Words & Emotion Written by 奥杜レイ
「好きのはじまり」
見境なくヤってやる。元村がそう言ったのは1ヶ月前だ。その宣言通りにヤりまくっているのを藤野は知っていた。
まったく、どういうつもりなのかと思う。好きでもない相手と裸になって交わりあうなど藤野には信じられないことだ。はずみで、とか、押さえ切れない欲望で、とか、抜き差しならない情動があるのならともかく――いや、それであっても藤野には信じ難いのだが――元村は単に宣言を実践し続けているかのようなのだ。
「どういうつもりなんだよ……」
ため息すら掠れてしまう。元村を自宅に呼びつけたまではよかったものの、いったいどうやって長年の友人にとんでもないことをやめさせたらいいのか藤野にはいかなる算段も用意されてなかった。
当の元村はそんな藤野の様子などどこ吹く風だ。いつものように窓のへりに腰かけ、暮れていく空を眺めている。
藤野は元村の後ろ姿にもうひとつため息をもらすと、コーヒーがいいのかビールがいいのか、台所で迷った。真剣に話をしたいのだからビールよりもコーヒーのほうが良さそうだけど、元村の舌を滑らかにするのならビールのほうがいいように思える。
一間しかない藤野のアパートではベッドの脇にテーブルが置かれている。これは冬期にはこたつになる代物だ。あとは大学生らしく、机と本棚と積み上げた衣装ケースしか見当たらない。
「とにかく飲もう」
「おう」
藤野が手際よくグラスやら簡単なつまみやらを並べる横で、元村はさっさとテーブルについた。悪びれもせず、いつもと同じ態度だ。またもや藤野はため息をついてしまう。
「なんだよ、えれー暗いな」
「あたりまえだろう」
ビールを手にすると当然のようにグラスを差し出す元村が恨めしい。これほどまでに彼を気遣っている藤野の気持ちなど、微塵も気にかけてないのだろうか。
「久しぶりだよな、1ヶ月ぶりくらいか?」
ぷはーっと最初のグラスを空けるとにっこりと笑みを向けてきた。その笑顔に藤野はしかめ面で返す。
「おまえが忙しかったんだろ。電話してもちっとも出ないし。ケータイも持ってないんだもんな」
「悪いかよ」
「……べつに」
ケータイも持たないような男なのに、次から次へと宣言通りに相手構わずヤりまくれるのなら、考えようによっては本当にスゴイ男なのかもしれない。
だが、一縷の希望を持って、藤野は確かめずにはいられなかった。
「本当に見境なく……その……ヤりまくってんのか?」
言葉にするのも恥ずかしい。
「まあな」
「どういうつもりなんだよ」
「おまえにはカンケーねーだろ」
「どうしてそんなこと言うんだよ!」
苛立ちに任せてグラスを置けば、意外にもダンと大きな音が響いた。その音が藤野を後押しする。
「あのね。僕は、今の元村って信じられないんだよ。確かに前からモテてたのは認めるよ? だけど、もっと真面目に考えてたじゃないか。相手のことだって、自分のことだってさ。だから、そんな、手当たり次第に相手構わず、その、そういうことをするのは……」
「あんだよ、はっきり言えよ、セックスだろ?」
「そ、そう、だから、相手構わずセックスするのは……」
語尾が小さくなる。ちらっと上目で窺えば、元村は尊大な態度で藤野を見下ろしていた。
「いいじゃねーか、べつに強姦してるわけじゃねえんだしさ」
「強姦じゃなくても……」
「合意の上でのことなんだから、他人にどうこう言われる筋合いはないね」
「他人だなんて!」
ムカついた。長年の友人で、しかも一番親しい間柄だからこそ、自暴自棄とも言える行為に陥っている元村をどうにか立ち直らせようと、藤野は言いたくもない苦言を言う覚悟を決めて今ここにこうしているのだ。
コイツはちっともわかっちゃいない。
「他人なのは、おまえが見境なく相手した女の子たちだろう? 僕を他人呼ばわりするのはやめて欲しいね」
「へえ?」
片眉をくいと上げてしげしげと見つめてくる目が憎らしい。平然とビールを飲み続け、つまみに手をつけるその態度が憎らしい。
「だいたいさ、セックスってのは、そんなどうでもいい相手とするもんじゃないだろう?」
「ほお?」
「本当に好きで、どうしようもない気持ちになって、何かこう、もっとお互いを知るって言うか、気持ちを確かめ合うって言うか、そんなふうにするもんじゃないのか?」
一気にまくし立てれば、元村は眉をひそめた。フンと鼻先で笑う。
「んなこと言ってっから、おまえ、まだ童貞なんじゃないか」
「余計なお世話だ!」
「おまえのようなヤツ、前世紀の遺物っつーんだよ、誰も相手にしないぞ」
「うるさい! 前世紀って、3年前じゃんか」
「ほざいてんじゃねえよ、ちょっといいかなー、つきあってみたいなー、ヤってみたらどうかなー、って、いまどきの女はみんなそんなふうに思ってんだよ。なんだよ、おまえ、ヤったこともないくせに、何もわかっちゃいねえっての」
返す言葉につまづいた。憤然と藤野はビールをあおる。空いたグラスをテーブルに置けば、さりげなく元村は満たしてくれた。それがますます藤野を苛立たせる。
「おまえ、さっさとヤらないから、女に逃げられてばかりいんだろ。いつまでたってもキスのひとつもしなけりゃ、あら、この人、私に本気じゃないのかしらって思われるんだよ」
「だけど……」
憤慨のあまり、消え入りそうな声しか出てこない。
「んだよ」
「だけど、僕は、そんなのはイヤだ」
「はああ〜……」
特大のため息を聞かされ、なんでこんな話になっているんだと藤野は情けなくなってきた。
「だってさ、僕はそんな簡単にセックスするような女の子は好きになれないんだ」
「そんな女ばっかだぞ。だから俺はヤり放題なんだし」
「ヤだよ、そんなの。どうしようもないくらい好きになった相手じゃなきゃイヤだ」
「どうしようもないくらい好きになった相手なら、どんな相手でもいいのかよ」
「そうだよ」
きっぱりと見返すと、元村は呆れ果てていた。
「あんだ? じゃ、カレシのいる女でも、すっげえ年下でも、人妻でもいいってのか?」
「お互いに本気で好きになっちゃったら、どうしようもないだろう?」
「なんだよ、おまえの言うことって、ずいぶん勝手だな」
「勝手って……そりゃ、人妻じゃ問題あるかもしれないけど……」
口ごもり、気まずい沈黙が流れる。苛立たしげに元村がタバコを探るのに気づいて、藤野は小皿を取りに台所に戻った。あらぬ方向に向いてしまった会話をどう戻そうかと考えた。
「僕のことを勝手って言うんなら、どうして元村は手当たり次第に見境なく……その……」
「セックスだろ!」
イラついた声が返る。プカプカと忙しなくタバコを吹かす顔が歪んでいる。
「うん……なんで相手構わずセックスするんだ?」
真剣な思いで尋ねれば、タバコを持つ元村の手が空で止まった。
「どうしてなんだよ」
気負って再度尋ねる。元村はつと目を逸らすと乱暴にタバコをもみ消した。
「……誰とヤっても満足できねーからだよ」
「はああ?」
何を言ってるのだコイツは。それなら、満足できる相手が見つかるまで続けると言うのか? 真剣に惚れているわけでもない相手に、そんなの無理なんじゃないのか? ――いや、それとも単に、体の相性とかそういうものがいい相手を探しているだけなのだろうか? ――よくわからないけど。
あんぐりと口を開けて元村を見つめる藤野であった。
「おまえが何考えてるかくらいわかるぜ。けどな、それは違う」
「違うって……」
渋い顔のまま元村はビールをあおった。新しいタバコを手に取る。
「違うって、じゃあ、どういうことなんだよ」
「知るか」
「知るかって、自分のことだろう?」
「言わない」
「言えよ!」
言え、言わない、の押し問答が続いた。押し問答を続けながらもビールは減り、つまみは消えていく。気づけばテーブルの上は空になっている。
「もうっ! いいかげん、言えったら!」
勢いで藤野は元村ににじり寄った。手にあるタバコを奪い、小皿にもみ消した。
「今日は、もう、聞くまで帰さないからな!」
「へええ? 泊まってもいいのかよ」
「ふざけんな、僕はね、もう、元村にそんなことやめて欲しいんだ」
「なんで」
「イヤなんだよ、こんな、ヤケになってるような元村なんて、見ていたくない」
「見なきゃいいじゃん」
「そうはいかないだろう?」
「どうして」
「僕たち、友だちじゃないか!」
はああーっ……。元村の口から超・超・超特大のため息がもれた。
「なんだよ……」
「おまえ、サイッテー!」
「最低って、なんだよ!」
思わず、元村の襟首を掴んでしまった。そんな自分に注がれる元村の目がやけに淋しげなことに気づいて、藤野は居心地の悪い思いをする。
元村は、また新しいタバコに火を点けた。すごすごと藤野の手が離れていく。
「んだよ、俺の気も知らないで、言いたいこと言ってくれるじゃん」
チッと元村は舌打ちした。
「……言ってくれなきゃわからないよ」
「くそっ。言うよ、言えばいいんだろ? ……しょーがねーじゃん、本当に好きなヤツとはヤれないんだから」
藤野は目をむいた。呆気にとられて呟くように言う。
「元村……それって、おまえバカ?」
「バカってなんだよ。いくら俺が好きでも、相手が俺のこと好きじゃなきゃヤれねーのがフツーなんだろ? おまえ、さっき言ったじゃん」
「うっ。……元村から好きだって言ってもダメだったわけ?」
「言ってない」
「なんで言わないんだよ! おまえならフラれるわけないだろ。言わないうちからあきらめて、めちゃくちゃなことして憂さ晴らししてるなんて、やっぱりおかしいよ」
「言えねー相手なんだよ!」
「どうして。言ってみればいいじゃないか」
「言えねーよ」
「……人妻なのか?」
「バカ!」
ごつんとゲンコで殴られた。藤野は涙を滲ませながら頭をさすり、それでも食い下がった。
「どうして言わないんだよ」
「男なんだよっ」
「へ?」
元村はフンと顔を背けてビールをあおる。聞かされた言葉が頭の中でぐるぐる回り、藤野は何をどう答えればいいのかわからない。だけど、ここで黙り込んでは無理やり言いにくいことを言わせた元村に申し訳が立たないだろう。
「……言ってみれば?」
「バカ言うな」
「だって、そういう人も最近はいるみたいだし」
「バカ。前からいるわい」
「それなら、なおさら言えばいいじゃん、もしかしたらってこともあるし」
「あのなー……」
呆れ返った目が藤野を捕らえた。思わず、藤野は姿勢を正す。
「わかんないよ、ほら、元村はカッコイイし、元村が好きになったんならつきあいがある相手なんだろう? だからさ、もしかしたらってこともあるよ」
「うっせえな。なら、おまえ、男に好きだってコクられたらどうすんだよ」
「え?」
視線を落として藤野は考え込む。うーん、うーんと唸るように考え込む。
「わーった、わーったよ、も、いい、考えるな。悪かった、訊いた俺がバカだった」
「でも」
「いいって、いいからさ」
元村の腕が藤野の肩に回った。ぐいっと引き寄せられ、藤野は元村の胸に包み込まれる。
「わかったって。もう、見境なくヤんのはやめる。おまえが俺のこと本気で心配してくれてんのはよくわかったぜ」
すっと元村の顔が降りてきて藤野の髪に唇が触れた。そんなのはよくあることだ、藤野は気に止めない。
「うん……だけど、元村は本当にいいヤツなんだしさ、きっと元村が好きな人も元村のこと好きだと思うよ。だって、僕も元村が好きだもん」
屈託のない笑顔で見上げれば、元村はせつなそうに淡くほほ笑むのだった。了
2003年4月7日
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