「んー……」 ギシッと椅子をきしませ、井澄は背もたれに寄りかかってパソコンのモニターを眺める。どことなくダサイ。映し出されている画像はライトノベルのカバーデザインで、イラストの背景処理を終えてタイトル文字を乗せたところだ。納品は明日の昼までになっている。 「……どうすっかなー」 アイデアに詰まったら、アプローチを変えてみるのもひとつの手――デザイナーに限らず、クリエイティブな仕事に携わる者にとっては定石の中の定石と言えるが、正攻法ほど侮れないものだ。 『こんなに、ちゃんと好きなのに』 目は画像を捉えたまま、デザインを再考しながら思った。和志にそんなふうに言わせるつもりはなかった。 攻め気に出すぎたかと思う。目の前の画像がそうだ。押しが強すぎると引かれてしまうのはデザインも同じで、アイキャッチを意識しすぎた気がする。 やっぱ、失敗かも。 「ふぅ」 いつのまにか詰めていた息を吐き出し、肩の力を抜いてマウスを握った。頬杖をついてモニターを覗き込み、蛍光ピンクだったタイトル文字をもう少し落ち着いた色に変える。合わせて、背景の明度を調整した。 ……もっとイイ感じになると思ったんだけどなー。 和志を初めて抱いたとき、思ったより抑えが利かなかったことは否定できないが、あれで本当に駄目だったなら和志はとっくに逃げているはずで、そうはなっていないのだから本当に駄目ではなかったと言っていいはずだ。 まー、気持ちはわかる、つーか。 一度も男に抱かれたことのない者が、いざそうなったらどんな心境に陥るかくらい想像がつく。嫌われたくないとか、失いたくないとか、そんな消極的な思いから身を任せたにしても、そこに男も女もない。 つか、ほとんど覚えてないんじゃねえの。 あのときの和志はついてくるだけで精一杯といった様子で、感じていることにすら気づけてないようだった。痴態を取り繕う隙などあったはずもなく、だからこそ、あんなにも啼いてくれて――。 かわいかった。 思い出すとゾクゾクする。まるで頼りなく、普段とはかけ離れて翻弄されるばかりのようだった。 けどなー。 あれからも、ほとんど変わらないのだ。むしろ少しも変わっていない。どんなに近づいても最後の一歩は残しておくような態度を和志はいまだに崩さない。二度目に抱いたときがそうで、切羽詰まったようでいながら意識して理性を抑えているみたいだった。熱くなっていたのは自分だけのような気がする。 「あーあ」 抱いてしまえばすぐにも甘く濃密な関係になれると思ったが、浅はかだったか。焦って先を急いだことは認めるにしても、和志になびいてくる様子が見られないのは――もともとが淡白なのか。 ……あるかも。 このマンションを引っ越し先に選んだとき、両隣に住んでいるのは会社員だと聞かされたことが決め手になった。出社すれば日中は朝から静かだし、夜中もおとなしく就寝してくれて静かだと期待できたからだ。実際そのとおりで、正午前に起き出して明け方までを生活時間帯にしている自分には最適な環境になっている。しかも、両隣とも人の出入りまでほとんどない。 だから、和志を知る前から、和志の身持ちの固さは自然とわかっていた。和志とは反対隣に住んでいる男は中年で、どうやら単身赴任らしく、奥さんと思しき女性が訪ねてきたところを何度か見かけたことがある。しかし和志には人が訪れてくる様子がまるでなく、和志本人ともまともに顔を合わせることがなくて、わりと若い男が住んでいるとしか把握できていなかった。会社と自宅を往復するだけの堅物に思えていたのだ。あの日、夜遅くに米を貸してくれといきなり言いに来るまで。 笑っちゃうよな。 どんだけだよ、と思った。てっきり関口だと思って玄関を開けたら、和志が立っていたのだから。疲れ切った顔で、着ているスーツまでくたびれた感じで、しかしよく見ればなかなかの美形で、いきなり名乗って何を言い出すかと思えば『米を貸してください』だったのだから、あまりの突拍子のなさに呆れてしまった。 和志らしい、って言うか。 今だからそう思えるが、あのときは変なヤツとしか思えなかった。言いなりになったのも、持て余していた米を思い出し、都合よく処分させてもらっただけのことだ。急ぎの色校正で関口が刷り出しを届けに来ることになっていたから、そっちに気が取られていた。 本格的に興味が湧いたのは、和志の料理を口にしてからだ。からかい半分で食わせろと押しかけたら、簡単に応じられて意外だった。しかも出された料理は驚くほどうまかった。特に味噌汁が。 和志はイメージしていたような堅物ではなく、ちょっと変わっていて一緒にいて妙に好感の湧く相手だった。 そうなんだよなー。ある程度のラインまではゆるゆるなんだよな、和志って。 「うーん……」 鈍いから緩いのか。だから押し倒されたら抱かれてしまうのか。そんなはずはないと思う。どんなに近づいても最後の一歩は残しておくような和志だ。我が強い。 そこに惚れたんだけど。 やっぱり、もともとが淡白なのだろう。二度目に抱いたとき、セックスなんて和志には大して意味をなさないことかもしれないと感じたほどだ。 『こんなに、ちゃんと好きなのに』 そんなふうに言わずにいられなくなるくらいなら、素直に感じて溺れればいいと思う。 キスのときは溶けてるのに。 ヘタに追い詰めてしまったか。そのせいで、いっそう頑なに自分を守ろうとしているのかもしれない。たとえ無意識にでも。 「ったく」 めんどくさい、と思いそうになるが、和志のそんなところにたまらなく惹かれるのだから、自分も大概だと思う。 けど、マジにバージンじゃあるまいし。男は初めてでも、女とはしてたんじゃねえの? 「あ」 急にひらめいて、井澄はモニターの画像に見入った。 アプローチを変える――まさに、それだ。やっぱり正攻法は侮れない。 さわやかな秋晴れの昼下がり、井澄は自宅にいてパソコンに向かい、それからの時間、仕掛かり中のデザインを思いどおりに仕上げていった。 週末の献立は平日と少しだけ違う。和志の気分で、調理に時間と手間がかかるものが出てきたりする。 「これも自分で作ったとか?」 「……決まってるだろ」 フイと井澄から視線をそらし、和志はフライを盛った皿を奥の部屋のローテーブルに運んでいく。井澄も味噌汁をついだ椀をふたつ持って、和志に続いた。 今さら照れることないじゃん。 やっぱフライは揚げたてがウマイよな、と先日なんとなく口に出したことくらい、しっかり覚えている。素っ気なく背を見せた和志が、やけにかわいい。 気をよくして井澄はいつもの場所に座り、手を合わせてから箸を取った。 「やばっ。これ超ウマ!」 サクッと揚がったコロッケは、これまでに食べたことがないほどおいしかった。 「なんでー?」 思わず言えば、和志は気まずそうに笑う。気まずそうにすることなどないだろうと思うが、和志だから仕方ない。 「キタアカリ使ったし、油が新しいからだろ」 そんなふうに説明されても井澄にはわからなかった。訊くだけ無駄だったと軽く流して食事に専念する。 フライは、ほかにメンチカツ。トンカツやエビフライではないあたり、いかにも和志の好みで作ったと思われる。あとは市販の和風ドレッシングを使ったグリーンサラダと、いつもどおりにダシのきいた青菜の味噌汁。ご飯は井澄の実家が送りつけてきた米を炊いたもので、自然と箸が進む。 平日よりも早めの夕食だった。テレビにはゴールデンタイムのバラエティ番組が映っていて、ゆったりと時間が流れていく。 やっぱ、和むな。 ふと思い、井澄は胸がきゅっとなる。和志との食事は、初めてのときからそうだった。 『島岡は贅沢なのよ』 フリーになるずっと前、まだデザイン事務所の社員だったときに関口に言われた。 『かわいい女は甘えてきて仕事の邪魔になるから駄目、自立した女は対等に自立を求めてくるから駄目、男に転向しても同じような理由で駄目。本当に贅沢だわ。単に尽くされたいだけじゃない』 営業職の名のもと、クライアントの意向を汲み取り、最適なデザイナーを選び抜くことに長けた、コーディネーター的役割を鮮やかにこなす関口に言われては一刀両断だった。 『クリエーターなら主張があって当然だけど、この仕事でフリーになるなら、継続的にクライアントを満足させられないと潰れるわよ』 そんなことは十分わかっていたし、それに、それは仕事での話だ。プライベートと混同したように聞かされて、あのときは不快だった。 でも――。 隣で黙々と食事を進める和志を見つめる。 落ち着いて、穏やかな表情――静かに整った、きれいな横顔だ。こういうときは、ちゃんと年上に感じられる。同時に、かすかな距離を感じる。 「なに――?」 視線に気づいたのか、顔を向けてきた。 「べつに」 いまだ戸惑うように、薄く笑いかけてくる和志に井澄は言葉を濁す。 「……うん」 そう呟いただけで和志は顔を戻した。ご飯茶碗を取り上げ、フライの皿に箸を伸ばす。その様子に、さっきまではなかった緊張が混ざるのを井澄は感じた。 あえて流した、か。 テレビの音が耳につき、違和感を覚えた。和志の部屋で、和志に作ってもらったものを一緒に食べる、この時間が好きだ。改めて、そう思う。 関口に呼び出され、以前勤めていたデザイン事務所の仕事を泊まり込みですることになり、連絡したくてもできないまま和志とすれ違った日々のあと、ようやく携帯電話の番号を交換したら、和志からこまめにメールが来るようになった。 ごく短いメッセージばかりだ。今夜は何が食べたいとか、メシできたから来いとか、昼食べるなら持っていこうかとか、そんな内容。 和志も俺と同じ。 この時間を大切に思い、きっと今も自分と同じように和んでいて、だから壊れないようにと気を遣う。その気持ちはわかるのだけど。 「和志」 食事を終えて、井澄は箸を置く。ドキッとしたように顔を上げた和志に言った。 「このあと、俺の部屋に来いよ」 「……え」 自分を見つめて丸くなる目を真剣に見つめ返した。土曜日の夜だ。先週と先々週、同じ日にあった出来事を和志が高速で思い返しているのが手に取るようにわかった。 「ん――」 すっと視線を下げ、和志は小さく答えた。頬が強張って、淡く染まったように見える。 井澄は罪悪感が込み上がるように感じたが、わずかだった。替わって湧き上がった喜びに、ほかのどの感情も押し流されて消えた。 ベッドに並んで腰を下ろさせ、井澄が軽く肩を引き寄せると、和志から唇を寄せてきた。 「ふ……ん」 鼻に抜けて聞こえた声が、いつになく淫らに耳に響いた。小さく跳ねた鼓動を井澄は意識する。キスを深くして、胸が熱く染まっていく感覚を心地よく味わった。 少しは変わったのかも。 薄く目を開き、和志の様子をうかがう。うっとりとキスに酔い、そのキスを自ら仕掛けてきたあたり、格段の進歩に思えた。 逃げないし。 「……和志」 湿った吐息をこぼし、井澄はささやく。 「今日は和志が俺を抱く?」 「え」 しかしその瞬間、和志は固まった。当惑を隠そうともせずに、じっと見つめ返してくる。 「俺には勃たない?」 そういうことではないだろう。わかっていて、井澄はあえて言ってみた。 戸惑う和志を置き去りに、井澄はトレーナーを脱ぎ捨て、裸になっていく。ベッドの上掛けを勢いよくめくり、シーツに横たわった。 「――来て」 来いよ、と言いそうになり、そう言い直した。和志は足元近くに半端に腰を下ろしたまま、まだ驚いた目で井澄を見つめている。 「嫌?」 肘で上体を起こし、井澄も和志を見つめた。 「嫌、とか……そうじゃなくて――なんで?」 上ずったように言い、和志は目を瞬いた。 「抱くほうが慣れてんだろ?」 さらりと言って、井澄は口元で笑って返す。和志の目が大きく見開いていった。 「――って。何? 待てよ、どういうこと?」 明らかにうろたえて和志は腰を浮かす。ベッド脇をうろつきそうになり、井澄に腕を取られて立ち止まった。 「俺のこと、ちゃんと好きなんだろ?」 ニヤリと和志を見上げ、井澄は低く言った。ビクッと和志が怯んだ感触が和志の腕を掴む手に伝わった。 「……井澄」 肩を落とし、和志はあきらめたような目で井澄を見つめてくる。 やっぱ、そうなのかよ――。 意外性のない和志の反応に、井澄はため息をもらしそうになる。だが、自分で仕掛けたことだ。撤回するつもりはない。 「――手。放せって」 暗く呟いた和志の腕から手をほどいた。うつむいて裸になっていく和志を井澄は見つめる。果たして欲情しているのか、それは、身をかがめてボトムを脱いだ和志からは知ることができなかった。 「消すなよ」 部屋の明かりのスイッチに手を伸ばす和志を止めた。不服そうな目がこちらに向く。 「暗いと何も見えない」 「あ」 結局は焦れて、井澄は和志の腕を掴み、ベッドに引きずり込んだ。仰向けになって和志を受け止める。 「抱きな」 鼻先を突き合わせて言った。抱いて、とは出てこなかった。 「井澄――」 ためらうように和志は吐息を落とす。井澄の両脇に手をついて上体を支え、胸を離してかすかに頭を振った。 「ハァ」 あからさまなため息と共に肩から力を抜く。井澄の目を見つめてきて、片手でそっと井澄の頬に触れた。 ……和志。 浅く息を呑み、井澄も和志の目を見つめる。やわらかな眼差しだ。情欲の熱も見られないが、ためらいも戸惑いも、もう見られなかった。その目が、すっと細められる。 「井澄……」 かすれた呼びかけは、妙に甘く井澄の耳に響いた。見つめ合う中、和志の唇がゆっくりと落ちてくる。頬を包む手に引き寄せられるようにして、井澄は和志のキスを受け取った。 ……ふうん。 和志は、こんなふうにキスをするのかと思った。ついさっきもそうだが、これまでは和志から唇を重ねてきても奪い返すばかりだったから、本当の意味で和志からキスを受けるのはこれが初めてだ。 自分よりも薄い舌が口の中をまさぐる。落ち着いて、じっくりとした動き。上顎に触れ、舌をかすり、絡んできてやさしく吸った。 やらしい。 自分のするキスとはまったくと言っていいほど質の違うキスに胸が上ずっていく。まだるっこい甘さに焦れて奪い返したくなるが、努めておとなしくしておく。 「……ん」 声がもれて、井澄は胸を喘がせた。和志の胸が重なってきて、素肌がこすれ合う。和志の手が、ゆったりと頬を撫でて髪にもぐり込んできた。頭を抱えられ、キスが深くなる。 かなりクルな――。 抱かれるのも悪くないかも、と少しだけ思った。相手が男でも女でも抱いた経験は相当あるが、実は抱かれたことは一度もない。女にも、だ。 「は、あ」 キスが解かれ、和志は下がっていく。耳に首筋に、唇が押し当てられた。肩から鎖骨にかけて舌で辿られ、思ったとおり、胸に吸いつかれる。そのあいだにも、じわじわと火照っていく肌を手のひらでじっくり探られた。 なんか、たまんねえな、これ。 和志に好きなようにさせたいと思って始めたことだが、簡単に揺らぎそうになる。すぐにも体を入れ替えて和志をシーツに組み伏せたくなる衝動が湧いてきて、抑えるのが結構つらい。 「ん」 身をよじり、井澄は和志を見つめる。胸の尖りを熱心に舐めている。そこから伝わる快感よりも、その行為に没頭するような和志を見ているほうが、ずっと興奮する。 ったく、かわいいって。くっそぅ。 うっすらと上気した頬が、さらりと落ちた髪の合間に覗く。濡れた舌先が尖った乳首を押し潰している光景は、ひどく淫猥だ。 井澄は腰を浮かせそうになる。脇腹や腿のつけ根はかなり感じる箇所で、気づいてか気づかないでか、和志はさっきからそのあたりばかりをまさぐっている。 ああ、もう! 男を抱いている意識があるのかと問いたくなる。井澄の屹立は十分に怒張してきて和志の肌に突き立っているのに、和志は一向に触れてこない。 「はあ」 枕に頭を預け、顎をのけぞらせて井澄は大きく息をつく。かなりのところまで昂ぶってきているのに、それより先になかなか行かせてもらえなくて焦れる。甘くやさしいだけの愛撫がこのまま延々と続くのでは、おかしくなりそうだ。 「井澄」 そんな井澄の様子に気づいたのか、顔を上げて和志が覗き込んできた。目を合わせ、井澄はじわっと胸が熱くなる。 なにこのエロい顔……。 抱いているのは和志のはずなのに、抱かれているときの顔をしていた。うっとりとして、蕩けたような眼差し。頬を染めて、薄く開いた唇から熱く湿った息をこぼしている。 思わず井澄は和志の肩を掴んでしまった。押し返しそうになり、ハッと見開いた目を向けられ、慌てて取り繕う。 「なんで、触んないんだよ」 「え……」 「ここ!」 開き直って和志の手を引く。硬く猛ったものを握らせ、その上から和志の手を包んだ。 「あ――」 一瞬で和志は顔を真っ赤にする。うろたえたように井澄に視線を流してくる。 「男とヤってるって、わかってる?」 「わ、わかってる……」 すくみ上がったように身を起こし、和志は膝立ちになった。つられて井澄も上体を浮かせ、肘で支えた。そうなっても、ふたりの手は井澄の硬く起ち上がったものを握っている。 「あ……っ」 小さく声を上げ、和志は頭をたれて片手をシーツについた。 「は、あ」 喘ぐような息をつき、ふるっと肩を震わせる。ゆっくりと、井澄を上目で見つめてきた。 「和志――」 井澄は視線を下げ、和志の股間に目をやる。膝立ちになっていては、丸見えだった。 ……こうなるなんて、ね。 ニヤッと口元で笑い、井澄も上目遣いに和志を見た。目が合い、和志は怯えたようにそらす。ふたりの手に包まれた中で、井澄のものがぐんと硬くなった。 「あ」 ビクッとしてそこに目を向けた和志に井澄は言う。 「これが欲しくなっちゃった?」 弾かれたように和志が顔を上げる。大きく見開いて自分を見つめる目から離れ、井澄は上体を戻した。ゆったりと横たわって和志を見上げ、顔をニヤつかせてわざと暴言を吐く。 「和志が抱いてるんだから、好きにすれば?」 頬は赤く染まったまま、和志はひっそりと眉を寄せた。そのくせ、唇からこぼれてくる息は喘ぎとしか聞こえず、股間に起ち上がっている先がぬらぬらと濡れて井澄の目に映る。 「どうしたい? どうしてほしい? あんたが抱いてるんだから、言えばいいじゃん」 和志がカッと頬を熱くしたのが、目に見えてわかった。 やったな。 井澄は満たされた気分になる。和志に攻め気を起こさせれば、もっとスムーズに関係を楽しめると踏んでいたのだ。 「俺は、和志をイかせたいよ、たくさん」 すっかり情欲に染まったあとにこんな事態になって、和志が戸惑う気持ちはわかる。井澄の屹立に触れ、それまでとは違う情欲が湧いたことを強引に認めさせた自覚はあった。 「疼いちゃう?」 いっそう恥ずかしそうになる和志が、たまらなくかわいい。 「欲しがれよ。俺は、うれしい」 「だったら」 切羽詰まったように顔を上げ、和志は言い切った。 「できるように、しろよ!」 「ん」 井澄は長い腕を伸ばしてベッドサイドの棚からジェルを取り上げ、それを右手に広げた。仰向けのまま和志の腰を左手で引き寄せ、ぬるついた手を後ろに回して和志の狭い器官を探り始める。 「は、あっ」 井澄の上に四つん這いになる格好で和志は息を吐く。井澄は間近に迫った唇に唇を寄せ、しかし触れる前に離した。すぐに和志の唇が追ってきて深いキスになる。 わかってんのか――? 今、とんでもない痴態をさらしている自覚が和志にあるのか、疑わしく思った。井澄の指の動きに合わせるように和志の腰は揺れ、それに伴い、和志の先端がこすれて井澄の腹をぬめらせている。 しかし和志はキスに没頭しているようだった。この部屋に来て、和志から先にキスしてきたことを思えば、たぶん和志はキスに何も抵抗を感じなくなったのだろう。 むしろ楽しんでいる? そんな気にもなってくる。こうも執拗に続けられては。 ――あ。 「ふ」 顔をそむけ、井澄はキスから逃れた。 「は、あ、ああっ」 途端に和志の唇から声が漏れた。 「ったく、しょーがねーな、あんた」 半ば呆れて井澄はクスッと笑った。泣き出しそうな目になって和志が睨んでくる。 「ここ、気持ちよくない?」 「はっ」 意図して、見当をつけた箇所を指の腹で引っかくようにこすった。体の内側から強い刺激を受け、和志は顎をのけぞらせる。 「あんたさ、初めてのときも、ちゃんと中で感じたよな?」 和志は答えない。四つん這いの格好のまま、がっくりとうなだれて肩をかすかに震わせる。 「和志の中、こうしてると、俺、すっげー感じる」 ほら、と腰を浮かせて硬く張り詰めたもので和志の内腿をこすった。 「……感じる?」 和志はゆるゆると首を振り、吐き捨てるように言う。 「い、すみ! オレは、もう……!」 「泣いちゃう?」 それこそ泣きそうな目が、ギリッと井澄を睨んだ。和志が膝立ちになるのに合わせて井澄は指を抜く。 「どうすんの? 和志が俺を抱いてんだよ? 感じさせてイかせて?」 ちょっといじめすぎてるかな、と思った。だけど、いつになっても仕方なく抱かれる和志でいられては嫌なのだ。自分ばかりが熱くなるのでは。 欲しいんでしょ、と言おうとしたら、和志が腰を落としてきた。ぬるりと狭い器官に呑まれていく感触に、井澄は驚いて素直に喘ぐ。 「あ、は!」 「んっ……」 和志――。 胸が熱くなる。駆け引きを忘れる。ぐらりと視界が揺れ、井澄は慌てて和志をしっかりと目に捉えた。 「たまんないよ、和志……」 音を上げて、すがってくると思っていたのだ。本当に和志からつながってくるとは、信じられない思いで井澄は和志を見つめる。 めちゃくちゃ色っぽい……! そうなっても和志は喘ぐばかりで、少しも動こうとしない。明るい室内にいて、井澄にまたがり、両手を伸ばして井澄の腰をきつく掴み、顎をのけぞらせて浅い呼吸を繰り返している。 なめらかな胸と、そこにある飾りのような粒が井澄の目を捕らえる。それより下で、高く天井を向いた欲情のしるしも。 「あ、あ、あ」 ガクッと和志は崩れ、しかし井澄の腰を掴む指先にはぎゅっと力が入った。井澄は和志の中で、じわっと締めつけられる。 「和志、和志」 俺のほうがヤバイって。 胸にぐったりと倒れた和志を井澄はかき抱いた。その勢いで、つながったまま体を入れ替える。和志を仰向けに横たえ、胸の底から湧き上がった息を吐き出し、そっと額にキスをした。 「……井澄」 とろんとした目が見上げてくる。戸惑っているような、あきらめているような、頼りない眼差しを受けて井澄は胸が痛んだ。 「俺も、ちゃんと好きだ」 声にして伝え、もしかしたらストレートに気持ちを告げたのはこれが初めてじゃないかと思った。 「井澄……!」 和志がかじりついてくる。首に両腕を絡め、頬を重ねてこすりつけてくる。 「……動いていい?」 訊かずにはいられなかった。和志を追い詰めた自責の念が、こんなときになってせり上がってくる。 「本当に、ちゃんと好きなんだ」 それが和志の答えと聞いて、井澄はゆっくりと動き始めた。伸縮するような和志の内壁に絡め取られる気がして、瞬く間に昂ぶっていく。 「和志、和志」 夢中になって呼んでいた。そんな自分に気づいて井澄は戸惑う。だが和志はいっそうかじりついてきて、悩ましく腰を揺らしていた。 「あ、あ、あ」 絶え絶えに聞こえる和志の喘ぎで井澄の胸はいっぱいになる。温かく満たされ、この感覚が欲しかったのだと強く思った。 「井澄、もう、もう――」 「イっちゃいな」 ことのほか甘く響いた自分の声に泣きたいような気持ちになった。和志の唇を探り、たっぷりとしたキスをする。 「ふ、ん――」 重なる肌の合間に飛び散る熱を感じた。 「くぅ」 低く唸り、井澄も熱を放つ。じっとりと薄く滲んだ汗にまみれ、和志を抱きしめた。 なかなか息が静まらない。気がついて、そんなにも夢中になっていたと知り、井澄は淡く自嘲する。 「井澄」 和志の掠れた声を耳元で聞いた。いっそう強く抱きしめ、井澄は頬をすり寄せる。和志が深い吐息をついた。喉元が温かく湿り、井澄は目を閉じる。 ゆったりと溶けていく気持ちを味わった。心地よく満たされて、安堵に漂う感覚を――。 「……和む?」 和志の声を聞き、こくりと井澄は頷いた。 「オレもだ。裸でおまえに抱きしめられると、オレも和むよ」 「……マジ?」 つい訊き返してしまった井澄を和志が見上げてくる。 「テキトーに言ったように聞こえた?」 「ごめん――」 呟いて、謝るなんて久しぶりだと井澄は思った。本当に久しぶりだ。自分から折れたくなったなど。 唇が重なってくる。和志にキスされて井澄は胸を溶かす。慎ましく、遠慮がちなキス。だけど執拗で、いつまでも甘ったるく続きそうなキス。それが、和志のキス。 「――ん。やらしいよ、和志」 「……そう?」 「和志は、いやらしい」 ほほ笑んで、間近に和志を見つめる。和志の手が伸びてきて、そっと唇に触れた。 「おまえとキスするのは好きなんだ――」 揺らめく眼差しで、和志は続ける。 「丸々一週間、一度もくれなかったから淋しかった」 抱きしめて、井澄は和志の肩に顔をうずめる。胸を震わせて思った。 あたりまえじゃん。あんたが欲しがるキスなんてしたら、止まらなくなる。 「なんで土曜日に抱くのか、わかれよ」 思わず言えば、熱い吐息と共に答えが返ってきた。 「わかってる。わかってるから、井澄――」 唇が触れ合う。気持ちを伝え合うには淡いキスで十分と、ふたりして知った。 おわり ◆作品一覧に戻る |
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