Words & Emotion   Written by 奥杜レイ




    White Heat
    − 2008年残暑お見舞いブログ小話 −



     午前中いっぱいをかけて没頭して設計図を引いていたせいで昼食を忘れていた。席に戻ってきた課長に声をかけられて小宮は外に出るが、あまりの暑さに立ちくらみそうになる。
     ……なんか、いろいろと失敗。
     時刻はもうすぐ2時だ。同じ課の女の子たちが昼食に出たときに何か買ってきてもらえばよかったとか、どうせ外に出るならもう少し早い時間にすればよかったとか、そんなことが頭を掠めた。
     大通りから一歩入ると、わしゃわしゃとセミの声がうるさい。すぐそこの公園から響いてくる。容赦ない真夏の太陽から逃れるようにして、小宮はその向かいにある蕎麦屋に入った。あえて鴨南蛮を注文し、オフィスの冷房で芯から冷えていた体を温める。ほんの少し外を歩いただけで激しい温度差から頭痛がしそうになっていた。ごく自然に滲んできた汗を感じ、ようやく心底くつろぐ。
     窓の外はまばゆいほど光に溢れている。向かいの公園の緑が目に涼しい。そこに白いセダンが滑り込むようにして来て停まった。どの窓も全開になっていて運転席の横顔が見える。
     ――秀二?
     浅葉と認めてドキッとした。ワイシャツにネクタイ姿で首にタオルをかけている。いつになく隙だらけの様子に笑いそうになった。ガソリン代節約のために社用車は冷房禁止との通達を律儀に守っているようだ。するすると窓が上がり、外に出てくる。蕎麦屋にいる小宮に気づくはずもなく、大股で公園の脇に停まっていたワゴン車に向かった。ランチタイムに巡回販売でやってくる、デリカテッセンの車だ。
     あ……。
     浅葉も今から昼食なのか。目の前の蕎麦屋にいるから来いと電話しようとして小宮はケータイを取り出すが、間に合わなかったようだ。浅葉はワゴン車から離れ、公園の中に入っていく。慌てて蕎麦をかき込みそうになり、小宮はフッと頬をゆるめた。普段どおりに食べ終え、会計を済ませて外に出る。公園に向かった。
    「秀二」
     声をかけると浅葉は驚いた顔を上げる。木陰のベンチにいて、手にはカキ氷がある。ほかには何も見当たらない。
    「あ……」
     間の悪そうな声を出して、隣に腰を下ろす小宮にカキ氷を差し出してきた。
    「食べる?」
    「いらない。て言うか、よく食べられるな。頭痛くならない?」
    「今日はマジ暑いじゃん。大工は大変だわ」
     しゃくしゃくとカキ氷をつついて浅葉は答える。赤いシロップ、イチゴ味だ。溶けかけの氷が木漏れ日を反射して光っている。
    「昼は、ちゃんと食べたんだろうな?」
     心配になって言った小宮を横目で見て、浅葉はカキ氷を口に運んだ。一気に流し込む。
    「多摩川の現場で話終わらなくてさ。上原さんとホカ弁買って、向こうの監督と話しながら食べた。――あ、上原さん直帰だからって、車戻しておくように言われて」
    「それで、こんなところでサボリ?」
    「……見逃して」
     こっそりと目を合わせてこられ、小宮は笑ってしまう。淡いブルーのワイシャツに、クリームの地に小花が散ったブランドもののネクタイをして、社名の入ったタオルを首にかけて浅葉がカキ氷を食べているなんて、やっぱり笑えた。
    「そっちこそ、今ごろ昼飯?」
    「まあね」
     苦笑する浅葉から目をそらし、小宮は公園を見渡す。昼日中の酷暑からか、ランチタイムを過ぎた時間帯からか、まるで人影がない。いるのは自分たちだけで騒々しいほどの蝉時雨しか聞こえず、からりとした晴天の下、木陰のベンチは思いのほか居心地がいい。
    「お疲れ」
     暑い中、上原について現場を回ってきた浅葉を思いやって、そう言った。
    「お疲れさまです」
     同時に浅葉の声がして、昼食を忘れるほど仕事に没頭していた自分を気遣ってくれたと知って顔を向けた。
     目が合って、互いに口元がゆるむ。明るく穏やかな浅葉の笑顔で心が満ちる。自分に注がれる眼差しが甘くやわらぐのを見て、小宮は軽くときめいた。
    「彰……」
     艶めいたささやきに誘われて、薄く唇を開く。真夏の公園、誰もいない午後。背後には木立が青々と茂り、浅葉が停めた白いセダンも隠れて見えない。
    「……ん」
     こんな場所でキスを交わすリスクにも鼓動が乱れる。ぬるりと潜り込んできた浅葉の舌は冷たく、甘ったるいイチゴ味がした。深く合わさった唇もひんやりとしていて、そんなことにも感じて小宮は胸を上ずらせる。抱き合わずに離れていく唇を目で追った。浅葉の舌先から引いた糸が日の光にきらめき、ひどく淫靡に感じられた。
    「は、あ」
     浅く息を継いだ小宮に浅葉は困った顔で笑いかける。
    「やっぱ、感度よすぎ。その顔、エロすぎ」
    「……バカ」
     おまえがそうさせたんだろう、と小宮は淡くほほ笑む。広い肩にもたれたくなって、まだ浅葉の手にあるカキ氷のカップが目に入り、くすっと声が漏れた。
    「なんだよ」
     不服そうな年下の男にささやく。
    「今夜、来て。我慢できない」
    「これだからな」
     見る間に照れくさそうな笑みに染まる顔に、胸が甘く痺れた。
    「せっかくカキ氷で涼しくなったのに、意味ない」
     浅葉の色っぽい笑顔と真夏の大気に包まれ、小宮はのぼせそうだと思った。

    おわり


    ★時系列的には「Southern Green」の前になります。この翌週に南の島へラブラブ旅行。



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    素材:Atelier Little Eden