Words & Emotion   Written by 奥杜レイ

 
 

「永遠の向こう」




 ――ほら、アレ。アレが例のヤツ。
 人声のざわめきの中から耳が拾ったその一言が噂の当人を示すものだとすぐにわかった。
 それとなく、ゆっくりと目を巡らす。盗み見るような視線の集まる先に噂通りの美形を俺は見つける。
 人形のように整いすぎた顔立ち、何もかもを諦めたような醒めた表情――俺の目が捉えたヤツの姿と噂の内容はすぐには結びつかなかった。
 ――しゃぶらせてって言ってすげえいやらしい目で誘って誰でもOKでそんでもって超絶テクで一滴残らず搾り取られてしかもタダ。
 本当なんだろうか。だけど、これだけ噂になってるんだから本当なんだろう。
 その日は俺が一年で最悪の気分を味わう日だった。とてもひとりで夜を越せる気分じゃなかった。
「しゃぶってくれよ」
 目の前に立つなり、そう言い放った俺にヤツは物憂げな目を上げる。気のなさそうな素振りでも一通り俺を値踏みする。ふっと表情を緩めると噂通りのすげえいやらしい目になった。
 カウンターを離れてバーを出る。ヤツは俺についてくる。店の中にいる連中の好奇の目が背中に刺さってむずがゆかった。


「うっ……」
 噂通りの超絶テクに思わず声を漏らして背後の壁を両手で押して体を支え直す。ビルの壁に擦れた背中が少し痛い。ヤツは狭い路地にしゃがみこんで窮屈そうに俺のものをしゃぶっている。
 大きく息を吐いて空を見上げた。目を凝らせばビルに挟まれた薄明るい夜空でも星は見つけられた。消えそうな瞬きに和也を思う。
 おい和也、明日はおまえの命日だってのに俺はこんなことやってるぜ。
 俺のものに食らいついているヤツを見下ろせば、たいしておもしろくもなさそうな顔をしていた。いくらすげえテクでしゃぶられてても、こんな気のないツラ見てたら俺まで醒めちまう。俺は目を閉じた。
 意識をそこに集中する。生温かい肉厚の舌に舐められ吸われ、たっぷりと濡れた音が俺の耳をくすぐる。そろそろヤバい。このまま出してもいいんかね、べつにいいや、どうでもいい相手なんだから。
 思考を手放す、快感にどっぷり浸る、一気に大きな波が襲ってくる――。
「……くっ」
 一瞬強ばった体をビクビクッと揺らし、俺は深く息を吸って目を開けた。きゅっとさらに強く吸われて不意打ちを食らった。
 なんだよコイツ、一滴残らず搾り取るってのも噂通りじゃねえか。
 呆れて見下ろせば、ヤツは俺の出したものを飲み込むところだった。
 えれー驚いた。飲んだことにじゃない、飲み込む一瞬に見せた表情にだ。
 それまでの素っ気なさが嘘のようにぽっと頬を染め、やけに満ち足りたようなそんな色っぽい顔になった。そう、イったときに見せるような顔だ。
 口元を手の甲で拭いながら立ち上がると、ヤツは俺をまっすぐに見てニッコリと笑った。
「美味でした」
「はあっ?」
 見ず知らずの男のものをしゃぶって飲んで、美味っつってニッコリって何だ? つーか、てめえはジジイかってんだよ、美味ってさ。
「今日はさほど欲しくもなかったのですが、この街を去ろうという日に、このような美味なものを、しかも自分で見つけたわけでもないのに味わえて良かったです」
「なんだって?」
「ええ、とても美味でした。初めからそうだと見極めていましたら、こんな場所でこんなふうに戴くよりも、きちんと体に注いで頂きましたのに」
 って、何?
「残念です。そうすれば、あと一ヶ月は飢えずに済んだものを」
「あんたさ……それって、本番したかったってこと?」
「本番? ああ、そうです」
 俺はもうひとつの噂を思い出す。
 ――ナマ限定マグロになってるだけでこの世の天国。
 行けるもんなら行ってみたいぜ天国へ。なんせ天国には和也がいるからな。
「よし、それならこれからヤろうぜ」
 誰でもいい、今夜の孤独は耐えられない。和也はもういないんだから、俺をあっためてくれるんなら誰でもいいんだ。
 手を取ってヤツをぐいと引くとヤツはためらった。
「なんだよ、あんたがヤりたいっつったんだぜ?」
「そうですが、もう、無理だと思います」
「ふざけんじゃねーよ、その気にさせといて焦らす気か?」
「いえ、そうではなくて」
「なら来いよ」
「そうではなくて、あなたはもう機能しないはずです」
 なんだと?
「あんたさー、俺をバカにしてんのか? なら試してもらおうじゃねーか、足腰立たなくしてやるっての」
 びっくりしたように目を見開いたヤツを強引に引き連れていく。ふざけんじゃねえっての、口で一発抜かれたくらいで勃たなくなるような俺じゃねーっての。


「驚きました」
 ラブホでコトを済ませて、開口一番のヤツのセリフに俺のほうが驚いた。
「あなたのような方は初めてです」
 満足しきってベッドでへろへろになって、むちゃくちゃ色っぽい目で俺を見上げてヤツは言った。
「信じられません、こんな、一晩で二回も」
 俺のものがちゃんと機能したのがそんなに驚くことかってんだ。
「だーかーらー、なめてんのかっての。ジジイじゃないんだぜ、一晩に二回だろーが三回だろーが、いくらでもできるって。あんたロクでもないのとしかヤったことねーのかよ」
 とは言え、イったのは俺だけで、ヤツが一度もイかなかったのは不満だった。くっそー、俺じゃ役不足だってのかよ、一応へろへろにはさせたけどな。
「事実を申し上げているのです。この二百年で一晩に二回できた方はいませんでした」
「バカにすんのもいい加減にしろよ。だいたい、あんた何歳だってんだよ、三百歳か?」
 苛立ちをぶつければヤツは口を噤んだ。火照りの引かない顔のまま、やけに神妙になる。
「なんだよ」
「いえ……迷っているのです」
「何が」
「その……しばらくあなたのおそばに置かせて頂けないかと」
「は? セックスしたらよかったから付き合いたいって?」
「それとは若干異なるのですが」
 怪訝な目で見れば、ヤツはベッドの上にすっくと正座する。何かを言いかけ言い淀み、眉をひそめて迷いを隠さない。
 その迷う様子に常人離れした美貌が際立った。実際、顔だけでなくて体もよかった。とにかくきれいなのだ。モデルをやってると言われれば頷けた。さらりとまっすぐな髪は肩まで流れて顔立ちは上品、その上言葉遣いはバカ丁寧で動作は優美ときた。ちょっとやそっとじゃお目にかかれないタイプなのは間違いない。
「そうですね、理由をお聞かせせずに私の願いを叶えて欲しいなど失礼なことでしょう。実は、私は精を糧として永らえているのです」
 突拍子もない話に呆気に取られる俺に向かって、ヤツはとうとうと話した。
 ヤツが誰彼構わず男のものをしゃぶるのは精液がヤツの唯一の食い物であるからで、一応精液にもうまいまずいがあって、うまい精液を食えればヤツはしばらく飢えずに済むのだが、一度ヤツに精液を食われるとその男は向こう一ヶ月勃たなくなるんだそうだ。
 だけど、俺は一晩で二回できた。しかも俺のはうまかった。だからヤツは俺のそばにしばらくいたいと言うのだ。絶倫と言われてるようで悪い気分じゃなかった。
「このような身になってから私は老いません。それだけでもひとつ処に留まれないのに、ひとりの方からは繰り返し精を戴けないのが常でしたから、なおさら流浪せざるを得なかったのです。もう二百年になるのです。せめて仮初でもひとつ処で休息を得たいのです」
 あたりまえだが信じなかった。なのにヤツを家に連れ帰ったのは、ヤツが三つ指ついて頭を下げたからじゃなく、俺がひとりでいるのが嫌だったからだ。和也の命日を挟む日々は毎年俺を苦しめた。その苦しみを紛らわせるために俺はわけのわからない男を連れ込んでセックス漬けになろうと思ったわけだ。そこには、ヤツが俺とのセックスで一度もイかなかった悔しさもあったのかもしれない。


 和也は俺の恋人だった。男同士で付き合う後ろめたさは俺よりも和也のほうが強かった。会うのはいつも俺の家で、互いの愛情の深さは同じでも和也は俺の存在をひた隠しに隠していた。
 だから三年前のあの日、和也が交通事故で急死しても俺は葬式まで和也の死を知らなかった。ただの友人として和也の遺影に向かうしかなかった俺は、最愛の恋人の死を悲しむ以上に無性に悔しかった。俺は臨終に立ち会えなかったどころか、しばらく連絡のつかなかった和也に腹を立ててたんだ。
 連絡なんかつくわけなかった。和也は死にかけてたんだから。和也は何も言わずに俺を残して逝ってしまった。
 今年のやりきれない日々はわけのわからない男と一緒だ。和也に申し訳ないなんて思わない。和也を恨んでるわけでも和也にあてつけてるわけでもないけど、俺は生きているんだ。適当な男とヤりまくって適当にやりきれなさを紛らわせたっていいじゃないかと思う。
 紛らわせるという点では、ヤツはバッチリだった。不眠症に悩まされるどころか毎晩ヤツの超絶テクで果ててぐっすり眠れた。しかも寝物語に聞かされるヤツの話は途方もなく、俺に現実を忘れさせるには十分だった。
「今の時代は私のような者には都合がいいようで、なかなか大変なのです」
 その手の場所に行けば、しゃぶらせてと言ってニッコリ笑うだけで飢えを凌げるけど、うまい精液には滅多にありつけなくなったとヤツは言う。
「道として衆道が残っていた頃は良かった。私は一度、若い殿に抱えられたことがありました。精を戴きますと殿はしばらく機能を失われましたから、そのあいだは代わりの者を私にあてがってくださいました。殿を始め、私を慈しんでくださる者ばかりでしたので、戴くものも美味で私が殿の下で過ごせた日々は安らかなものでした」
 同じ男から食らうにも、そこに気持ちがあるとさらにうまいんだそうだ。そりゃまあ、そうかなと思う。俺がセックスするにしたって、どうでもいい男とするより好きな男としたほうがイイもんな。
「だけど、なんでそんな体になったんだよ」
 それは俺の素朴な疑問だった。ヤツの言うことを信じたわけじゃなかったが、フツーの食い物をまったく口にしないで何日もぴんぴんしてるヤツを見ていると次第にそうなのかもと思えてきたんだ。
「静を助けたかったのです」
 静というのはヤツの恋人だった女のことだ。ヤツは愛する女のために一生を捧げたのだが、ヤツとて元はただの男、一度セックスすれば一ヶ月は勃たなかったそうだ。
「静は私に操を立ててくれました。そのため、何年もすると次第に弱っていきました。それでも私は静が私以外の者と契るのは耐えられなかったのです。ですから私が精を集めて静に与えるしかありませんでした。静は私が同種の者になるのをためらいましたが最後にはそうするしかなかったのです」
 同種の者になって永遠の恋人同士になったはずの二人なのに、どうしてヤツは今ひとりなのかと訊いた。
「流浪の末、かつていた処に戻ったのですが、私たちを知る者がまだ生きていたのですよ。何十年経っても姿の変わらない私たちを忌み、お札で祓おうとしました。私は静を守り切れず、私だけが永らえてしまったのです」
 自殺するなら餓死しかなく、そんな勇気は持てないまま、結局、その静という女が消えてからもずっとこうしていると言う。
「なら、俺があんたにお札を貼ってやろうか」
 わりとマジに言ってやった。
「つまらないことを仰らないでください。今の世の中に、私を祓えるほどの信心を持つ者などひとりとておりません」
 そう言って、ヤツは底知れないため息を吐いた。
 エグイ話だ。そもそもヤツの同種とやらは女なのがあたりまえなんだそうだ。なのに、むちゃくちゃ惚れこんだ女のためにそんな体になって、しかもその女がいなくなっても飢えないためには男のものをしゃぶるか男とヤるしかないなんてさー。
 俺は無性にヤツが哀れになった。


 とか言っても、ヤってるときのヤツは、それはそれなりに楽しんでるみたいだった。メシ食えてうれしいって程度のものなのかは知らねーけど、イかないだけで、俺に抱かれればとりあえずへろへろになる。
 マグロになってるだけってんじゃつまらねーから、俺だってそれなりのことはやったんだ。ヤツの超絶テクは食い物を確保するためのものなんだろうけど、俺も負けちゃいられねえぜって気分にさせられる。
 ヤツの体中を撫でさすりまくって舐め回せば、ヤツだって喘ぐ。しゃぶってるときは素っ気ない表情でも、こんなときの顔はなかなかイイ。つーか、かなりイイ。なんてったって、美形だからな。
 さらりとした髪が額に散って、細い眉が快感にひそめられる。閉じた睫毛が震えて、薄く開いた唇から甘ったるい声が漏れ続ける。じれったく俺をまさぐる手も俺の腰に回る脚も、なんだか俺を本気にさせる。なによりも、人形みたいな顔がその時だけは生気に満ちたようになるのがたまらなかった。
 ヤツは生きている。生きているって言っていいのか知らねーけど、生きている、そんな感じなんだ。その時だけは生きている、間違いなく生きている。
 だから俺はヤツをもっともっとヨクしてやりたくなる。悶えててもどこか抑えたような上品な鼻っぱしをへし折ってやりたくなる。もっともっと乱れさせて――そう、イかせてやりたくなる。
「あ、あ、はあ」
 俺に突き動かされてヤツは喘ぐ。
「あ、あなたに、これほど、慈しまれて、私は、果報者です」
 俺に揺さぶられて切れ切れにヤツは言う。
「こんな、親密な、精は、殿以来です」
 殿だと? 余計なこと言うんじゃねえ。殿なんつーうるさい口を口で塞いで、ガツンガツン突っ込んで俺はヤツに中出しする。
「ん――ああっ」
 絶頂に果てたような声を上げてもヤツは決してイかない。
 ヤツがイかないのは、俺なんかなんとも思っちゃいないからだと思った。それが俺を苛立たせた。いいじゃねーか、こんだけ食ってんだ、食いながら一回くらい吐いたってさ。
 いつしか俺は、ヤツをイかせることに躍起になっていた。
 永遠に永らえるというヤツを抱いて、俺は精を放つ。どんなに歓んでもイかないヤツの体に、ヤツにとっちゃ食い物にすぎない精を放つ。その虚しさに眩暈を感じながらも、俺は何度もヤツを抱く。
 俺はヤツの境遇の悲惨さに同情してるだけなのかもしれない。俺と同じようにひとり残されたヤツと孤独を分かち合いたいだけなのかもしれない。
 それでもいいと思った。ヤツを俺のものにできれば。俺だけのものにできれば。絶対に俺より先に死なないヤツを俺だけのものにできれば。
 永遠に死なない恋人――それは、俺にとって強烈な誘惑だった。


 満月の晩だった。俺の下で喘ぐヤツは月影に彩られて壮絶に色っぽく、抱き慣れた体に俺はいつも以上に激しく興奮した。それも仕方ないと思う。気持ちが入っちまったんだから。
 ヤツも俺に抱かれ慣れて、それ相当に乱れる。こんなセックスが恋人同士のものじゃないとは誰にも言わせないほどの濃密さだった。
「もうずっと俺だけのものになれ」
 限界まできていた苛立ちが俺にそう囁かせる。
「死ぬまであんたに食わしてやる」
 うめいて仰け反ったヤツの顔でかすかに眉が寄る。
「俺はもう、ひとり残されるのは嫌だ」
 ヤツの中にどっぷり突っ込んで動きを止めると、俺はヤツをぎゅうっと抱きしめた。ヤツの中で俺のものはドクドクと脈打つけど、まだまだ出したくはなかった。
「私が欲しいと、そう仰るのですか」
 掠れた声でヤツは言った。
「――そうだ」
 俺は答えた。
「このような身の私なのに? あの殿ですら、最後には私を忌み遠ざけたのに?」
「殿なんかもう忘れろ。俺はあんたの同種になってもいい」
 永遠に連れ添えるのならそれでもいいと、俺はそこまで思い始めていた。それよりも、俺が死んだらヤツは誰かに抱かれるしかないのが耐えられないと、俺はそう思っていた。
「男の精を糧とする卑しい身に堕ちてもいいと仰るのですか。それほどまでに仰ってくださるのですか」
 ヤツの目が潤む。涙が溢れ出した。
「永遠に永らえても、気持ちまで永遠とは限りません。それでもいいと仰るのですか」
「いいさ。俺から離れられなくなるほど抱いてやる」
 俺はヤツの唇を貪る。ぶち込むよりも、いっそこのほうが気持ちを伝えてくれる。
「うれしい……爾永(じえい)と呼んでください」
 一緒に暮らして数週間、ヤツは初めて名を明かした。その意味の深さを知らないままに、俺はヤツの名を呼んで再び腰を使い始める。
「爾永……爾永」
「あ、あ、ああっ」
 紛れもない性感に震える声、それを耳にして俺はますます昂ぶる。爾永のものを手に取り扱きあげた。するとそれは、初めて息づく。その歓びに俺は舞い上がった。
「ああ、爾永は幸福です、あなたにこれほどまでに想われて……」
 俺と爾永は初めて一緒にイった。爾永がイったのは俺に気持ちを許したからだと、俺はそれがうれしくてたまらなかった。
 正真正銘の俺とのセックスの快楽に漂う爾永をきつく抱きしめた。絶対に失うことのない体を思う存分抱きしめた。
 それなのに、やがて、抱きしめる体が儚く消えつつあるのに気づく。驚いて身を離して見つめる俺の目の前で、爾永の体は淡く透明になっていく。
「爾永、爾永!」
 うっすらと目を開けて俺を見つめた爾永の顔は、偽りない幸福に満ちたものに見えた。
「申しわけありません……こんなことになるとは、私も知らなかったのです」
 耳に届いた声はかすかなものだった。
「何がいけなかったのでしょう……ひとりになってから、真名を呼ばれたのも吐精したのも、これが初めてだったのです」
「爾永!」
「あなたを残して消えるなんて……許してください、感謝しています、あなたは私を消してくださった……」
「爾永――!」
 俺の腕の中には、もはや月の光しか残っていなかった。


 あれから俺はインポになった。一生インポなのかはわからない。もしそうならお笑いだ。俺にとっても爾永にとっても、互いが最後の永遠の恋人になるんだから。
 だけど、俺は知った。永遠なんてどこにもない。だから俺のものもいつかは復活するだろう。そしてまた誰かに突っ込むんだ。それでいい。俺はまだ生きている。



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素材:StudioBlueMoon