――さて。 壁際の椅子に座り込んで、いつまでも黙っている、それこそ香り立つようなぼくの「男」を――どうしようかと……思う。 こうなるのは、初めからわかっていた。だからぼくは嫌だと言っていたのに……そんなことを思っても、今さらなんだけど。 目の前に座ったきり何も話さない秀二を、ぼくは小さくため息をついて見つめる。 アイボリーのパネルを張り詰めた内装の壁、その前に置かれた椅子――真紅の布張りで、肘掛のついたイタリア製のそれは、ぼくのお気に入りだ――そこに座る秀二は、悔しくなるくらいハマって見える。 部屋は、フロア・スタンドがふたつ灯っているだけで、ほの暗い。秀二の横顔は、やわらかなオレンジの光に包まれていて、ひどくセクシーだ。こんな状況でなければ、いつまでも見とれていたくなる。 「……ふぅ」 うっかり深いため息をついたら、チラッとにらまれてしまった。もう一度ため息が出そうになるのを堪え、ぼくは窓に歩み寄る。外は、また雨だ。ブラインドを下ろした。 梅雨を迎え、内装工事に入っていない建築現場は休みになりがちで、日中にデスクワークを片づけられる日が続いている。残業が減るのはありがたいけれど、工期を思うと少し憂鬱になる。もっとも、工期は季節を考えて見積もってあるのだけど。 今日もそうだった。昼前から激しい雨になって、定時過ぎには仕事が一段落してしまった。それは秀二も同じで――。 『もう帰れるなら、今夜、行きません?』 休憩室でコーヒーを飲んでいたら、そう言ってきた。 『明日は休みだし、雨、やんできたみたいだし――』 一緒に会社を出られそうなときは休憩室でさりげなく待つのは、もう、ぼくたちには約束事のようになっているのだけど――。 『行くって……どこへ』 改まって誘うからには、ホテルではない、ってことだ。秀二はそんな無粋なマネはしない。いつだって、並んで駅へ向かっていたはずの足が、ふと向きを変えてぼくを誘うわけで――だから、それは……そういうほうが、ぼくの好みだと――わかっているからだ。 『――二丁目』 聞かされて、ぼくはよほど嫌そうな顔をしたのだろう。秀二は、フンと目をそらして、ぽつりとつぶやいた。 『そっちがダメなら、小宮サンとこ』 ため息が出そうになった。 二丁目に一緒に行きたいというのも、ぼくの家に来たいというのも、もう何度も言われている。だけどぼくは、どちらも嫌だった。理由は、できれば話したくない。それで――話していない。 ぼくが黙り込んだものだから、秀二はマジな顔になって、ぼくの目を覗き込んできた。 『オレたち、もう一ヶ月過ぎてんですよ? なのに、なんでホテルばっかなわけ?』 そう言われては、困ってしまう。 二丁目はともかく、恋人の家に行ってみたいと思うのは、ぼくも同じだ。でも秀二は家族と同居だから、ぼくが秀二の家に行くのは無理で、それならぼくの家、となるのは当然なんだけど。 ぼくだって、本当なら秀二を呼びたい。なのに、実際には、はぐらかすばかりになっていて――悪いと思っている。でも――。 今は、できれば来てほしくない。 『わかった。おまえの知ってる店なら――』 ぼくの知ってる店ではダメだ、過去は知られたくない。 『え〜、そっち?』 『文句あるなら、今日はまっすぐ帰る』 こんな、恋人を脅すようなことは言いたくなかった。だけど、ぼくには究極の二者択一でもあるんだ。妥協案に妥協してほしい。 『……なら、いいよ、それで』 少しムッとしたような声で言って――。 『そのかわり、オレの好きにさせて。明日の――朝まで』 耳元に唇を寄せてきて、ゾクッとする声で、そんな甘ったるいことを言うから――だから、ぼくは流される。秀二のこういうところが、たまらなく好きだと――何度でも思う。 それでぼくは、同類の男たちが集まる場所に行って、自分の恋人を見せびらかしたいと言う年下の恋人に浮かされて、流されて、従ったのだけど……結果は予測した以上に最悪になった。 食事をした店は、まだいい。女性客もたくさんいる普通の店で――まあ、そのせいもあって、そっちでも視線を感じてならなかったけど、それは、ある意味いつものことで――最悪だったのは、そのあとに行ったバーだ。 秀二の知っている店だったにも関わらず、すっかり様変わりしていたらしく、ひとりも顔見知りがいないと秀二は言って――それは、店員も含めてで――ぼくたちは、無遠慮な目線に思い切りさらされた。 『あのふたり見ろよ。デキてると思う?』 『だったらフツー、こんな店、来ねえだろ』 『おまえ、どっちにする?』 本当には聞こえなかったけど、全部聞こえたのも同じだ。カウンターとハイテーブルがあるだけのショット・バーで、入ったときの雰囲気は悪くなかったのに。 秀二はダイキリを、ぼくはマルガリータを手に、ちょうど空いていたハイテーブルに並んでもたれて、軽くグラスを合わせてからだ。 無遠慮な目線をビシビシ感じるだけでなく、さりげなく、あるいはあからさまに声をかけられ、テーブルに来られ――。 秀二はだんだん不機嫌になっていくし。それは、ぼくも同じで。 なんて言うか……互いに、どれだけモテるかを見せつけ合ったようなものだった。 『オレ、あんたを自慢したいよ』 そんなことをぼくに言う秀二はわからなくもなかったし、きっとその気持ちは、ぼくにもあったんだと思う。 でも、そんなことをして満足が得られるなんてないわけで――互いの魅力は、互いがわかっていれば十分、って言うか――。 ぼくは、秀二がモテるのを目の当たりにして、ヒヤヒヤするような、嫉妬みたいな気持ちになって、苦しかった。 実はそれは、ぼくよりも秀二のほうが、いっそう強かったらしく――。 『出よう』 ワンショット飲み干す前に、ぼくの手を引いてバーを出た。 『――ムカつく』 歩きながら悔しそうに吐き捨てて、ぼくの手をぎゅっと握るのだけど、こうなるかもしれなかったのを少しも考えないで、あんな店にぼくを連れて行ったのは、秀二だ。 『だから行きたくなかったのに……』 つい口に出してしまった。そうしたら、こうだ。 『あんたが、オレを家に来させないからだろ』 ……なんで、そうなるかな。 『何か、あるんだろ? オレが行ったら――困るようなこと……』 呆れて、ため息が出た。 年下と、ちゃんとした恋人としてつきあうのは秀二が初めてだけど……こういうのって、年下とか、そういうことじゃないと思う。 『――好きにしろ』 投げやりに言って、握られていた手を振りほどいた。驚いて立ち止まった秀二に背を向けて先を行った。 『オレの好きにさせて。明日の――朝まで』 そう言われて、ときめいたのが嘘のようだ。浮かされて、ぼくはいったい何を期待していたんだと……自分が情けなくなった。 こんな――気まずい雰囲気に、きっとなるとわかっていたのに。それが嫌だから、今日まで断ってきたのに。もう、同じだ。ぼくの家に来て秀二が何を思おうと、構わない。 秀二はすぐに追ってきた。間の悪そうな、照れくさそうな顔で、それでもぼくと話そうとしてくれたのだけど、ぼくの家に着くまで、ぼくたちは気まずいままだった。 そして、今。 また、予測どおりの事態になっている。 ぼくの住むテラスハウスは、うちの会社の施工だ。秀二は、一目でわかった。 『ここ……上原サンの――』 ぼくが鍵を開ける背後でつぶやいたものだから、すっと背筋が冷えた。 やっぱり、連れてくるんじゃなかった。こんな――自分の恋人が自分とつきあう前に好きだった相手を思い出させるような家――。 『言っとくけど、基本設計は上原でも、内装デザインはぼくだからな』 そんなつまらないことまで言ってしまい、うっかり口走った自分に嫌悪して、暗く沈む気分で中に入った。 二階建てのテラスハウス――外壁はコンクリートの打ちっぱなしで、内装も、外装から受ける印象を裏切らない、都会的な雰囲気で仕上げてある。 一階はワンルーム仕様で、南側の半分は吹き抜けになっている。日当たりのよい立地で、玄関を入った正面に大きな窓がある。 二階はロフトのようにも見えるけど、八畳近い広さで高さもあって、ちゃんと階段もついている。ぼくはベッドルームに使っていて、一階は書斎を兼ねたリビングにしている。 ある程度の収入があって、都会的なものを好む単身者を想定して、上原とぼくが設計した賃貸物件の一室だ。 そうだ――ぼくたちが設計した。ぼくと、上原が。ぼくと上原の設計をよく知る者なら、その特徴を随所に見つけられる。 だから……秀二には来てほしくなかった。 上原は同僚であり、ぼくには親友でも、秀二には好きだった相手だ。それも、報われない覚悟での一年に渡る片想いだったわけで、しかも、そのことをぼくは知っている。 秀二の口から上原の名前は聞きたくない。仕事中は無理で当然だけど、ふたりで過ごすプライベートな時間では勘弁してほしかった。 ここに来れば秀二が上原を思い出すのは予測できていたことで、実際に、そうなった。自分の家にいて、恋人が以前好きだった相手を思い出したなんて、最悪だ。 また、ため息が出そうになる。秀二は何を思ってなのか、リビングに入ってから、ずっと黙ったままだ。 不機嫌そうな態度――壁際の椅子に座り、長い脚を高く組んで、肘掛に頬杖をついて、そっぽを向いている。 いつもと変わらないダークスーツ姿――サマースーツになっても濃い色を着るのは秀二のこだわりだ。真っ白なシャツはショートポイントの襟で、新緑を思わせる色の細いタイをきりりと結んでいる。 それが、すらりとした体躯に映えて、シャープな顔立ちにもよく似合っていて、こんな状況でも、ぼくは見とれて――ゾクッとしてしまう。 こういうのって……自分に呆れたくもなるのだけど――わかりきったことだ。 ぼくは、この男が好きでたまらない。不機嫌そうな態度を見せられても、気まずい雰囲気にあっても。こんな状況を招いたのは、ぼくではなく、秀二だとしても。 小さく吐息をついた。窓を離れる。 「……え?」 目の前を横切ったぼくに、秀二は顔を上げた。構わずに、バスルームに向かう。 いいんだ、秀二とは、どうせ体から始まった関係なんだから。今夜、秀二がここに来たのも、そのためなんだから。 どんな状況で、どんなふうに抱かれたって、ぼくは構わない。いっそ、今夜は抱かれたい。あんな店に行って、苦い思いをしたあとなら、なおさら――。 なのに……どうしてだろう。 秀二に初めて抱かれたあの夜よりも、暗い気分になってくる。あのときは、秀二の気持ちがぼくになんて少しもないのを知っていて、抱かれたのに――。 シャワーのコックをひねったら、深いため息が出た。 ぼくは、あの日――上原の結婚式の夜、秀二が上原に失恋して弱っているところにつけこんで、半ば強引に、ぼくを抱かせたんだ。 ぼくたちがつきあい始めたのは、その直後のことで、だから……ぼくたちの関係を体から始めてしまったのは、ぼくで……今になっても、そのことで秀二に引け目を感じるのなら、仕方ないと……思う。 ――だけど。 この家で――上原の影を感じる部屋で、秀二に抱かれるのは……やっぱり、避けたかった。今の秀二に、上原を想う気持ちは少しも残っていないとしても。 シャワーを止めても、しばらく動けなかった。ため息が湧いてならない。着替えは脱衣室にある。二階まで取りに行くのが面倒で、そうするようになった。 着替えてリビングに戻ると、秀二は椅子を離れてデスクの前にいた。ぼくに気づくとハッとした顔になって――それから……照れたようになって、ぼくをにらんだ。 「あんた……なに考えてんだよ」 「――え?」 そんなふうに言われるなんて、思い切り予想外だ。 秀二は、戸惑うぼくから目をそらし、椅子に戻って、また高々と脚を組む。 「だからさ。なに考えてんだって、訊いてんの」 「なにって……」 「シャワー浴びて、そんなパジャマなんか着ちゃってさ。シルクだろ? それ。なんだよその色、似合いすぎだっての」 怒っているのか、照れているのか――言い捨てて、舌打ちする。 「色って……べつに、ただの紺だし――」 答えて、顔が熱くなる。これじゃまるで、ぼくだけがその気ってことで……恥ずかしい。 「あっ」 思わず二階に逃げかけたら、咄嗟に伸びてきた長い腕に手を捕られた。強く引かれ、ぼくは秀二の胸に倒れ込む。息をつく間もなく、ぎゅっと抱きしめられた。 「あんたさ……天然だなんて、言わせねえからな」 「秀二……」 「オレあおって、どういうつもりだよ」 「――え?」 つい、見上げてしまった。 「って……小宮サン〜」 ぼくの肩に顔をうずめ、秀二は情けない声を出す。ハッキリ言って――何がどうなっているのか……ぼくは少しもわかっていない。 だけど――抱きしめられて、ぼくはホッとしている。秀二のスーツの胸に包まれ、ぬくもりを感じている。やっぱり……気持ちいい。 「あ……」 するっと、秀二の手が滑った。薄いシルクの上から撫で下ろす感触が、背筋をざわめかせる。 「……感じやすいんだから」 耳元でささやかれ、ゾクッとした。 「たまんねえじゃん、これじゃ」 ――って、何……? 「バカやって、自分に嫌気さして拗ねてるオレなんて……チョロイよな」 「え?」 「そういうことなんだろ?」 「はっ」 秀二の手はぼくの前に回って、胸のソコをつまむ。 「彰……オレは、あんたに比べれば仕事じゃまだまだだけどさ――だからって、何もかもそうだなんて、決めつけんなよ」 片手で器用にボタンをはずし、今度は指先で触れてくる。 「ん! ぼくは、何も……決めつけてなんか――」 「なら、このカッコは何だってんだよ」 パジャマを滑らせた。はだけた左肩に、唇を押し当ててくる。 「あんた、色気ありすぎなんだって。いつも言ってるのに……肌もこんなでさ――」 苛立った声でささやき、かすめるように唇を動かしていく。 「はっ」 ダメ、声がもれる。秀二に、こんなふうにされるんじゃ――。 「そそられるっての。流されちゃうじゃん」 「はっ、ん……」 首筋を舐め上げてきて、ぼくの耳に唇を触れさせて、湿った声で低く言う。 「オレ……ムカついてんだよ……あんな店、行かなきゃよかった。あんた――オトコあしらうの、ウマすぎ」 「……え?」 すっと、冷えた。男をあしらうのが、うまいって……。 「言えよ。なんで、オレをここに来させたくなかった?」 「あ……」 「どうしてだよ!」 「あ、あ……しゅう、じ!」 両手首を捕られ、高く持ち上げられた。ぼくは秀二の上からずり落ち、床に膝をついて――吊るされた格好になる。 「オレ、すっげー怒ってんの。わかってる?」 「はっ」 秀二は、ぼくの胸を舐める。パジャマのはだけた左だけを、べろっと突き出した舌の先で――。 「ん……ん、ん」 そんな、ぐりぐりと刺激しないでほしい。そんなふうにされるんじゃ、ぼくは――。 「はぁ……っ」 「……ダメだよ彰――こんな、感じやすいのに……悔しくて、たまらなくなる」 「あ……!」 耳の中に、濡れた舌先を挿し入れた。 「オレの気持ち、信じてないんじゃ――」 「はっ」 いっそう唇を寄せてささやく。 「オレ……狂っちゃうよ?」 「ん!」 カプッと耳たぶを噛まれて――全身が震えた。甘い痺れが背筋を駆け上っていく。力が抜ける……膝をついてもいられなくなる。だけど、腕は吊るされていて――。 「――彰」 ハッキリとした低い声で呼ばれた。そっと目を向ければ、鋭く見つめ返され――ゾクッとする。 たまらない。こんな格好にされて、そんな目で見つめられて……そんな、まっすぐに、熱っぽく見られて――釘づけになる。 「愛してる」 「あ」 低くささやいた途端、のしかかってきた。あっという間に、フローリングの床に押し倒される。 「……ん」 組み伏され、ディープなキスをされた。唇のやわらかな感触、絡んでくる舌の熱さ……たっぷりと濃厚で、食い尽くされてしまいそうな――。 「……オレなんて、チョロイよな?」 濡れた音を立て、離れた唇が言う。 「あんたがモテんの、わかってたつもりだけどさ。だから、自慢したかったんだけどさ。それであんたの過去に妬いてんじゃ、世話ねえよな――」 ぼくを淋しそうに見下ろし、秀二は言う。 「あたりまえだよな、あんた年上だし、そんなだし……モテまくりで、オレなんかより、ずっと経験あるって?」 「しゅう、じ……?」 「いいんだよ、そんなのは。けどさ、オレまで同じにされんじゃ、ムカつくよな!」 「あ、あ、あ」 バッと、パジャマを払われた。秀二は、素肌をさらした胸に、むしゃぶりついてくる。 「はぁ、ん!」 荒っぽくぼくをなぶり、燃え上がらせる。 「オレなんて、楽勝で言いなりだよな?」 熱い吐息を落としながら、苦しそうに言う。 「こんなに夢中にさせといて……信じてないなんてさ……」 震える唇を肌にさまよわせて、つぶやいた。 「そうなんだろ? ここ……上原サンの設計だから、オレを来させたくなかったんだろ?」 「……秀二」 「たまんないよ、小宮サン……あんたがそんなんじゃ、オレ……どうしたらいいか、わかんねえよ」 動けなかった。秀二も、ぼくに重なるだけになる。 秀二はぼくを組み伏し、ぼくの両腕をきつく掴んでいる。そうしながら両肘で上体を支え、ぼくの肩に顔をうずめている。 耳をかすめる秀二の吐息は熱くて、荒々しく昂ぶりそうになるのを抑えているのが、よくわかった。ぼくの鼓動は速く、それは秀二も同じで――。 「オレ……あんたが好きだよ、本気だ。あんたがオレに本気なのもわかってる。けどさ……こういうのは、どうなんだよ?」 絞り出すような声をもらした。 「――オレ……どうがんばっても、本当には、あんたをモノにできないような気持ちだ」 「秀二……」 声が続かなかった。胸がふさがれる。体中から力が抜けた。 ぼくたちは、どれくらいそうしていたのか。 そのあいだ、ぼくは言葉を探していた。吹き抜けになっている、遠い天井を見つめて。 ぼくは――秀二をここに来させたくなかった。きっと、こうなると思っていたから。 でも、それは――。 もしかしたら秀二は、本当のところでは、まだ上原が好きなんじゃないかとか……ほんのわずかでも、その気持ちが残っているんじゃないかとか……考えたくないから、考えていないつもりになっていた、平気な顔をして。 本当は、不安……だったんだ――。 「……ごめん」 重なる体に、そっと両腕を絡める。 「ごめん、秀二――」 ぎゅっと強く抱きついたら、胸が痛んだ。 「ぼくが悪かった……」 ぼくが秀二を不安にさせた――。 「小宮サン……」 ぼくの耳元で、秀二は戸惑う声をもらす。 「そんな、他人みたいに呼ぶな」 遠慮なんてしないでほしい。もっと強引に奪ってくれればいい。不安なら、なおさら。 「彰」 「うん」 「オレが欲しいのは、あんただけだ」 秀二もぼくを抱きしめてくる。 「誰よりも好きだ――言って信じてもらえるなら、何度でも言う」 顔を上げて、ぼくの目を見つめてくる。 「言わなくて、いい――」 まっすぐに見つめ返し、きっぱりと言った。 「そういうのは、感じるものだから」 そうだよ――ぼくは感じてたじゃないか。 ぼくを求める秀二の熱さ――今までのあれが単なる情欲ではないことくらい、とっくにわかっていたはずだ。 だから。 「いっぱい感じさせて――秀二も感じて」 そして秀二も不安を消して、跡形もなく。 「彰……!」 「はっ」 熱っぽく抱きすくめられ、それだけで感じた。秀二の匂いを胸いっぱいに吸い込み、瞬く間にさらわれていく。 そこに、やさしいキスが落ちてきて――求められる熱さは同じでも、さっきみたいな荒々しさは少しもなくて――。 ぼうっとさせられる。こういうのは、ダメだ……本当に。体が疼く。焦らされるのは好きだけど、でも、今は。 「ん!」 ぼくは首を伸ばし、グッと舌を挿し入れた。秀二の上顎を舐め回し、舌を吸って貪る。 もどかしく、秀二のタイをほどいた。スーツの上着を落とし、ボタンを両手ではずしていく。じれったい、シャツを引き抜く勢いで、秀二を押し倒した。 「――彰」 「じっとして」 戸惑って、ぼくを見上げる顔――そそられる。 ほのかな明るさの中、頼りないオレンジの光に照らされて、秀二は、ひどくセクシーだ。 床に乱れる髪も、軽く見張った目も、濡れて薄く開いている唇も――たまらない。 そのひとつひとつに、ぼくは触れた。やわらかな髪を指で梳き上げ、なめらかな頬に指先を滑らせ、すっきりと通った鼻筋を辿り、薄い唇をなぞる――胸が震えた。 「秀二……ぼくの、ものだ」 ゆっくりと体を倒していった。熱い吐息が湧き上がる。裸の胸を合わせ、うっとりと指先で辿る。 「……彰」 感じやすいところを舐めれば、甘い息をもらした。脇腹を撫で下ろす。ベルトをはずした。手を忍ばせて握れば、硬く張り詰めていて――。 「彰」 「動かないで」 全身が熱くなる。握ったものに口を近づけていく。秀二は腰を浮かせ、それで、ぼくは秀二の着るものをすべて下ろした。 だから……こんなことをして酔わされてときめくのは、たまらなくこの男が好きだからで……秀二が……ぼくは……どうしようもなく欲しくて……。 「――もらうよ」 小声で言って、膝で立った。秀二の肩につかまって、下を脱ぐ。腰を落とした。 「――彰」 聞こえたのは、心配そうな声で――でも、大丈夫。 「彰……」 困った声になって、秀二は薄く笑う。 「こういうのは……ダメ?」 伏せていた目を上げて尋ねれば、苦笑を深くした。 「ダメ……あおるなよ」 「あおってるんだよ――」 秀二のもので、迎え入れる用意をする。根元を片手で支えて、硬く張った先端をうずめる。息を吐くのに合わせ、ゆっくりと腰を回しながら、少しずつ深さを増していく。 ぬるぬるするのは、秀二も感じているから。それを思うと胸が熱くなる。 秀二の吐く息が熱く湿っていく。ぼくの息も湿っている。胸が高鳴る。とっくに硬くなっているぼくのものからも、しずくがあふれ出す――。 「……いやらしいな」 艶っぽく細めた目で、秀二はぼくを見る。 「嫌?」 「たまんないよ――されっぱなしになる」 フッと口元で笑う。 「うん――」 握っていた手を離し、秀二の両肩につかまった。さらに腰を使い、じわじわとうずめていく。 「でも……秀二を、言いなりにしようなんて……思ってないから」 「彰?」 「感じたいだけ……もっと見て……こんなぼくも……全部、見せるのは……秀二だけ――」 言って、恥ずかしくなった。だけど、本心だから――。 「なら見せろよ、全部」 こんなときに、そんなふうに言える秀二だから、ぼくは、たまらないんだ。 「んっ」 グッと深く、一息で腰を落とした。 「は、あぁー……」 快感が突き抜ける、背が反り返る――。 「彰……イイ顔」 秀二の手が伸びてくる。ぼくのものに触れる。ぬるぬると先端をいじくる。 「ん、ん、しゅ、しゅうじ……っ」 たまらない、腰が勝手に動く、もっと深くまで突き刺せと、跳ねて激しく上下する。 「はっ! あ、あ、あ」 ぎゅっと握られた。指の腹で、ぐりっと扱き上げられた。達しそうになって、思わず力が入る。 「ん!」 「く……ぅ」 秀二がうめく。ぼくをにらんで、きれいな眉をひそめる。 その、快感に耐える顔は、壮絶に色っぽくて、ぼくは――。 「はぁ……っ」 「ダメ、もう限界!」 極まりそうになったのを強く握られて止められた。秀二は跳ね起き、ぼくを乱暴に抱き寄せる。突き上げた。 「あっ……あ、は……あぁっ」 頭の芯まで痺れる。全身から力が抜けていく。がっくりと、秀二の肩にもたれる。 「……あ、しゅう、じ」 絶頂の間際に漂い、快感の波が止まらない。体中にさざめいて広がり、揺さぶられる以上に、震えがくる。 「彰、彰」 耳元で熱っぽく繰り返され、ぼうっとしてしまう。崩れそうになるのを、たくましい腕で引き戻される。 「秀、二……」 裸の胸と胸とが、ぴったりと合わさって、忙しない鼓動が伝わってきて、でもそれは、ぼくのものなのか――。 「ふ、ん――」 激しく唇を貪られた。余裕のない舌が、ぼくの口の中を荒らす。 「ん、ん」 あふれて、唇の端から濡れていく。応えるなんてできなくて、酔わされるばかりで――。 熱くて、苦しくて、でも気持ちよくて、本当に気持ちよくて、胸がいっぱいで、もう、どうしていいのかわからなくて、たまらなく気持ちよくて――。 「……は、あ」 解放され、思い切り喘いだ。顎がのけぞって、後ろに倒れそうになる。 「――彰、感じてるよな? いっぱい」 ああ、もう……わかってるくせに、訊くなんて――。 「いい?」 「うん――」 いじわるだ……たまらなく好き――秀二。 「イきそう?」 「秀二……!」 夢中でかじりついた。腕を絡めて首を引き寄せ、秀二の動きに合わせて跳ねる。 「くっ、だから……あんたはっ」 「ん、ん、は、ん!」 「彰、彰――」 頬をすり寄せ、秀二は何度もぼくを呼ぶ。秀二の吐く息が焼けるように熱い、ぼくを呼ぶ秀二の声が、せつない――。 「いい、すご、く――も、ダメ……秀二!」 「彰!」 ぎゅっと抱きしめられた瞬間、ぼくは弾けた。体の奥に散る熱を感じた。 「はあっ……」 大きく喘いで床に倒れる。一緒になって、秀二も倒れた。 「秀二……」 ひんやりとした感触が心地いい。体を横にして秀二と向き合う。見つめ合って、そっと、手を伸ばす。 官能に染まった顔――汗に湿って乱れた髪を掬った。秀二は艶めいていて、本当に香り立つようだ……。 「満足した?」 薄い唇がほころび、ぼくに向かって言った。 「――うん」 答えて、くすっと笑ってしまった。 秀二の大きな手が伸びてくる。ぼくの頬をやさしく撫でる。胸が、いっぱいになる。 「よかった――」 ささやいて、ぼくを抱き寄せた。 「けど、オレはまだ、足りないや」 ――え? 「明日の朝まで好きにしていいって――約束だったよな?」 「えっ?」 目を丸くしてしまったのは、それこそ秀二に悪いけど、でも、まだ足りないって――。 「ちょ、ちょっと待て……秀二」 ここで今すぐ、もう一度なんて――焦って身を起こせば、秀二もそうする。 「今度はオレがもらう」 「え……」 確かに今のは、ぼくがもらったようなものだけど――いや、だから、艶っぽく見つめられてゾクッとしてるんじゃ、ぼくは――。 「んー、けど、また床の上ってのも、な?」 いたずらっぽい目になって、ニヤッと笑う。ぼくの腕をいきなり掴んで、立たせて――。 「な、に……? ――秀二!」 ストンと椅子に座らせた。 「とりあえず休んで」 「――って!」 ぼくは肘掛にかじりついてしまう。膝も引き寄せ、椅子の上に丸くなる。 「やっぱ、イイ感じ」 「だからそれって、なに!」 顔が熱い。肩越しに秀二をにらむ。ぼくを座らせて、休んでいいって言ったって――。 「あんた、紺とか赤とか、ハッキリした色よく似合う」 だけど秀二は、笑いながら目の前の床に座った。 「……え?」 「その椅子の赤、あんたの肌、むちゃくちゃキレイに見せる。オレ、これでも『色彩学』取ったんだぜ?」 そんなことは訊いてない。ムッとして見返せば、ニッコリと笑った。秀二の華やかな笑顔を見せられるんじゃ、ぼくは……口元がゆるんでしまう。 「そそられちゃうな、その困った顔もイイ。もっと、そそって。オレ、すぐ復活する」 「秀二〜……」 ナマイキなんだから――思いかけて、フッと笑ってしまった。 目の前の床にあぐらを組んで、堂々と座る年下の男をそっと見る。 ぼくよりも、ずっとたくましく、すらりとした体をしていて、たまらなく魅惑的で、まっすぐで――それは、心も同じで――。 「秀二」 吐息混じりに呼びかけた。ご希望どおり、思い切り艶っぽい眼差しを意識した。少し横を向いて、流し目で見つめる。唇を薄く開いて、ちらっと舌先を見せてやる。胸を開いて正面に向け、椅子の上に片膝を立て――。 「うわ、彰!」 秀二が言ったからそうしてやったのに、顔を真っ赤にして驚いた目になる。すっと視線を下げて股間を見てやったら……。 「プッ」 「わ、笑うな!」 「ごめん!」 慌てて立ち上がった秀二に、椅子から飛びついた。広い胸に抱きとめられ、ほうっと息をつく。 「ったく、だから、あんたって人は〜……」 なんで、このタイミングで唸るかな――。 秀二の胸に飛び込んで、ぼくはホッとしている。床に立ったまま抱き合って、うっとりと秀二の胸に顔をうずめる。 もっと早くに、こうすればよかった。ここから引っ越すつもりだったけど、そんなことは――もう、しなくていい。 「いいよ、朝まで好きにして」 「彰……」 「でも、明日の午後は、買い物につきあって」 「え?」 「ソファがほしい。この部屋、ひとり掛けの椅子しかないから」 そう言って顔を上げれば、やわらかく見つめられた。ぼくも、心からの笑顔になる。 「なら、また赤にしろよ」 口早に言って、なんだか照れたようになる。 「一応――訊くけど。それって、ここに呼んだの、オレが初めてってことだよな?」 「え……そうだけど?」 途端に、蕩けそうな眼差しになった。 「彰――」 ゆったりとぼくを包み、深い息をつく。それから、ぼくの顔を覗き込んできて言った。 「今の顔……笑った顔、もう一度見せて」 「え?」 意味がわからなくて、だけど満たされて、ぼくは心から笑う。 「彰……」 頬を両手で包まれる。ゆっくりと唇が近づいてくる。 「その笑顔……ずっと、大切にする」 胸に染みる甘いささやきを残し、唇が重なって――ぼくはときめいた。このキスのくれる、あまりのやさしさに――胸の奥が、溶けていった。 了
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