眠れそう――? 隣の部屋の六本木にメールを送ったのは、ほんの今しがただった。海沿いのホテルの部屋にいて、恵比寿はナイトテーブルから携帯電話を取り上げる。手の中で震えながら光る表示は六本木からの返信を告げていた。 ベッドの端に座り、ごく短いメッセージを一目で捉える。 ――わかった。今行く。 シャワーを浴びたばかりの、バスローブをまとうだけの体が芯から疼いた。 一泊二日のロケに来ている。恵比寿には慣れた、ファッション誌のスチール撮影だ。ロケ地は伊豆で都心からは日帰りも可能だが、今回は日暮れと夜明けの海を背景に限られた時間に写すショットがあるため、泊まりのスケジュールになった。 モデルには、ひとりひとりにツインルームが割り当てられている。場所柄からか、手配された宿泊先はリゾートホテルで、となると、シングルルームはないと聞かされたのも納得だった。 携帯電話を閉じて、恵比寿はそっと吐息を落とした。向かい側の、朝まで誰も使う予定のないベッドを見つめる。フットライトが灯るだけの薄暗い部屋の中、それは妙に空々しく感じられた。 ヘンなの。 少しも自分らしくない。撮影のあった夜に体が火照るのは珍しくなく、ツインルームにひとりで泊まることとは特に関係ないはずだ。 一瞬、原の人懐こい笑顔が脳裏に浮かんだが、気づかなかったことにした。シャワーを浴びても体の奥にくすぶるような熱が消えないのは、あの笑顔をしばらく見ていないせいとは思いたくない。 なぜそんなふうに思うかなど、恵比寿が考えるはずもなかった。原はこれまでにつきあった誰よりも年下で、見た目よりずっとウブなのがいかにも高校生らしく、大人びた態度を見せられてもかなり無理してのことだと丸わかりだから、会うとついからかってしまうような相手だ。 『ひどいですよ、恵比寿さん』 ……恵比寿さん、か。 結局は原を思っている自分に気づき、恵比寿はうっすらと苦笑した。乾ききらない髪をくしゃっと片手でかき上げる。 いつまでボウヤでいるつもりなんだ? 似合わない敬語で話しかけてくるのも、屈託のない笑顔を向けてくるのも、まっすぐな眼差しで見つめてくるのも、決して好ましくなくはないが、そろそろ物足りなく感じ始めていることに気づいてもいいと思う。 ねだられるのも嫌いじゃないけど。 かわいいだけでは本当には恋人になれないよと、そのうち言ってしまいそうだ。そうしたら、原の魅力を自ら潰すことにもなりそうに思えるのに――。 「友里」 ドアを軽くノックする音と共に、廊下からの低い声に呼ばれた。 「外、かなり冷えてきたみたいだ。夜明けの撮影、キツそうだな」 部屋に迎え入れる恵比寿の横を過ぎながら、六本木はそんなことを言った。いつもと変わらないさりげない態度に、恵比寿は心持ちホッとする。 こんなことは、ちっとも特別じゃない――ふたりのあいだでは、確かにそうだった。 「何か飲む?」 トレーナーにイージーパンツという、ラフなスタイルの長身を振り仰ぎ、恵比寿は冷蔵庫に手を伸ばしかけた。 「まさか景気づけとか?」 すぐにそう返され、しまったと顔に出る。そんな恵比寿を見て、六本木は薄く笑った。ベッドの、恵比寿が座っていた跡にストンと腰を下ろす。 「さっき部屋で軽く飲んだ。スタッフ連中はまだ飲んでるみたいだけど、コンディションを気にしなくていいやつらはお気楽だよな」 わざとらしく言って、ニヤッとした顔で恵比寿を見上げた。 恵比寿は内心ムッとしたが、つまらなそうに視線をそらし、六本木の前に来てナイトテーブルから飲みかけのエビアンを取り上げる。 「……さすが」 恵比寿のバスローブの裾をはらりとめくり、感心したような声を六本木はもらした。 「僕を誰だと思ってるの?」 目も向けずに言って、恵比寿はミネラルウォーターを口に運ぶ。バスローブのほかには何も身につけていなかった。何を見て六本木が「さすが」と言ったかなど、考えるまでもないことだ。 「悪かったよ」 謝りはしても、悪事を働く笑顔で六本木は長い腕を伸ばしてくる。こなれた手際でエビアンを取り上げ、恵比寿を引き寄せて自分の胸へと絡め取った。 くすぶっていた熱が一息に燃え立つのを恵比寿は感じる。いつものことだ。長いまつげを伏せ、しなだれて六本木に身を預けた。 もう何度目になるのか、恵比寿も六本木も覚えてなどいない。 知り合ってから、たいした時間もかけずに関係ができた。ふたりが出会ったのは、ファッション誌が主催するコンテスト会場だった。そのコンテストでグランプリを獲得したのは六本木だったが、最終審査に残った恵比寿もすぐに別のモデル事務所からデビューした。 今では時代の顔とも呼ばれるようになったふたりが、時として現場でかち合うのは当然でもあり、友情にも満たないプライベートなつきあいなら、互いのブレイク前から途切れ途切れにも続いている。 中性的な色気が恵比寿の売りなら、六本木は男性的なフェロモンを感じさせる圧倒的な存在感が売りだ。適度にたくましく締まったボディも魅惑的だが、それ以上に、表情豊かな眼差しが印象深い。 タイプのまったく違う、好対照とも言えるふたりだが、出会ったその瞬間には自分と同じ匂いを相手に嗅ぎ取っていた。 関係ができるまで時間を要さなかったのはそのせいだ。初めてのときのことなら恵比寿はよく覚えている。たぶん、六本木も。 『撮影ってさ、なんか視姦されてるような気がしない?』 デビューして間もない頃で、撮影で一緒になったのも初めての夜だった。その日も泊まりのロケで、モデルの仕事にマネージャーの同行はないから自己管理は自己責任でしかなく、翌日の撮影に備えて夕食が済むと早々に部屋に引き上げようとしたふたりだったが、並んで廊下を行くうちにそんな話になった。 『それ、わかるかも。もっと目線色っぽく、カメラ犯す気分で、なんて言われるとその気になるし。今日なんて、オンナ押し倒してる気分まんまだった』 言い出したのは恵比寿で、思ったとおりに、気安く六本木が請け合ってきたことに気をよくした。 『なら、いい絵が撮れたんじゃない?』 にっこりと笑顔を向けるが、しかし横顔で冷たく言い切られた。 『あたりまえだ』 目を瞬かせる恵比寿をスッと流し見て、六本木はニヤリと口元で笑った。その艶っぽさに、恵比寿は思わずゾクッとした。モデルとしての自信を見せつけられただけとわかっても、妖しくざわめいた胸はすぐには収まりそうになかった。 『――ふうん。だろうね』 ツンと顔をそむけ、わざと気のない声で言った。 『いいねいいね言われて、色っぽいね、たまらないね言われ続けるのって、快感だし――』 『へぇ。そうなんだ』 『――え?』 ギクッとして、恵比寿は驚いた目で六本木を見た。 『それってヤられてる気分だよな? 俺と逆だ。視姦されてる気がするって、そっち言ったのか』 途端に、顔が熱くなった。あからさまに言い当てられ、恵比寿は動揺を隠せなかった。 『……今も、火照ってる?』 呟いて、ふと六本木は足を止めた。 『エロい顔――』 細めた目でじっと恵比寿を見つめてきた。そらせなくて、恵比寿は小さく喉を鳴らした。このときになって、撮影が終わってからも体の奥にくすぶるような熱があることに気づいた。 『来る?』 さりげなく腰に手を回してきて、六本木がささやいた。気づけば、六本木の部屋の前までたどり着いていた。 『――自分でするよりマシだろ?』 やけに甘く聞こえた声――何を言われたのかも、応じればどうなるのかもわかっていて、恵比寿は六本木の部屋に足を踏み入れた。 あれから、何年――? 次第に深くなる六本木のキスに酔いながら、恵比寿はかすかに潮騒を聞く。窓の外には真っ暗な夜の海が横たわっているのを思った。都心を離れて、今はロケ地にいる。原は遠い。このままさらわれて遥か彼方まで流され、二度と戻れなくなるような――そんな不安を感じた。 だがそれも、こんなときは、快感を鮮やかにする一要素になる。 「……ん」 鼻に抜けて淫靡に響く自分の声にすら恵比寿は感じた。 「友里」 深く馴染んだ声に呼ばれるなら、煽られるばかりだ。 そう……自分でするよりマシなだけ――。 恵比寿は六本木に絡みつく。濃厚なキスを貪り、自ら溺れていく。ベッドにやさしく押し倒された。胸の底から湿った吐息が溢れ出る。蜜のように溶かされる予感に指の先まで震えた。 自分をよく知っている者に何もかも暴かれる快感――。 六本木に抱かれる感覚は、そんなものだと恵比寿は思う。リードを取っても取られても、いつもそんな感じだ。同じ仕事をする仲間ではあるけど、友人と呼ぶほどのつきあいはない。気が向けば抱き合うけど、セフレとも違う。 他人には説明のつかない関係――あえて言うなら、恋人になれなかった関係、とでもなるのか。似るところが多すぎて、相手のことがわかりすぎて、隠していることまで互いに見えてしまい、親しくつきあうなら苦しいだけの関係になりそうな相手――。 きっと、六本木も同じように思っている。 だから今夜も、ただ「眠れそう?」と尋ねただけで、「わかった」と応えてきた。ほかに何を問うでもなく、何かを咎めるでもなく、あらかじめ決められていたことのように、こうして自分を抱く。 六本木から誘われるときも同じだった。気が乗らなければ応じないだけのことで、その気があるなら恵比寿は何も言わずに抱かれる。そして、誰を相手にするより深く満たされる――。 「は……っ」 慣れきった手順は体のほうが覚えている。バスローブを開かれ、胸に手を這わされただけで恵比寿は背をしならせた。ビクッと下肢が反応する。 「――友里」 からかうようでもなく、笑いを滲ませた声で六本木がささやいた。その響きにも感じて恵比寿は身をよじる。乱れた前髪をかき上げ、早くも潤み始めた目で六本木を見つめた。 視線が絡み、体だけでなく胸まで熱くなる。セクシュアルな行為が憎らしいほどハマる男――それは恵比寿も同じかもしれないけど、質がまったく違う。 情欲に染まった六本木の眼差しは恵比寿の目に酷薄そうに映り、着衣のまま平然と恵比寿を裸にして一方的に性感を煽ってくるのも、それが恵比寿の好みと知ってのことで、ゆるく波打つ短い黒髪も、彫りの深い顔立ちも、やたら肉感の強い唇も――ひどくセクシーだ。 ほの暗い中、じっと見つめ合うだけで恵比寿の鼓動は高まった。自分からも誘いをかけて、より深い快楽に身を浸したいと思うのだが、もはや犯されるという感覚のほうが強くなっている。六本木が相手だからだ。おののきにも似た愉悦に痺れ、恵比寿は目をそらすこともできない。 「……ん?」 だが、不意に六本木が目をそらした。ナイトテーブルに手を伸ばして恵比寿の携帯電話を取り上げる。それは着信を示し、薄闇に光を放っている。 「ほら」 出ろ、という意味だ。撮影スタッフからの電話なら無視できない。手渡され、恵比寿は相手を確かめもしないで無造作に開いた。 『……恵比寿さん?』 遠慮がちに聞こえてきた声に大きく息を飲む。原だ。 『すみません、ロケに行ってるって知ってるのに、どうしても声、聞きたくなっちゃって――少しでいいんです、今、話せますか?』 どうしよう、と思った。チラッと六本木を見上げる。仕事の電話ではないとわかったようで、スッと目を細めた。口元に薄く笑みを浮かべ、恵比寿の胸の尖りを指先でいじる。やめる気はないらしい。 『恵比寿さん?』 危うくもれそうになった声を押し殺し、恵比寿は低く喉を鳴らす。背筋がゾクッとして、たまらなく甘い痺れが走った。 「原くん――」 『はい!』 名を呼んだだけで、うれしそうな声が返ってくる。 そんなにも、僕が好き? 何も知らないで――そう思ったら、どうしようもないほど冷淡な気持ちが湧き上がった。 「ねえ……それならセックスしようか?」 思わずとも、恵比寿は甘く残忍に響く声で言っていた。 『――え』 原が息を飲んだ気配が伝わってくる。唖然として固まる顔が目に浮かび、恵比寿はうっすらと口元を歪めた。見上げれば、六本木は澄ました顔でトレーナーを脱ぎ始めている。 「わからない? このまま、電話でしようって言ってるんだけど」 『えっ!』 心底びっくりしたような声を聞いて、うっかり笑ってしまいそうになった。原は本気で焦っているようだ。原にそんな経験もスキルもないことは、聞かされなくてもわかりきっている。 すっかり裸になった六本木が、「どうする?」と目で問いかけてきた。「俺は構わないよ」、とも――。 「眠れないんだろう?」 恵比寿はやさしく原を誘う。 「僕もなんだ。電話くれて、うれしいよ」 ビクッと六本木の体が揺れた。恵比寿にのしかかりながら片手で口を押さえている。吹き出しそうになったのを無理にこらえたのは、目を見れば明らかだ。 六本木には冷たい一瞥をくれて、恵比寿は原に語りかける。 「今どこ? 自分の部屋なら、いいじゃない。しようよ。原くんは何も考えなくていいから、僕に合わせて――」 『え、恵比寿さんっ』 この程度のやりとりで興奮してしまったのか、原は裏返った声を詰まらせた。 『で、でも! そ、そんな!』 「……嫌なの?」 恵比寿は、あからさまに暗く呟いた。心から残念そうに――。 『い、いや! 嫌だなんて!』 「じゃあ、しよ?」 『――恵比寿さん』 ゴクッと、原が喉を鳴らす音が聞こえた。恵比寿は六本木に目で合図を送る。いいよ、始めて――。 「ねえ、どうしたい? 僕、もう裸なんだ。ベッドにいる」 『恵比寿さんっ!』 だが原は、まだ思い切れないのか困ったように叫んだだけだ。 「……そうじゃないでしょ?」 やわらかな声音ながらも凍りつくような口調で恵比寿はささやく。 「イメージして――僕の裸、思い出して。さわってよ……どこにする? 髪? 胸? それとも――」 『ほ、ほっぺた!』 恵比寿は眉を寄せてしまった。それに気づいて、六本木は呆れたように声もなく笑う。 「……いいけどね。もっと、すぐに気持ちよくなるところにしてよ。まだ無理? なら――キスして」 ゆっくりと六本木の顔が近づいてくる。恵比寿は耳から携帯電話を離さずに六本木のキスを受ける。携帯電話からも、チュッと濡れた音が響いた。 「は、あ……」 あえかな吐息を落とし、恵比寿は胸を上ずらせる。『え、恵比寿さん……っ』と、電話の向こうで原が口早に呼んだ。 「――好き」 不意に唇からもれた自分の声に驚き、恵比寿は六本木を見上げた。フッと、やわらかく笑って返される。 ……なんで。 恵比寿は、深く息を継いで目を閉じる。ひそやかに胸が高鳴っている。原にささやいた。 「さわってよ……耳とか、首とか、胸とか」 『は、はい!』 「――返事はいらない。僕が気持ちよくなるようなこと、言って」 しかし原の声は聞こえてこない。 ……ボウヤなんだから。 思うのだが、それほど悪い気はしない。こんなお遊びを真に受けて、どうすればいいのか真剣に悩んでいる原は嫌じゃない。 ゆっくりとまぶたを上げ、恵比寿は六本木を見つめる。携帯電話を持たない手で、その頬をそっと包んだ。 「さわって――胸がいいな」 六本木の手が、明確な意図を持って恵比寿の胸をまさぐり始める。胸の尖りをつまんで転がして、恵比寿の湿った声を引き出す。 「ん……いい。そう――もっと、やさしく」 原は何も返してこない。まだ戸惑っているのか、あるいは引いてしまったのか、電話の向こうはしんとしている。 「あ」 六本木は手のひらを滑らせて恵比寿の下腹を撫でた。萎えかけていた恵比寿の屹立は勢いを取り戻す。だが、六本木の手はそこには触れずに恵比寿の内腿をそろりと掠めた。 「ん……ふ、う」 『恵比寿さん』 熱っぽい声が呼びかけてくる。少しは落ち着いたのか、はっきりとした口調で原が言う。 『自分でしてるんすか?』 「そう――」 間を置かずに答えた。興奮した原の吐息が聞こえる。 『お、俺――』 「原くんも自分でして」 くすっと六本木が笑った。恵比寿の足の付け根に指先を沿わせ、じれったい動きで恵比寿の腿をさする。 じわじわと熱の高まる感覚に恵比寿は胸を喘がせた。六本木の手は股間にもぐり、そうしても屹立には触れずに、きわどいところをじっくりと行き来する。 「は、あ、あ――」 恵比寿は濡れた呼吸を浅く繰り返す。携帯電話を握る手が汗ばんできた。犯されている感覚が強くなる。六本木の手によって。原に知られてしまうかもしれないリスクを自ら仕掛けて。 ――たまらない。 あまりにも甘美な状況に、くらみそうになった。段階を踏まずに、恵比寿は急激に昂ぶっていく。 『恵比寿さんっ、恵比寿さん!』 霞みかけていた頭に、やけにはっきりと原の声が響いた。 『俺、こういうの……っ』 やたら切羽詰まった声で叫んできた。 「まだ――だよ」 原は本当に自分で始めてしまったのだろう。原の乱れた息づかいが恵比寿の耳に届いている。 「僕にもさわらせて」 そう言って、恵比寿は六本木の股間に手を伸ばした。既に十分に張り詰めている感触に熱い吐息をもらす。 「硬い」 『う……恵比寿さん――』 「すごいね」 原は何も返してこない。息を詰めているようだ。 「ゆっくり、動かすよ?」 握った六本木の屹立を扱き始める。親指の腹でくじるようにして、裏筋を強くこすり上げる。何度か繰り返すうちに、ぬるりと指先が滑った。く、と六本木が声をもらす。ようやく恵比寿に折り重なってきて、今夜初めて肌を合わせてくる。 「あ……」 六本木の重みを受け止め、恵比寿は顎を仰け反って息を継いだ。六本木の手が肌を這い回る。どこに触れられても、ひどく感じて声が上がる。 「は、原くん――っ」 呼ぶのだが、原の声は聞こえてこない。ハァハァと荒い息づかいだけが恵比寿の耳に届く。 「原、くん……!」 六本木が体の上を降りていく。恵比寿の屹立は、握られる感触もないうちに熱く濡れた粘膜に包まれた。 「あ、ああっ!」 強烈な感覚がスパークする。目の前が真っ白になったように恵比寿は感じる。 こんな、フェラされたくらいで――。 原を呼んでいるのに原は応えてくれない。六本木は、何も言わずともいっそう自分を昂ぶらせていく。 僕は……僕は! 達しそうになるのをどうにかやり過ごした。むちゃくちゃに感じている。六本木の舌使いは慣れたもので、ひとつの無駄もなく確実に恵比寿を追い上げ、決して逃がさない。なのに、恵比寿は原の声が欲しい。原の声が欲しくてたまらない。 「や、だ……まだ――イってないでしょ……? 原くん……明道!」 『え、恵比寿さん!』 裏返った声が叫んで返した。 「ほぐして……指、出して。舐めさせて」 六本木の手が目の前に伸びてくる。ぬっと現れたそれを恵比寿は食いつくように口に含んだ。 「ん、ん」 ぴちゃぴちゃと音を立てて熱心に舐める。そうしても携帯電話は放さない。むしろ、いっそう強く耳に押し当て、口元に引き寄せる。 『恵比寿さん……』 原の耳にも淫猥な音が届いているのだと思った。上ずって自分を呼んだ声は明らかに興奮に震えていて、歯止めを失ったかのように、いきなり声を絞り出して叫ぶ。 『友里!』 一度そう呼んだら止まらなくなったのか、『友里、友里!』と原は立て続けに呼ぶ。恵比寿は、胸がいっぱいになった。 だから、なんで……。 つ、と目じりから涙がこぼれた。六本木の指を熱心に舐め続け、自分の屹立は六本木の口に犯されている。興奮が冷めるようなことはない。それどころか昂ぶり続けて、頂点が見えない。 『友里、好きだっ』 「ダメ、まだイっちゃダメ! 入れて、ほぐして、奥まで――」 六本木の指がずるりと口から抜けた。口淫は続けられ、恵比寿はたっぷりと濡れた指先に後ろの狭間を探られる。 「あ、あ、ああっ!」 こんな自分は信じられない。どんなに乱れても、いつも余裕だった。恵比寿が乱れて見せるのは、相手をそそのかす手管であって、自分につけ入る隙を相手に与えるためではない。 六本木の口から解放された屹立が、室温でひやりとする。それすらも快感で、恵比寿は涙を滴らせる目で六本木を見上げた。 上体を起こして、恵比寿の体のずっと奥まで指でえぐっている。いつもと同じ動きに違いないのに、これまでとはまったく違うように恵比寿は感じる。 じっとりと自分に注がれる、冷ややかでいて燃えるような眼差し。その存在すら隠していた最後の扉を六本木にこじ開けられてしまうような錯覚を恵比寿は覚える。 苦しくて、なのに、くらむほど気持ちがいい。 なんで――。 今夜、何度目になるかわからない自問を恵比寿は繰り返す。これは単なるプレイだ。原を呼びながら六本木に犯される、それだけのこと――。 だから……なんで、涙? 「入れてよ――」 涙声になるのが信じられない。相手をそそのかすためでなく、本気で自分からねだっているのが信じられない。 六本木の指の動きに合わせて恵比寿は腰を揺らす。以前と変わらないはずの行為が、ひどく淫らに感じられる。 「来てよ――原くん! ああっ」 ぐりっと内壁を強くこすられた。一箇所をピンポイントで攻められて、恵比寿は硬く起ち上がった先からもたらたらと涙をこぼす。 もう、自分が何をしているのかもわからなくなっていた。ただ、握った携帯電話は放さずに、それを心のどこかで固く念じている。 原に隠れて、そのときの気分で適当な相手と寝ることに後ろめたさなどなかった。いっそ、原に知られても構わないと思っていた。 それが自分であり、自分らしくもあり、時代を代表するモデルの「恵比寿友里」であって、取り巻く人々をひれ伏せさせる存在である限り、自ら膝を折る立場にはいないのだ。 こんなの、ただのプレイ――。 だから今も原に後ろめたさなど感じない。だけど、恵比寿の心を苛むものは確かにあって、恵比寿は「それ」に引き裂かれる。 これまでに一度として知ることのなかった、強烈な快感――。 「あっ、あっ、ああ――」 原がどう思うかまで考えていられなかった。引き抜かれた六本木の指に代わって、硬く太く熱いかたまりに一息に貫かれ、恵比寿は悲鳴に近い声を高く尾を引いて上げた。 『ゆ、うり!』 欲しかった原の声が、ようやく聞こえた。それは、耳の奥にまで染みるように響いた。 『友里、友里!』 好きだ――原から送られてくる言葉に恵比寿は胸を震わせる。 『俺……俺!』 「待って……!」 もっと聞きたい。もっと何か言ってほしい。だけど恵比寿は声にして伝えられない。 『たまらないっすよ、こういうの!』 「ああっ」 『好きです、恵比寿さん! 会えるの待ってます!』 言ったきり、原は唐突に通話を切った。切られたあとの虚しい音が恵比寿の耳に響く。それなのに、恵比寿はまだ六本木に抱かれている。体の奥深くを六本木にえぐられている。 パタッと携帯電話を閉じた恵比寿を六本木は待っていたかのようにきつく抱きしめた。抱き返そうとして、恵比寿は携帯電話を放しかけ、だが、ぎゅっと手の中に握った。その手のままに、六本木の首に両腕を絡まらせる。 「……友里」 耳元に唇を寄せ、六本木がささやいた。 「友里――」 よく知る甘い響き――恵比寿はまた涙を流す。もう、なぜと自問することもなかった。 一番近くて、一番遠い者同士だから――。 手軽に気持ちよくなれて、最短で絶頂に達せる相手だ。六本木に身を任せ、恵比寿は熱を放つ。体の奥に散る熱も感じた。 いつもと違うのは、片手に携帯電話を握っていることだけだった。 「友里」 六本木の大きな手が恵比寿の湿った前髪を撫で上げる。やさしい仕草で後ろへと流し、それが繰り返されるうちに、小さな子どもをあやすように頭を撫でられているのだと恵比寿は気づいた。 上がった息はなかなか静まらない。汗ばんだ手から、やっと携帯電話を放した。 「……バカだな」 呟いて、六本木は恵比寿が見たこともないほどやさしく笑った。一瞬、じっと目を合わせてきて、それからベッドを降りていった。 恵比寿は、ぼんやりと薄暗い天井を見上げる。フットライトの光がかすかに映っていて、輪郭の滲んだ影になって見えた。 耳を澄ませば窓の外から潮騒が聞こえる。原との距離を再び思った。別の新しい涙が、また恵比寿の頬を伝った。 バスルームから戻ってきた六本木が、温かいタオルで恵比寿の腹を拭う。指の先で頬の涙も拭った。 「すごく、よかった」 やさしい声を聞き、恵比寿は眉をひそめる。あいさつ程度の言葉にしか思えないのに、なぜか胸に響く。 「よかった?」 問われて、恵比寿は口を開いた。 「よかった――すごく」 掠れた声にしかならなかった。だが、これまでにないほど感じたのは本当だった。 「うん」 六本木はうなずき、上掛けを引き寄せる。恵比寿をくるみ、上からぎゅっと一度抱きしめて離れていった。 元の服装に戻る六本木の後ろ姿を恵比寿は見つめた。携帯電話をたぐり寄せ、強く握りしめた。 「おやすみ。よく眠れるだろ? 集合まで五時間だ。――じゃあ」 六本木が部屋を出ていく。オートロックのかかる音が、ひっそりと耳に届いた。 恵比寿は目を閉じる。携帯電話を握る手を胸に乗せた。そうして、静まっていく自分の鼓動と、窓の外の潮騒に耳を傾けた。 原に会いたいと思った。誰かに抱かれた直後に、ほかの誰かに会いたいと思ったことなど今までなかったはずだ。 体だけが、官能のなごりに満たされている。同じベッドに眠る者も、隣のベッドに眠る者も、誰ひとりいない夜だった。 おわり
※詳しいキャラ設定などはこちらをご参照ください⇒ (六本木はオリジナルキャラなのでキャラ紹介はありません) ◆作品一覧に戻る |
素材:KOBEYA