Words & Emotion   Written by 奥杜レイ
 

「キスって」

 


「だ、なにすんだよっ」
 両手で思いっきり突き飛ばされた。よろけたけど、おれはどうにか踏みとどまった。
「どういうことだよっ。ふざけんじゃねえぞ、一真!」
 まっかになった顔でおれを睨みつけ、俊介は唇を手の甲で拭う。
「い、い、いきなり、キ、キ、キ」
「キス、だろう?」
「そうだっ、キスするなんて、なんだよっ、つーか、おまえ、へーきな顔でキスなんて言うんじゃねーっ」
 口を手の甲で押さえたまま、肩で大きく息を継ぎ、上目遣いでおれを睨み上げる。さらりとした髪が、今にも逆立ちそうだ。
 ……まったく。猫のケンカかってーの。
「いいじゃん、キスくらいさせろよ」
「ふざけんじゃねえっ! てめー、女がいるじゃねえか、そんなにしたいんなら、カノジョとやれってのっ」
 はああ……言ってくれるぜ。おれの気も知らないでさ。
 だけど、おれはため息混じりで答えてやる。
「あいつとは別れたよ」
 一瞬、大きな目をさらに大きくしておれを見据えたかと思うと、再びわめき散らした。
「別れたからって、おれにすんなっ! そんなに飢えてんのかよっ」
 ああ、もう、ぐちゃぐちゃとうるさい。
 放課後の教室。いるのは、当然おれたち二人だけだ。沈み始めた太陽が、今日最後の力を振り絞って、教室をオレンジ色に染め上げている。
「なんでおれにキスなんかすんだよっ、飢えてんなら、新しい女つくりゃいいじゃねーかっ」
 こいつはいつだってこうだ。ああせえ、こうせえって、うるさいったらない。
 おれにまとわりついて、いつも一緒にいたがって、今日はデートだとか言うと、途端に悲しそうな顔をして――。
「なんで、おれなんだよ……」
 駄目押しにぽつりと呟くと、その悲しそうな顔を背けて目を伏せる。
「俊介」
 もう一度腕を取って、引き寄せた。
 今度は突き飛ばされないように、がっちりと胸に抱え込む。
「な、放せ、放せっての、一真!」
 腕の中で俊介はもがく。髪が揺れ、その一本一本に夕陽が反射する。乱れ飛ぶ光の粒。
「やだ、やだって!」
 俊介が机にぶつかり、ガタッと大きな音がした。おれは俊介を机の上に押しつけて、覆い被さるように唇を重ねた。
「んっ!」
 きつく閉じた瞼にも夕陽は降り注いでいる。長い睫毛の上でも光は跳ねていた。瞼の下で、ためらうように瞳が動くのが見てわかる。
 だいじょうぶ、だいじょうぶだから。
 まるで子どもに言い聞かせるかのように、胸のうちで何度も唱えながら、頬に手を添えた。やさしく撫でさすり、震える瞼を指先でなぞった。
 いきなりキスなんて、そんな強引なことをするつもりはなかったんだ。だけど、二人きりでいる夕暮れの教室は暖かくって、いつもの笑顔を見せてくれるおまえがたまらなくってさ――。
 おれに押さえつけられて、なすすべもない俊介。眉を寄せて唇を引き結んでいる。
 なんだか、情けないよな。
 おれは、ゆっくりと体を起こした。
「……ふ、う」
 唇を解放されて、俊介は深く息を吐く。机の上に背を預けたまま、おれをじっと見上げた。
「どうして――どうして、おれにキスなんかすんだよ……」
 今にも泣き出しそうな顔だ。そんな顔をさせたくて、したことじゃないのに。
「したかったんだろ、おれと」
 捨て鉢な気分で言えば、また顔をまっかにした。
「な、なに言うんだよ……」
「違うのか? おれとキスしたかったんだろ?」
 俊介は何も答えない。ただ眉を寄せ、逃げるでもなく、机の上に身を投げ出している。
 俊介の気持ちには気づいていた。気づくと同時に、おれは自分の気持ちにも気づいたんだ。それがいつだったのかなんて、そんなのはどうでもいい。
 自分じゃ認められない気持ちを隠していたのはお互いさまだ。
 どうせ、おれと付き合えるわけがないとか思ってたんだろ? 男同士だからって、変だとか思ってたんだろ? 
 こんな俊介をかわいいと思うおれも、相当、変なんだよ。余計なことなんか考えなくていいのに。気持ちを押さえ切れなくなったのは、おれが先なのに。
 この期に及んで、頑なな俊介に苛立った。おれにキスされて、拒む俊介に苛立った。
 だけど、こんな悲しそうな顔をさせたくて、キスしたわけじゃないんだ。
 身をかがめて俊介の頬を手の平で包んだ。俊介を見つめる眼差しがやわらかくなっていくのが自分でもわかる。
 いつもいつも「一真、一真」ってうるさくって。くだんねえことばかり楽しそうに話して。おれに女ができるたびに、困ったような顔で「やっぱ、一真はモテるし」なんて言ってさ。
 バカだよ、おまえ。
 おれは俊介の頬をやさしく撫でる。頬を撫でられ、俊介は不安そうにおれを見上げる。なにか言いたげな眼差しで、おれをじっと見つめる。
 そんな目で見るなって。たまんねーじゃん。
 止められるわけがなかった。また抵抗されようとなんだろうと、おれはキスしたいんだ、おまえと。
 胸の奥から熱い吐息が溢れてくる。唇を寄せる。俊介の顔を手で支えるだけで、もう、無理強いはしなかった。
「なんで」
 重なっただけの唇を動かし、俊介が問う。
「なんで、おれにキスすんの」
 こいつはどうしてもおれに言わせたいらしい。
「バカだな、決まってんじゃん」
 おれも触れ合ったままの唇を動かして答える。
「決まってるって――」
 少し顔を離して窺えば、幼さが残る顔に戸惑いと期待が見え隠れする。
 ホント、おまえはわかりやすい。
 だから、おれは白状しよう。今まで一度も口にしたことのない言葉をおれは言ってやる。
「――好きだから」
 気持ちを言葉にするのは、まるで相手に許しを請うようで、苦しくて……。
 恥ずかしいったら、ありゃしない。
「一真!」
 跳ね起きて、俊介はおれに抱きついた。首に腕を回してぎゅっと引き寄せる。噛みつくように唇を押し当ててきた。
 おれの体中の血が沸き立つ。胸に受け止めた体をきつく抱きしめる。唇を開いて、俊介を受け入れる。
 まさか、な……。おれがこんなふうになるなんて、さ。
 頭の芯が痺れてくらくらする。重なる唇のやわらかさ。舌が捕えた熱く濡れた感触。夢中になって俊介の髪を掻き乱した。
 もう、唇だけじゃ満たされない。どこもかしこもキスで埋め尽くしたい。
 頬にキス。瞼にキス。耳にキス。首筋にキス――。
「……一真、おれ」
 耳元で俊介の声が震える。
「おれも、一真が――」
「言わなくたっていい――言わなくたって、わかるから」
 おしゃべりな口を口でそっと塞いだ。顔を離して見つめれば、やわらかな笑みが返ってきた。
『好きだよ、ずっと好きだったんだ、一真』
 言葉にしなくても、その気持ちはわかってるさ。
 キスってさ。
 キスって、こんなもんだろう?
 気持ちを言葉にするのは、相手に許しを請うようで苦しくて、でも、キスは――。
 キスは気持ちを許すもの。甘く、気持ちを溶かしてくれる。



2002年10月30日



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