形を成していく。それも織田に見られたらいいと思う。
       見てほしい。織田に抱かれたなら、自分はいつもどうなるか。思い出して、欲情すればいい。同じ姿を目の当たりにして、それでもつれなくしていられるか。
      「は、ん」
       きゅっと強くつまむ。ここがこんなに感じるようになったのも、織田のせいだ。男くさい骨ばった指で、何度も何度もいじくられて、熱く濡れた肉厚の舌で舐められ、音を立ててしゃぶられ、いつでもすぐにじゅくじゅくと熟れる小さな果実になった。
       ここを味わうときの織田は、まるで子どもみたいだ。感じすぎて耐えられなくなって、やめてと涙ながらに訴えても執拗に続ける。
       それで、イかさせたこともある。あのときは驚くほど満足そうな笑顔を見せ、かわいいと繰り返し耳元でささやいた。
      「あ……っ」
       顔が熱くなる。じんと背筋が痺れた。体中の素肌がさざめいて、織田の愛撫が欲しいと叫び出す。
       ぼくを、こんなふうにして――。
       これ以上は無理と、幾度となく哀願させられ、そのたびに限界を超えさせられてきた。
       吐息が湿る。硬く勃ち上がった先が潤む。織田を受け入れる箇所が悩ましく疼く。その奥に熱が溜まるように感じる。
       重い――吐き出したくてたまらない。どうしようと思った。いっそ胸をはだけて、両手でまさぐって身悶えて見せようか。でも織田はまだ目を向けてもこない。もっとあからさまな声を上げて気を引くにも、そこまではできないと羞恥が邪魔する。
       抱いて、って……言えばいいのか――?
       そんな素直な言葉が口にできるなら、そそのかせと言われるはずもなかった。仕事中で近寄ることすら禁じられ、こうするほか思いつかなかった自分が哀れになる。
       もう片方の手で、ベルトを解いた。恋人に放置され、その目の前にいて、自分で自分を慰める行為に踏み切る。
       ……見て、よ。
       自分をかわいいと言うなら、愛しいなら、目を向けるくらいしてもいいだろう。
       だけどその兆しすら感じられなくて、佐宗はうな垂れてしまう。自分の興奮を手にして、ヒクッと肩を震わせた。織田の愛撫をまねて、ゆるやかに昂ぶっていく。執拗に、長く。
       もう、どこかであきらめていたかもしれない。つれない織田を視界から追いやり、自分で生み出す快感に浸り始めていた。それで、どんな物音にも気づけなかった。ただ、前に陰が差して、そっと目を上げる。
      「――どうした? なぜやめる?」
       先生、と口に出かかった声が喉で消える。いつの間に立ちふさがった織田を、少し驚いて見つめた。
      「もう、どろどろか?」
      「や……っ」
       にやりと口元を歪められ、言われた意味が飲み込めた。今さら消え入りそうに恥じ入る。それを、伸びてきた織田の手に顎をすくわれて止められた。間近で視線を絡められ、歓びに胸が高鳴る。
      「脱いだらどうだ?」
      「あ――」
       答えるより早く、織田の手が制服のズボンにかかった。佐宗に拒む気持ちがあるはずもなく、やっと抱かれる予感に胸を震わせて、織田に脱がされるままに腰を浮かせる。
      「やっぱり、もうどろどろじゃないか」
       握る指のあいだにまで蜜が滲み出ていた。
      「――どうしてほしい?」
       言わなければならないだろう。明日が期限の仕事を中断させた。
      「キス……して」
      「それでイけるのか」
       クスッと鼻で笑われた。織田の顔が被さるように近づいてくる。織田の匂いを吸い込み、うっとりと目を閉じた。唇が触れ合い、しかし自分から重ねようとして軽く噛まれた。
      「うっ」
       佐宗は顔をしかめる。ずくっと腰が響いた。すぐに、ぺろりと唇を舐められる。
      「今ので、イったか」
       カッと顔に血が昇る。閉じた目を開けられない。わずかにも痛みが走った瞬間、放ってしまっていた。
      「はしたないな――好みだよ。ほら、キスだ」
       ねっとりと唇がふさがれる。濡れた手は放せずに、喉を反らしてキスを追った。
       高鳴る胸が苦しい。顎を動かして、織田が深く貪ってくる。ぞろりと上顎を舐められ、たまらなく感じた。右脚を織田に持ち上げられ、そちらだけズボンと下着から引き抜かれる。膝を折って押され、作業机の端に乗せられた。
      「いつまで握ってんだ」
       キスを解いて言われ、佐宗はぼうっとして見上げる。湿った吐息が唇から溢れ、視界はとろんと潤んでいた。
      「ここまで俺をそそのかしたんだ。もっと、あおってみろ」
       ようやく命じられたことを理解する。ぬるりと濡れた手を股間の奥にもぐらせた。
      「見えないな。ちゃんと見てやるから」
      「……せんせ」
       じわっと胸が熱くなった。織田を見上げ、佐宗は唇を震わせる。
      「……きれいだ」
       掠れた声でささやかれ、胸がいっそう熱く染まる。織田に見えるように後ろに背を傾け、片手をついて体を支え、とっくに疼いていた箇所をほぐし始める。
      「いい眺めだ――卑猥だな」
      「やだ……っ」
      「ん? 違うだろう? もっと見てくれじゃないのか?」
       そのとおりなのだから、佐宗は沈黙する。織田にされるときを思い、同じようにした。
       織田をまともに見られない。だけど、痛いほど視線を感じる。恥ずかしい姿を見られて余計に興奮するなんて、自分はどこまで織田に変えられるのかと思う。
      「また勃ってきたな」
       それにも答えられない。言われたとおりだ。むしろ、指摘されたことで昂ぶる。織田には、いくらでもなじられたい。織田なしではいられなくなっていることを、もっとよく知ってほしい。
      「……気持ちいいか?」
      「はい――」
       息が乱れていく。ここを満たす織田の質量を思い描く。早く欲しかった。今すぐにでも、飢えて浅ましくひくついているここを貫いてほしい。
      「いやらしい音だな」
       ぬちゃぬちゃと、かすかにも音を立てていることを意識させられる。胸まで淡く色づいた。それも織田に見てもらいたい。両手ともふさがっているから、ぐっと前に突き出した。真っ白なシャツがはらりと開く。
      「……かわいいよ、本当に」
       そこに織田が顔を寄せてくる。見せつけるように、べろりと舌を出した。ベッドでは執拗に動くそれが、掠めるほどに乳首を這う。
      「あん」
       甘ったるい声がこぼれ、次には濡れた唇で強くはさまれた。
      「は、あ」
       じれったさに佐宗は身を震わせる。もっと強くしてほしいと思う。噛んでくれてもいい。きつく吸いついてくるだけでも。
      「あ、あ、あ」
       ねちねちとした舌使いに腰が揺れ始めた。自分でほぐしている箇所は、もう十分に準備が整っただろう。指を抜いた。そのときに、強く乳首を吸われる。
      「ああっ」
       強烈な快感が背筋を駆け抜けた。しどけなく崩れそうになり、どうにか体を支えて佐宗は震える。
      「――欲しいか?」
      「……欲しい」
      「ください、だろう?」
       傲慢な口ぶりにも感じる。圧倒的に自分を支配する織田に、何もかも委ねたくなる。
       満たしてほしい。織田の硬く滾ったもので、深く貫かれたい。果てしない絶頂に追い上げられ、ゆるく長く漂わされて、自分を見失うほどの快感に溺れたい。
       それが自分にできるのは、織田だけだ。
       本当に……好きだから――。
       佐宗は喘ぐ。苦しい声を漏らした。
      「――ください」
      「よく言えたな。いい子だ。後ろを向け」
       穏やかに織田は笑い、冷たい声を聞かせた。
       くったりと力の抜けた右脚を下ろし、佐宗はそろそろと体の向きを変える。作業机にすがるようにして、織田に尻を突き出す。
       その動作すら、織田にじっくりと観察されているとわかるから、興奮が硬く張りつめた。
       シャツを脱がされる。背に、そっと手を置かれた。ゆっくりと撫で下ろされ、じわりと熱が広がる。やわらかく唇を押し当てられた。
      「きれいだよ……実――」
       名を呼ばれ、佐宗は泣きたいような気持ちになる。織田が名を呼ぶことはあまりない。ベッドでならともかく、校内では初めてかもしれない。
       ベルトを解く音がして、腰に手が回ってきた。ほぐれた箇所に、熱く硬いかたまりが口づける。
      「は……っ」
       でも、まだ入ってこない。腰を揺らして誘うが、ぬるぬると股間を行き来するだけだ。
       息が上がる。焦らされても、それは自分を貫く動きと変わらず、期待をあおられ、胸がはちきれそうになって、作業机に突っ伏した。
      「……実」
       織田の声が甘い。背に落ちて、蜜のようにまつわりつき、心を蕩けさせる。
      「――あ」
       自分の興奮の先からも蜜がしたたった。茎を伝って流れ、股間にすりつけて行き来する織田の怒張を濡らすように感じる。
      「淫乱だな、実――まだ子どもなのに」
      「あんっ」
       フッと織田が笑うと同時に、深く挿された。
       鮮烈な快感が全身に広がる。佐宗は大きく背をしならせ、両手を作業机に突っ張った。
       だがすぐに、双方とも織田に捕られてしまう。ガクッと崩れて、また作業机に突っ伏す。背に回された両手首を引かれて、さらに深く貫かれた。
      「あ、あ、んんっ」
       感じてどうしようもない。ゆるやかな律動が始まり、それに合わせて腰が動いてしまう。
      「は、あ」
      「そんなにいいか。しょうがない子だ」
      「ああっ」
       両手首をぐいと引かれた。片手に持ち返られ、もうひとつの手に顎をつかまれる。背に、織田が被さった。繰り返し貫く動きは止めずに、耳元でささやく。
      「ここじゃ、盛り上がるのは無理だ」
       開きっぱなしで、喘ぎを漏らすばかりの口に骨ばった指が侵入してきた。
      「……実」
       吐息混じりに呼ばれた。その響きがあまりに甘くせつないから、もっと織田が欲しくて、口の中の指に舌を絡めた。
      「かわいいよ、実――」
       蕩けた声が耳に吹き込まれる。胸にしみる。
      「ん、ん」
       ぴちゃぴちゃと音を立て、佐宗は織田の指を夢中になって舐める。苦しい体勢を強いられても、織田に求められているのがうれしくて、おかしくなるほど感じる。
       指の先まで痺れて、膝が崩れそうだった。織田は自分の中にいっぱいに満ちて、何度でも出入りして、強引な快感を生み出す箇所を刺激する。
       もっとひどくされてもよかった。だけど、吐息を湿らせていきながらも織田のゆるやかな律動は変わらず、重い熱が腰に溜まる。
       弾けそうで、弾けない。でも、もう絶頂で、快感のうねりにずぶずぶともがく。熱くてたまらない。鼓動が激しくて、息ができなくて、恐ろしく気持ちいい――。
      「く、んっ」
       ぐいと、強く腕を引かれた。織田が根元までぴっちりとはまり、止まる。
      「ふっ、ん――」
       背が反り返り、ビクビクと全身が震える。織田の指をくわえて、口の端から唾液が伝い落ちた。放たれた熱が、ぱたぱたと床に散る。
      「……もたなかったか」
       つぶやきと共に、口から指が引き抜かれた。
      「はあっ、あ」
       呼吸を貪る間に、ぎゅっと抱きしめられる。
      「せ、せんせ……」
      「実――俺のものだ、俺が見つけて捕まえた」
      「せ、んせ」
       佐宗は胸を上ずらせる。せつない声を聞かされ、慌しく両手で乳首をつままれ、ビクッと今一度おののいた。
       浅く抜けた織田が、ずんと深く刺さった。目の覚める快感が頭まで突き抜ける。熱を注がれた。自分の先からも残滓がこぼれる。
      「あ、あ、あ」
       くっきりと目を開き、佐宗は喘いだ。自分を抱きしめて放さない織田が愛しい。
      「実……愛しているから」
       視界が潤み、息が詰まる。頬を強く重ねられ、そっと振り向いた。キスにさらわれる。
      「……気持ちいい」
       離れた唇を見つめ、声にした。胸がいっぱいで、ほかには何も言えなかった。
      「――駄目だぞ。真野も、誰も相手にするな」
      「先生……」
       佐宗は顔をほころばせる。自由になった手で、ずっと年上の恋人の頭を引き寄せてキスをした。
       やっぱり、この人が好きでたまらない。


      おわり


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    素材:君に、