Words & Emotion   Written by 奥杜レイ




    Southern Green
    「薔薇に天使」サイドストーリー



           水平線の彼方に、のんびりと真夏の太陽が沈んでいく。翳り始めたエメラルドグリーンの海に、オレンジの光の筋がゆらゆらと伸びている。ここは、とても静かだ。彰に目を戻せば、うっとりとした横顔で、まだ夕陽を見つめていた。
           プライベート・ビーチを見下ろすテラスで、バーベキューの夕食を取っている。客はオレたちのほかに何組もいるけど、隣のテーブルの話し声すら、海からの風に消されて聞こえてこない。だんだん暗くなる中で、かがり火を受ける彰の横顔が浮き上がって見えてくる。塩気の少ない海風に吹かれて、深い栗色の髪がやわらかく揺れている。少し跳ね上がった眉、眩しそうに細めた切れ長の目、すっきりとした鼻筋、甘い唇――きれいだ。
           この島に来て三日目になる。彰との初めての旅行で、こんなにも静かな時間を過ごすことになるとは思っていなかった。
          『夏休み、どこか行きましょうよ』
           誘ったのはオレだ。いつものように定時後の会社の休憩室にいたから、そんなふうに切り出した。彰はちょっと驚いたようにして、それから、はにかんで薄く笑った。
          『それ……ぼくも言おうと思ってた』
           なんつーか……この人の、こういうところがオレはたまらないわけで。つきあい始めて三ヶ月になってたけど、ふたりきりのとき、特にベッドにいるときはオレを圧倒するほど色っぽくなったりするくせに、会社にいるときは、つきあい始める前と変わりなく、今でも素っ気なかったりスカしてたりする。なのに、こんなときはピンポイントで素直になるんだから、いちいちドキッとさせられてしまう。
           ったく、まだ会社なのにキスしたくなった。
          『なら、海と山、どっちがいいですか?』
           休憩室にふたりきりでも、オレは丁寧語で話す。彰――小宮サンは、同じ課の三年センパイだ。いつ誰に聞かれるかわからない。そのあたりの気配りは当然と、こんなオレでも思う。オフィスラブは面倒でもスリリングだ。
          『ぼくは、どっちでも。浅葉は?』
          『海がいい。南の海』
           太陽の下で、裸の彰を見てみたいと思った。
           そんな話をしたのは七月の始めだ。建築関連の会社は不動産屋も含めて、夏休みはお盆に重なる。オレたちの働く『オザキ・ハウジング』も定休の水曜日の九日から十五日までの一週間が、全社上げての休みになっていた。
           旅行するなら早めに申し込まないとすぐにどこもいっぱいになっちまう、ってんで、さっそくパンフ集めて週末には彰の家で当たりをつけて電話してみよう、ってことになって、そうしたんだけど。
          『プーケット?』
           彰があたりまえのように海外を挙げてきたのには驚いた。
          『ハワイやグアムじゃ高すぎるだろう?』
          『じゃなくてさー……』
           ふたりしてフローリングの床に座り込んで、広げたパンフを前に、オレはケータイ片手に固まった。ハワイやグアムじゃ高すぎるって、オレのフトコロ考えて言ったんだろうけどさ。ぼけっとオレを見てる彰に、思わず言ったよ。
          『海外って、ディフォルト?』
          『え?』
          『もしかして慣れてる?』
           彰は年上だし、二十八だし、オレより稼いでるし。女にも男にもモテるし、つきあいの経験だって相当あるのはわかってたつもりだったけど、ハッキリ言って少しヘコんだ。今まで、どんなヤツとどんなつきあいしてたんだよ。彰の過去に妬くとか妬かないとかじゃなくて、オレ……海外、行ったことねえ――。
          『慣れてるって言うか……国内より気楽?』
           そりゃ、トモダチじゃない男同士で旅行すんなら、国内より海外のほうが気楽だろうけど? 海外に行くんじゃ、オレ、また彰におんぶに抱っこになるわけ?
          『英語とか、話せんの?』
          『話せるって言うか……なんとなく旅行会話程度なら』
          『んだよ……』
           彰がオトナなとこ、また見せつけられんのか――。
          『プーケットなら、沖縄行くのと料金変わらないからいいと思ったんだけど……』
           彰はバサッとパンフを返した。国内旅行のページを素早くめくった。真剣な顔――マジになって慌てるようなのを見て、ちょっと驚いた。
           もしかしなくてもオレに気を遣ってる――。
          『石垣や宮古は人気あるからな。予約取れても人の多いところは、ぼくは……』
          『べつに沖縄じゃなくたって――』
           言っても、オレには目も向けずにパラパラとページをめくる。
          『もうどこでもいいよ、一緒なら』
           たまらなくなって彰を抱き寄せ、こめかみにキスした。なんだったら、丸々一週間、彰の家に泊まり込むのでもいいんだ。なのに、彰は――。
          『マジ? なら――』
           オレのキスをあっさり無視して、パンフの1ページを目の前に差し出した。
          『ここ、マジに海だけになるけど、観光客が多すぎるなんてなくて、のんびりできるから』
          『――うん』
          『じゃ、電話してみよう』
           自分のケータイを取って、さっさと旅行会社にかけた。
          『九日から三泊四日。今なら取れるって』
          『うん――』
           なんとなーく丸め込まれたような気がした。パンフ見ただけなのに行き先に詳しそうなのは、なんでだよ?
          『決まってよかったな、秀二』
           だけど、ホッとしたような笑顔を見せられちゃうと、オレはダメなわけで――。
          『一緒に旅行するの、初めてだな……』
           そんなこと言ってケータイ置いて、肩にもたれかかってこられちゃうと、もっとダメなわけで――。
          『すごく楽しみ……ん』
           ねだられてするキスってサイコー……とか思っちゃうわけだ。
          『……ダメ、床はもう嫌だよ、ベッドに――』
           あとはもう、なし崩しだった。
           彰はオレを夢中にさせる。入社してからの二年間、すぐ近くにいたのに少しもその気にならなかったのが不思議なくらいだ。今年の四月になって、あの日、彰から体ごと想いをぶつけられたのが始まりで、あっという間にオレは彰に惚れた。
           彰は、会社ではポーカーフェイスで冷たいくらいなのに、つきあうようになってからは、オレとふたりになると感情を隠さない。そのギャップが、たまらなく魅力なんだ。
           何日もふたりきりの、この旅行。真っ青な夏空の下、サンゴ礁に囲まれた島の海は遠浅で澄んでいて、遠くまでエメラルドグリーンに見える。ゆったりと時間の流れるリゾートにいて、彰もいつもよりずっとリラックスしている。
           オレたちを知る人は誰もいない。オレたちを気に留める人さえいない。たまに視線を感じても、そこに深い意味はない。リゾートで休暇を楽しむ人たちは誰もが大切な人と一緒で、みんな自分たちの世界にいる。
          「星が、すごい」
           彰の声を聞いて夜空を見上げた。
          「マジ、すげえ」
           昨日まで夕食は屋内のレストランで取ってたから、空まで気が回らなかった。星がよく見えるのは最初の夜の散歩で気がついてたのに。
          「今日は、スコールっての? 通り雨もなかったから、よく晴れてるな」
          「うん。ここに来てからずっと、午後になると雨が降ったね」
           どうってことない話をしながら、この数日を過ごした。そんなことが何度セックスするよりも大切だって、ここに来て改めて思った。
          「彰……きれいだ」
           そんなつもりじゃないのに気持ちがこぼれてくる。
          「星が……?」
           そんなふうに答えても、オレが何を言ったかわかってる。かがり火の明かりを受ける彰の頬が、少しだけ余計に赤く染まった。
          「明日は、もう帰るんだな」
          「今夜は、あまり飲まないでおこう」
          「彰……」
           この旅行を忘れられない夜にしようって、そんなふうに誘う彰が、オレはたまらなく好きだ。


           三日前、オレたちは羽田空港で落ち合った。南の島のリゾートに行くノリで、オレは最初からTシャツにハーフパンツ、素足にサンダルってカッコだった。もちろん髪だってオフタイムのアレンジで、全部下ろしてソフトワックスでくしゃっとさせて、スタイルの仕上げにサングラスをかけていた。普段ならアクセの類は一切つけないのがオレのポリシーで、腕時計だって会社に行くときだけだ。
           ドラムバッグを肩にひっかけ、航空会社のカウンターに現れたオレを見て彰は笑った。
          『そのままビーチに立てそうだな』
           楽しそうに言った彰にドキッとした。
           プリント地のシャツにコットンパンツの姿はいつもよりカジュアルだけど、きちんとした印象だ。でも襟を開いていて、見慣れないシルバーの細いチェーンが鎖骨の上に覗いていて、髪は洗いたてのようにサラッとしている。清潔な感じなのに、やけにセクシーだ。荷物はコンパクトなトランクひとつで――なんつーか、やられた、って思った。旅慣れたスマートなオトナっての? また一歩リードを取られた気分になった。
          『似合ってるよ、秀二らしくていい』
           けど彰はそう言って、人目を気にしながらもオレに寄り添ってきた。
          『搭乗手続きして、荷物預けよう』
           ふわっと甘い香りがした。シトラスグリーンのさわやかなトーン――。
          『……コロン?』
           いつもはつけてないのに。
          『今日は特別だから』
           はにかんだように言って、軽く目を見張るオレからすっと視線をそらした。
           ……んだよ。
           彰は先にカウンターに向かう。その背中を見つめ、オレは胸がドキドキしてたまらなくなった。うれしくて――オレよりもよっぽど彰のほうが、この旅行を楽しみにしていた。
           オレは、今日までずっと、夢の中にいるみたいだ。
          「戻る?」
           屋外でのバーベキューの夕食を終えて、オレたちは席を立った。すっかり暗くなった道を部屋まで並んで歩いていく。
           旅行の予約を取ったとき、宿泊先はホテルと聞いたけど、来てみればコテージだった。ツインで申し込んだオレたちの部屋はスタンダードタイプで、一棟四部屋の一室だ。
           最初は、ちょっとどうかと思ったんだよ。全部で何棟あるのか知らないけど、パーゴラとか植え込みとか中庭とかが配されていても、プレハブの二階建てがずらーっと並ぶ眺めは、まるでアパート団地を見るみたいだった。
          『ここの親会社、あそこだから』
           彰は知ってたらしく、オレにそう説明して、全国的に有名な建築会社の名前を挙げた。
          『納得』
           部屋に入って、うっかり仕事を思い出して見回すオレに、彰は後ろから抱きついてきた。
          『余計なこと言うなよ。今は――』
           羽田空港で落ち合ってから、やっとふたりきりになったんだ。オレも同じ気持ちだったから、すぐに振り向いて唇を重ねた。
           部屋のつくりはホテルの個室と変わらない。フロントの対応も同じで、ルームクリーニングも毎日入った。違うのは、ドアを開ければすぐに外なだけで、だからオレたちは水着で部屋を出て、ビーチからはシャワーで砂を落とすだけで帰った。
           初めの印象とは裏腹に、オレはここが気に入った。宿泊客は多くいても部屋の近くで見かけることはほとんどなく、隣接する部屋の音が聞こえるようなこともなく、彰とふたりの時間をゆったりと過ごせて、今まで知らなかった彰をずいぶん見たような気がする。
           観光らしいことをしたのは二日目の昨日だけだ。昼間はほとんどビーチにいて、夜は部屋で過ごすだけだった。
           リゾートの夜は長くて、特別なことばかりがあるわけじゃない。ハイビスカスの咲く中庭にふたりで出て、芝生にデッキチェアを並べて夜風に涼みながらビールを飲んだりした。部屋のソファで、テレビを眺めるオレにもたれて彰が本を読むこともあった。そして昨日の夜は――シャワーを浴びて、なにげにタオルで髪を拭きながらバスルームを出て、ギクッとさせられたんだ。
           彰はベッドにいた。先にシャワーを済ませたローブ姿で、シーツに腹ばいに寝ころがっていた。ナイトテーブルのスタンドがついているだけで部屋は薄暗くて、彰は何をしているわけでもなく、ただ――歌を口ずさんでいた。
           会社の連中とカラオケに行って聞くのとは、ぜんぜん違う。かすかに聞き取れるほどの声で、だけど、とても甘い声で――彰が本当にリラックスしていて、心から解放されていて、無意識に口をついて歌が出てくるほどオレに何もかも許してくれているのがわかって――胸がいっぱいになった。
           タオル一枚で突っ立っているオレに気づいて、ハッとなって照れたふうに顔を背けた。オレは静かに歩み寄って、ベッドにうつ伏せになっている彰を上から包み込んだ。
           何も言わずに、彰は体を返して仰向けになった。オレも何も言わずに、彰の唇にキスをした。深く合わせて、ねっとりと舌を絡ませ、時間をかけて互いにたっぷり味わってから、そっと離れた。
           オレを見上げる目は潤んで、ほの暗い明かりを受けて光っていた。濡れた唇から深くて熱い息が漏れ聞こえて、オレは彰をぎゅっと抱きしめた。
           好きで――愛しくてたまらなくて、居たたまれなくなるほどで――だけど、とても大切で壊したくなくて――そんな気持ちになったのは生まれて初めてだったかもしれない。
           もしも彰とふたりで暮らせるなら、こんな夜を何度も過ごすのを思った。昨日の夜のようなことだけじゃない、特別なことは何もなくても、一緒にいるだけで満たされた気持ちになれる、そんな夜を、数え切れないほど――。
          「飲むもの、もう残ってなかったよな?」
           部屋へ戻る道の途中に、自称『コンビニ』の売店がある。
          「だったな。買って帰ろう」
           気がついた彰に言われて連れ立って店内に入った。コンビニと言ってるだけのことはあって、みやげものまで品揃えはさまざまだ。
          「何にする?」
          「オレ、サンピン茶」
          「また? 好きだな」
           くすっと笑って、彰は大型冷蔵庫を開けてペットボトルを取り出す。
          「ほかにも何か買う?」
           カップ緬やつまみの並ぶ棚を眺めてオレが言えば、隣に来て言った。
          「ぼくは、食べるものはもういい。だけど、みやげをどうするか――」
          「……そっか」
           全社上げての夏休みだから、慣例で職場にみやげは不要になってるけど、個人的にもらったりするから、まるっきりスルーはできない。これだけ日焼けしてると、夏休み中に出かけたのはバレバレだし。
          「う――」
           上原サンには買ってかなくちゃマズイよな、と言いそうになって慌てて口を閉じた。
          「どうした?」
           気がつかなかったらしく、彰はほほ笑んでオレを見つめる。
          「う、うん……明日でいいんじゃね? 空港で買ったほうが荷物にならないし」
          「そうか。……那覇空港でも買う時間あるな」
           つぶやいて、すっと目を伏せた。何を考えたかわかる。ふたりで旅行したなんて職場に知られるのは面倒だから、彰は乗り継ぎの那覇空港で沖縄本島のみやげになるものを買うつもりだ。たぶん――上原サンに。
          「これだけでいいなら会計済ませちゃうよ」
          「ああ」
           彰に続いてレジに向かって、ふと、レジ前の棚に目が止まった。
          「彰、ちょっと見てみろよ」
          「え?」
           オレに腕を引かれて彰が振り返る。途端にギョッとした顔になった。
          「これ」
           オレが差し出したパッケージには『沖縄限定』と書かれてある。
          「みやげにどう?」
          「……ふざけてんのか?」
           マジな顔で答えたもんだから、オレは吹き出してしまった。みやげにできるわけがない。『沖縄でイってきました』って商品名のコンドームなんて、それじゃ自己申告になっちまう。せいぜいネタになるのがオチだろ。
          「こっち、『ゴーヤ』タイプだって。グリーンでボツボツつきって、なんだよこれ」
          「読むなよ……」
          「――え?」
           意外だった。一緒になって笑うと思ったのに、困った顔で――頬、染めてる……。
          「彰?」
           オレに背を向けてレジに立った。金を払う。その様子をぽかんと見つめて――ハッとしてオレもレジに並んだ。
          「秀二?」
           店員から袋を受け取り、彰は振り返る。オレを見上げる表情が、なんとも言えない。
          「それ……買うの?」
          「うん」
           けろっと答えたけど、実は笑いをこらえるのに必死だった。
          「みやげにするわけ?」
          「なわけねえじゃん」
           店員から釣り銭を受け取り、ブツはポケットに突っ込む。
          「オレが使うの」
          「え……」
           今夜とは言わなかったけど、オレが誰を相手に使うかは彰には疑えるわけもなくて――。
          「行こう」
           店を出ようと肩を軽く押しただけでビクッとしたのには、オレのほうが驚いちゃったよ。
           なんつーか……なんだろね? どうしてくれよう、って――こういうとき言うのか?
           部屋まで、彰はずっとうつむいたままだったから、並んで歩くオレは妙にドキドキしていた。


          「タバコ吸ってくる。先にシャワー使ってよ」
           買ってきたペットボトルを部屋の冷蔵庫にしまう彰に言って、オレは外に出た。彰は吸わないから、ここではずっとこうしている。
           中庭から見渡せるコテージは、どの窓にも明かりがついていて、あたたかな雰囲気だ。家族で来ている客が多いけど、人の声なんてぜんぜん聞こえてこない。
           デッキチェアに座って芝生に足を伸ばした。タバコを取り出して火をつける。部屋にひとりでいる彰を思って、ニヤついてしまう。
           まさか、あんなモノでビビるなんて、ちっとも思わなかったよ。オレが買うのを見たって、いつもみたいに呆れて笑うと思った。
           ……やらしい、っての。
           かわいくて、いじめたくなる。なに期待してんだよ。
           このタイミングでタバコ吸いに外に出たオレも、えげつねえよな。彰を焦らして、もっと余裕なくさせようってのミエミエだし。
           星の瞬く空に向かって、タバコの煙が流れていく。火のついた先が、ジ、と音を立てて赤く燃える。
           明日には帰ってしまうのが惜しくてならない。できるなら、この次はもっと長くここに来てみたいと心から思う。彰と――。
           今までにつきあったヤツと、こんな旅行をしたことはなかった。学生で金がなかったのもあるけど、近場で一泊したのが数回だ。それも、がっついてて、ヤるだけみたいな旅行で、旅行そのものを楽しんでいたかもわからない。だから当然、相手の新たな一面を見つけるなんてことはなくて、普段から続くつきあいの中での、単なるイベントのひとつでしかなかった。
           彰にとって……恋人との旅行って、こういうもんだったのか――と思う。のんびりと流れていく時間が、いっそう気持ちを近づけてくれる、って言うか……そんな感じだ。
           フッと笑ってしまった。こんなこと考えて、やっぱ彰ってオトナだなあ、なんて思うんじゃ、ダメじゃん? けどさ。オレ、そんな彰とつきあってんだよな。オレ……今は彰の恋人なんだよな、シアワセじゃん――。
           そろそろ戻らないとヤバそうな気がした。焦らしたつもりが時間与えて、余裕取り戻されてるかもしれないし。それでもいいけど。余裕いっぱいにオレを煽ってくる彰も好きだ。
          「ただいま」
           部屋に戻ると彰はベッドに寝ころがっていた。ナイトテーブルのスタンドをつけて、ローブ姿で本を読んでいる。
          「シャワー、もう出たの?」
          「うん……」
           早いな、なんて言わせない様子で、本から目も上げない。まさか怒ってるとか? 少し焦ってバスルームに直行した。待たされて彰が怒ってるならそれもかわいいけど、最後の夜にケンカになるのはカンベンだ。
           手早くシャワーを済ませてバスルームを出る。部屋の明かりは消えていた。水気を拭き取っただけの素っ裸で彰に歩み寄る。スタンドの弱い光の中、彰はうつ伏せになったままだ。その横に手をついてベッドに膝をかけた。
          「彰?」
           いきなり起き上がって抱きついてきたからビックリした。
          「……焦らしすぎだ、秀二」
           オレの裸の胸に額を押しつけて、うめくように言った。ぎゅっと強く腕を握られ、胸が熱くなる。
          「ごめん……」
           彰はオレを引き寄せ、シーツに倒れ込む。その流れで体を重ね、オレは求められるままにキスをする。
          「ふ、ん……」
           一気に燃え上がった。彰の手が、オレの濡れた髪を乱す。せわしなく背中を撫で回す。
           余裕なんて、どこにもないじゃん。彰はすっかり硬くしていて、オレにこすりつけてくる。オレも彰のローブをむいて、すぐに胸に吸いついた。
          「はあ、ん!」
           彰が感じやすいのは、いつもだけど。なめらかな肌を舐め回しながら脱がしていくだけで、こんな、ヒクヒク震えるほど感じてるなんて……どうしちゃったんだよ。
          「秀二、秀二」
           のけぞってオレを呼ぶ。これじゃ、オレまで余裕なくすって。ったく……かわいい――。
          「彰――」
           三歳年上のオレの恋人。オレがリード取っても、いつも、いつのまにか奪い返してしまう。だから、言ってやった。
          「今夜は、思いきり啼きな」
          「秀二……」
           もう潤んでいる目でオレを見上げ、熱い吐息を落とす。
          「――思いきり啼かせてやるから」
          「秀、二」
           すっと細められた眼差しは、わざとなのか、むちゃくちゃ色っぽい。少し厚みのある唇は薄く開いていて、キスの名残で濡れて光って見える。ほの暗い明かりに照らされ、それでなくても整ってきれいな顔が、いっそう艶めかしく目に映る。
           なんか……わかんなくなるんだよ。普段はクールで硬すぎるほどマジメで、セクシュアルなものなんてまるで感じさせないのに、こうなってしまえば隠微で、とてつもなくやらしくて、とことん乱してやりたくなるほど、オレを誘ってるみたいになるんだから――。
          「そういうのが好きなんだろ?」
          「ああ……好きだ」
           ……これだから、オレは狂いそうになる。
          「やらしすぎる……彰」
          「秀二」
           くすっと笑って、オレの首にかじりついてくる。唇を開きながら近づけてきて舌を差し出すから、オレもそうして、じっとり絡ませてから唇を重ねた。
          「ふぅ、ん……ん」
           彰の甘ったるい声が耳をくすぐる。顎まで動かしてキスを貪る。溢れたしずくが、唇の端から滴る。
           ぼうっとしてしまうのに胸は苦しいほど高鳴って、前戯なんかすっ飛ばして彰にぶち込んで、彰が壊れてしまいそうなほど、むちゃくちゃに突きまくりたくなる。
           だけど彰は大切で……どうすればいいのかわからなくなるほど愛しくて……もっと気持ちよくしてやりたい、もっと感じてほしい、オレに抱かれて幸福の絶頂を味わってもらいたい――。
          「はあっ、は、――ん!」
           もっと聞かせてよ、イイ声。
          「もう……ぬるぬる」
          「ん、ん、ん」
           滾りきった彰のものを握って扱く。彰はヘソの下のきわどいところを舐められるのが好きだから、そうしてやる。焦らして、焦らして……口でされたがってるのはわかっているから、余計に焦らしてやる。
          「しゅう、じ!」
           ぺろっと先を舐めただけで、ビクンと反り返った。涙を溜めた目で恨めしそうにオレを見る。
          「してほしい?」
          「……して」
          「こう?」
           親指の腹で、しずくを溢れさせている先をグリッとこする。
          「はあっ!」
          「啼きな、もっと」
          「あぁ……あ、んん」
           もどかしい刺激に腰をくねらせ、彰は悶える。オレは充実して張り詰めたものをきつく絞るようにして手を動かし、彰を眺める。
          「これだけでイっちゃう?」
          「くぅ……」
           答えられないほどイきそうって? 本当は、フェラされたくてたまらないのに?
          「――かわいいよ」
          「はっ、あ、あ」
           彰は顔を横に向け、吐き出すように息を継ぐ。首まで上気させて――。
           この三日ですっかり日焼けして、小麦色の肌が白いシーツに映えて、健康的で、余計にそそる。何かものすごくイケナイことをしている気分になる。
           なだらかな胸に尖っている粒、そこだけが少しピンクでオレの手を誘う。ヘソの下から強めのタッチで撫で上げていって、指先でいじくり回す。
          「んん、あ」
           何をされても、こらえても、彰は唇から声を漏らす。かわいいよ、かわいい――。
          「彰……」
           チュッと軽くキスしてから、望みどおり口に含んでやった。
          「は……ああっ」
           彰はどうされるのが一番いいかなんて、とっくに知ってるし。舌を絡ませて、脈打つ筋もくびれもたっぷりと舐めて、歯を立てて掠める程度に扱く。
          「あーっ、あ、あ」
           ガシッと頭を掴まれた。熱い迸りが口の中に散る。
          「――彰」
           手の甲で口元を拭い、顔を上げた。彰は怯えるような目でオレを見ていて、だけど眼差しは思いきり色っぽい。
          「なあ」
           オレは彰の日焼けの跡を指先で辿る。
          「ここだけ白くて、なんか、ヘン」
           いきなり何を言ってんだと自分でも思ったけど、彰も困ったみたいに眉を寄せて、なのにビキニラインをなぞられて感じてて、その表情が、いっそうオレを焚きつけた。
          「……やっ」
           乱暴に彰を返した。締まって形のいい尻も、日焼けしてなくて白い。顔を近づけ、両手で挟んでキスをする。
          「しゅうじ……」
           かすれた声でオレを呼んでシーツにしがみついた。薄くきれいについた背筋……今は小麦色の背中を上目づかいに眺めて、背骨に沿って強めに撫で上げながら、舌先を谷間に刺し入れた。
          「はぁー……」
           細く長い声を上げ、彰は背を反らせていく。そうして、彰の全身から力が抜けていく。
          「う、ん……」
           シーツに突っ伏し、彰の声は甘くなる。肩を揺らして息を継ぎ、オレに舐められて腰をくねらせる。
           このまますぐに指を入れて、いじめたくなったけど、耐えた。身を乗り出してナイトテーブルからジェルを取り上げ――思い出した。アレがあったじゃん、『ゴーヤ』タイプ。
          「秀二……?」
           甘えた声で呼ばれ、ポケットを探っていたハーフパンツを床に捨てた。彰の背にのしかかって全身で重なり、ジェルを塗った指先で谷間を探る。
          「……どう?」
           彰の髪に顔をうずめ、ささやいた。
          「ん……いい」
           彰はオレの指を深くまで咥え込む。オレはじっくりと指を動かし、ぐるりと回す。
          「ああ……」
           彰の吐息が熱い。いっそう濡れた声で、オレの耳を湿らす。
          「……ねえ……来て。もう……いいから」
           そっとオレに振り向き、ささやいた。
          「――もう?」
           もっと指で焦らして啼かせたかったのに。
          「今日の秀二は、いじわるだ……」
           そう言ったって、目は笑ってる。思わずフッと笑えば、彰もフフッと小さく笑う。
          「――待ってて」
           軽くキスしてから膝立ちになった。シーツに突っ伏して吐息を落とす彰の背を見ながら、さっきのアレをつける。
          「秀二……?」
          「そんな、焦るなよ」
           今日の彰は、どうもガマンが効かないようだ。オレに振り向こうとして浮いた肩を素早くシーツに押し戻した。その勢いで彰の腰を高く引き上げ、いきなり突き立てる。
          「あっ! あ、あ」
          「息吐けよ、ほら」
          「はっ……あーっ、しゅ、秀二!」
           両手を突っぱね、彰は猫みたいに背を反らせる。そんなことしたから腰が突き出て、奥まで深く刺さった。
          「く、はっ」
           そのタイミングで、彰の腰をしっかりホールドして動き始める。
          「や、なに……これっ……秀二!」
           ガクッと崩れ、肩を震わせて、彰は必死になってシーツを掴む。
          「う、う、う……くぅ」
           くしゃくしゃに寄せて、ぎゅっと握る。
          「はあっ、あ、あ、あ」
           顎を上げて、苦しそうに喘ぐ。背をしならせて、肘でにじって逃げようとする。
          「ああ!」
           強引に引き戻した。逃げるなんて許さない。ものすごく感じてるの、わかってるんだから。
          「秀、二!」
           うな垂れて、背を小刻みに震わせる。なめらかな肌に汗が滲み出てくる。
          「はあ、あ、あ、秀二!」
           上ずった声で、短く叫んだ。
          「彰――」
           繰り返し貫くピッチは少しも緩めないで、彰の背を手のひらで撫で回す。湿った感触は艶めかしくて、オレはますます昂ぶってくる。
          「すっげえ……イイ眺め」
           小麦色に焼けた、しなやかな体。鍛えられてなくても痩せすぎなんてことはぜんぜんなくて、強すぎる快感に震えている。
          「く、うぅ……秀二……」
           弱々しい声を出して、彰は精一杯、オレに振り向いた。
          「秀、二……」
           彰の目から涙がこぼれる。頬を伝って、しずくが落ちる。喘ぎ続けて開きっぱなしの唇からもしずくが垂れて、顎を濡らす。
          「……なんで」
           蕩けきった眼差しで、言った。壮絶に色っぽい。彰のきれいな涙を見てしまうと胸は締めつけられるけど、今夜は――もっともっと、乱してやりたい。
          「ぐ、ふ」
           のしかかって、乱暴に抱きついた。卑猥に開いていた口に指を突っ込んだ。
          「う、う」
          「……苦しい?」
           やさしそうに訊いたって、オレは少しも容赦しない。肘で体を支え、胸に手を回して尖った乳首をいじくり、突っ込んだ指で口の中を荒らす。そうしながら、変わらないピッチで彰の中をぐちょぐちょにかき回す。
          「ふ、う、う」
           覗き込めば、彰は涙を流していた。頬を染めて、熱く湿った息を吐いて――。
          「イヤ?」
           だけど、かすかに首を振る。口の中でオレの指に舌を絡ませ、薄く開いた目で、オレに視線を流してくる。
          「色っぽい――たまらない」
           なんで、この人はこうなんだ。オレに好きにされて……それで感じてるなんて。
          「は、あ……はぁ、はぁ」
           やっと指を抜かれ、彰は喘いで息を継ぐ。オレのほうが限界だった。胸が詰まって――。
           背後から貫いたまま、両腕でしっかり彰を抱きしめた。彰が熱い。全身がじっとり湿っている。
          「秀二――好きだ」
           肩に顔をうずめるオレに、彰はかすれた声でささやく。
          「だけど、これ……何?」
           身じろいで、言う。
          「……いつもと違う」
           ぼんやりとつぶやいてから、ハッとオレを見た。
          「もしかして……アレ?」
          「彰」
          「やだ、取れよっ」
           ありったけの力でオレの胸を押してきた。
          「そんな……使うな!」
           舌ったらずに叫んで、強引に腰を引いてオレを抜く。すぐにグリーンのゴムを引っぱって投げ捨て、這いつくばってオレのものに顔を近づけた。
          「――彰」
           驚いて起き上がったオレの声なんか聞こえないみたいに口を開いて、舌を差し出して舐めようとする。
          「やめろよ!」
           力任せに額を押した。乱暴に仰向かされ、涙に汚れた顔がオレを見上げた。
          「ったく、あんたって人は!」
           ぐちゃぐちゃのヘロヘロなのに。オレに、そんなことしようなんて――。
          「……なに考えてんだよっ」
           なんかもう、胸がいっぱいだった。ガバッと抱きついて、勢いで押し倒した。頬をすり寄せる。
          「なんで、もっと怒んないんだよ……」
          「……なんで、って」
          「オレ、一方的だったろ!」
          「そんなの――」
           つぶやいて、しがみついてきた。
          「ヘンなもの使われるのは嫌だけど……秀二に好きにされるのは――嫌じゃない」
           オレの胸に、ほうっと熱い吐息を落とす。
          「ぼくが……おかしいのか?」
          「彰――」
           そんなふうに訊かれたら何も答えられない。
          「こんなに好きなのに……何を怒れって? ぼくは、うれしいのに――秀二に欲しがられて、あんなに……激しく」
           オレは彰をぎゅっと抱きしめる。忘れてた。この人、こういう人だった――。
          「秀二、好きだ」
          「オレも」
           たまらないよ。あんた、ちっともオトナじゃない。こうなってもまだ、まっさらで……想いを体ごとぶつけてくる――。
          「彰」
           腕の中からオレを見上げる顔に唇を寄せた。
          「ごめん……嫌がるの知ってて、アレ使った」
          「ぼくは、そのままの秀二が一番いい……」
           キスを交わし、うっとりと酔う。今、ものすごい殺し文句を聞かされたのを思う。
          「ふ、ん……」
           彰はオレの髪を乱す。オレの首に腕を回し、脚を開く――。
          「……秀二」
           ささやいて、オレの頬をそっと撫でた。
          「来て――」
           溶けそうな眼差し――オレを誘って、オレを咥えて、感じて震える。
          「いい」
          「……彰」
          「もっと……よくして」
           熱っぽく言って、オレの頭を抱く。
           ――よくわかった。抱かれるほど貪欲に、口も体も正直になっていくのは、セックスを信じているから。 体と心が別物なんて、彰にはありえないんだ。
           そうなんだろ?
          「あっ……はぁ! ん、ん――」
           オレは彰の体を執拗に貪る。彰は悶え、腰をくねらせて喘ぐ。
          「い、いい……」
          「もっと?」
          「もっと……!」
           いっそう激しく彰を突き動かす。オレの首にかじりつき、彰も甘い声を上げ続ける。
          「あ、あ、あ」
           どこか遠く、途方もなく高いところへ、ふたりで行ってしまいそうだ。強烈な快感に酔うのは彰だけでなく、オレもそうで……ヤバイ。イきそうになる。
          「彰!」
           叫んで、荒々しくキスをした。むしゃぶりついたオレに、彰も同じように応える。
          「ふ、ん、ん」
           体の奥で、ドクンと熱が波打つ。一気に高まって、オレをさらっていく。
          「ふ……は、はあっ、はっ」
          「くっ」
           彰の頭を抱えて、オレは放った。同時に、オレの腹も熱く濡れた。
          「はぁー……」
           オレの胸に額をこすりつけて、彰が大きく息を継ぐ。抱える腕を緩めたら、ぐったりとシーツに沈んだ。
           ……かわいい……愛しくてならない。
           汗に濡れて乱れた彰の髪を指で梳いた。彰はうっすらと目を開く。涙がこぼれ落ちた。
          「……よかった?」
          「ん――すごかった」
           せつなく眉を寄せ、彰はそっと目を閉じる。ふうっと、もう一度、深い息を吐いた。
           片肘で体を支え、オレは彰を見つめる。鼓動はまだ速い。熱く湿った空気に包まれたまま、ひっそりと時間が流れていく。
          「……彰?」
           落ち着いて、穏やかな呼吸が聞こえてくる。
          「彰――」
           オレもシーツに沈んだ。引き寄せたら、彰は身じろいですり寄ってきて――そのまま、オレは彰を抱いて深い眠りに落ちた。


           鳥の声が聞こえる。重いまぶたを上げたら、薄明るい部屋が目に映った。
          「ん……」
           カーテンを透かして射す光でも、眩しい。目をこすりそうになって、腕の中にいる彰に気づいた。
          「あ」
           いつのまにそうなったのか――オレたちは手をつないでいる。眠ってるあいだも放さなかったなんて――胸がいっぱいになる。
           ハッとして時計を見た。今日は東京に帰る日だ。まだ午前六時半。会社に行くわけでもないのに、いつもの時間に目が覚めた――。
          「……ん」
           彰が寝返りを打って、手が離れそうになる。咄嗟に強く握ったら、ヒクッと肩を震わせた。
          「……秀二?」
           かすれた声でつぶやいて、弱く握り返してくる。ふと緩めてから、確かめるように、今度はしっかりと握り返してきた。
          「何時……?」
           仰向けになって、眠たそうに目をこする。
          「ごめん、起こした。まだ六時半。寝てな」
          「……六時半? 起きる。喉、渇いた」
           ベッドを降りようとして、ズルッと落ちそうになる。慌てて引き戻した。
          「待ってろよ」
           ヘッドボードとのあいだに枕をあててやって、冷蔵庫からペットボトルを取り出して戻った。
          「ありがと……」
           なんか――寝ぼけてる。オレのサンピン茶を掴んでるのに、わかってない。おもしろいから黙って見てた。面倒そうにキャップをひねって、一口飲んで、眉をしかめる。
          「ほら、こっちだろ」
           ウーロン茶のボトルを頬に押し当てたら、ヒヤッとしたのか首をすくめた。
          「開けてやるよ」
           オレが笑うのに、ぜんぜんムッとしない。ちっともらしくない彰に並んで、オレもヘッドボードに寄りかかった。彰はウーロン茶を受け取ると、肩でオレにもたれて飲む。
           一緒に朝を迎えても、彰はいつも先に起きてるから、こんな彰を見るのは初めてだった。普段からこんなに寝起きが悪いのか知らないけど、なんか……ほほえましい。
          「――気持ちいい」
           抱き寄せたら、小さくつぶやいた。危なげない手つきで、ちゃんとキャップをしめる。
          「この島は、楽園だな」
           すっかりオレに身を預け、目を閉じて話す。
          「これからシャワー浴びて、荷物まとめて、帰るなんて……淋しいよ」
           寝ぼけてるんじゃなくて……甘えてる?
          「この島に、また来られてよかった」
           ぽつりと漏れたその言葉にハッとした。それ……気になってたんだ、忘れてたけど――。
          「秀二と来られて……よかった」
           オレが見つめる中、彰はゆっくりと目を開ける。オレに、やわらかな笑顔を向ける。
          「弟がいるんだ。五歳離れてるから、あのときはまだ小学生だった」
           彰の口から家族の話を聞くのは初めてだ。
          「高校生にもなって家族旅行はもういいって、ぼくは言ったんだけど、きっと最後になるからって、無理やり連れて来られた」
           オレの目を見て、くすっと笑う。それから静かにまぶたを下ろした。満たされたように、深い息をつく。
          「もう家族で旅行するなんてないだろうから、あれが本当に最後になったと思う。嫌々ついて来たのに……とてもよかった」
           オレは彰の髪に手を置く。心地よく、ゆったりと撫でる。
          「この島、ほとんど変わってなかったよ。また、一緒に来よう?」
          「ああ」
           彰はあの笑顔で――あの、心からの笑顔でオレを見つめた。
          「この次は、もっと長く――たくさんの時間を過ごして、もっと、たくさん……」
           ――愛し合おう。
           彰が言おうとした言葉を飲み込んで、オレは深く唇を重ねる。腕を伝い上がってくる彰の手の感触に胸が震えた。
           何度キスしても、何度セックスしても、この気持ちは褪せるどころか深まっていく。こうして何日も一緒に過ごして、改めて感じた。
           心と体はひとつ――オレに教えたのは彰だ。
           この数日は、夢のようだったけど、夢じゃない。帰ってからのオレたちは、きっとそれまでとは違う。
          「ん……」
           彰の甘い声を聞いて、オレは思い描いた。
           遠く続く白い砂浜、エメラルドグリーンの海、ゆらゆらと沈む太陽――。
           思い出にはならない。いつかまた彰と見る景色だ。


          了


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    素材:KOBEYA