Words & Emotion   Written by 奥杜レイ
 

「たなぼた」

 


 深夜、畳を踏む足音がかすかに耳に届く。ごそごそと衣擦れがしたかと思うと、おれの眠るベッドが静かに沈んだ。
「コウちゃん?」
「ん? 起きちゃった? ゴメン」
 おれの隣に横たわった男は、そのまま寝返って背を向ける。
「……ねえ、コウちゃん」
 広い背中にぴとりと頬を寄せて、胸に手を回した。
「コウちゃんってば」
 あくまでこのまま眠るつもりらしい。期待半分、悔しさ半分、おれは回した手で胸をまさぐり、ゆっくりと下へ伸ばしていく。その手をはっしと掴まれた。
「寝る」
 ……。顔も見せずに一言で却下のつもりかい。
「いいじゃん、ねえ」
 声にムカつきを滲ませるなんてバカなことはせずに、いつものようにおねだり一手で攻めてみる。
「あ、俺、なんだか腹が」
「腹ぁ?」
「いた、いたた、あ、だめ、寝なくちゃ」
 ――あんだと! くっそぉ、おれたちゃ倦怠期の夫婦かよっ!
 子どもじみた芝居に本気でムカついた。ガバッと背を向けると、ぎゅうっと目を閉じた。こうなったら、ぜってえ、おれの方が先に寝てやる!


「ワタル、朝メシ〜」
 いつものセリフに起こされた。先に寝てやるといきまいたのが裏目に出て、隣で寝息を立てるアイツにムカムカして、やっと眠りかけた時には、かすかに新聞配達のバイクの音を聞いたように思う。
「ワタル、もう、時間ない〜」
「うっせえな、メシなんか食わないで行け!」
「冷たいこと言うなよ〜、朝メシ〜」
 ったく。だだこね野郎に目を向ければ、あたふたとネクタイを結んでいる。
「しょーがねーなー」
 ちっくしょう、今朝もキマってんじゃんか。コイツのスーツ姿、おれ、弱いんだよな。このルックスで、なにが「朝メシ〜」だよ。社内で言ってみろってんだ。女子社員がきゃーきゃーうるさいだろうよ、くそ。
 不機嫌丸出しのまま、おれは台所に立つと手際よく用意し、あっと言う間にテーブルに並べてやった。
「おおっ! さっすがワタル!」
 メシが食えることに感激しているのか、おれに感心しているのか。
 おれはオン・オフの切り替えがはええんだ。こんなチャラい朝メシなんて、ぱぱぱってもんだ。鍋に湯を沸かしている間に食器を並べ、ねぎを刻んで納豆に添え、味噌汁の具は冷凍ほうれん草、沸いた鍋に放り込んでダシと味噌を加えれば、ハイ出来上がり、なんだよ。そんくらい覚えろ、自分でやれ!
 とは、口に出さず。
「なあ、コウちゃん、今夜も遅いのか?」
「ん、プレゼン間近だからなあ」
「それ、いつ終わんの」
「来週だけど、契約取れれば、それからも遅い」
「じゃ、今度の土日は?」
「だから、プレゼン間近だから」
「マジ? 休日出勤?」
「そう。ごちそうさま」
 形だけ手を合わせると、ダッと立ち上がり、玄関に向かう。
「なあ、いつんなったらできるわけ?」
 靴を履く後ろ姿に言い放つ。
「おいってば」
「やば、乗り遅れる!」
 慌しくドアの向こうに出て行く背中に言ってやった。
「しんねえぞ、浮気すっからな!」
 返事は、もちろんなかった。


「ねえねえねえ」
「なんですか三雲さん、『ねえ』を三連呼して」
 担当の宇津木さんは、メガネの奥からじろっとおれを睨んだ。
「あのさ、結婚して十年の夫婦ってどんなもん?」
 おれの描いたイラストから顔を上げると、ふうっと大きく息を吐いてタバコに手を伸ばす。
「あのね。どんなつもりでそんなこと私に訊くのか知りませんけど、これ、手直しです」
「え! マジ? どこ?」
「このあたり、ちょっと暗すぎですよ」
「暗すぎ〜?」
 あんだよ、暗いのを明るく直すのって大変なんだよ。
「この間の打ち合わせのとき、ちゃんと聞いてました? 夏の特集なんですよ? もっとキラッと明るく、パッと目を引くように仕上げてくれなくちゃ。――うまくいってないんですか?」
「え?」
「康太郎さんと」
 うー……。
 宇津木さんは勤続十数年のベテランだ。結婚しても、出産しても、仕事をやめなかったバリバリのキャリアウーマンだ。あ、いまどき、キャリアウーマンなんて言わんか。ワーキングウーマン?
 てなことは、どーでもよくて。いつだってお見通しなんだよな、って、自分で振ったんだった。
「仕事なんですからね。私情をはさまない。それに、結婚何十年になっても、仲がいい夫婦は仲がいいし、そうじゃない夫婦はそうじゃない」
 正論聞かされたってなあ。
「だいたい、ゲイカップルなんて、そのへんの夫婦と同じようには考えられないじゃないですか」
「え? そういうもん?」
「まあ、子どものいない夫婦とは似たり寄ったりのとこもあるかもしれませんけど、まるっきり同じってことはないんじゃないですか? それより、そんなことは私に相談しないで、同じような立場の方にでも相談すれば――」
「それができないから宇津木さんに話したんじゃない!」
 そうなのだ。アイツと同居するようになってから、おれの交際範囲は狭くなり、嫉妬深いアイツのせいで何人友達なくしたことか。それに、おれの知り合いには、おれたちよりも続いているカップルなんていないんだよ。
 やれやれとでも言いたげに、宇津木さんはタバコに火をつけた。
「で、どうしたんです」
「いやー、あのー、なんつーの、最近、アイツすごく忙しくて――」
「構ってもらえないと」
 ハハハとむなしく笑ってしまった。
「帰ってくんのも深夜で、休日出勤が続いて、話す時間もほとんどなくて」
「それ、そのへんの専業主婦の愚痴と同じですよ?」
 またもや、ハハハとむなしく笑ってしまった。
「三雲さん。あなた、主婦じゃないんだから。お互い仕事持ってる一人前の男でしょう? どうしてあなたがそんなことで悩まなくちゃならないんですか。男ならガツンとやっちゃいなさいよ、ガツンと」
 はあ。ガツン、とですか。
「とにかく。私生活の悩みは早急に解決し、抜群のコンディションで、ばっちり仕上げ直してください。夏ですから。キラッときらめいて、ピカッと輝いて、ですからね」
 タバコをもみ消すなり、宇津木さんは立ち上がった。伝票を持ってレジへ向かったかと思うと、すたすたとファミレスを出て行く。
 いつもながら、男らしいっす、宇津木さん――や、女だけど。


 ガツン、かあ。ガツン、とねえ?
 自宅のアトリエで絵筆を握りながらおれは考える。おれがアイツにガツンとするには、どうしたらいいか。どうしたらいいかなー……。
「そっか!」
 途端に明るい気分になった。夏だもんな。キラッと、ピカッと、ひらめいちゃったよ。イラストだって明るくなっちゃうよ? 暗い色とはおさらばだーい!


 深夜、畳を踏む足音がかすかに耳に届く。ごそごそと衣擦れがしたかと思うと、おれの眠るベッドが静かに沈んだ。
「コウちゃん」
 今夜は返事もない。昨夜の今夜だ、さすがのコイツも二晩続けて逃げるのは胸が痛むってもんか? だけど、おれは怯まなかった。ガツン、だもんな。
「……だ、な、なにすんだよ、ワタル、わ、やめろ!」
 おれだって男だ。ついてるもんはついてるんだ。使ってくれないんなら、自分のを使えばいいまでのこと、こーんな簡単なことに気づかなかったなんて、おれって相当ブルー入ってたんだな。
「今夜は逃さないよ」
 くー、カッコイイじゃん、おれってば、こーんなクサイセリフ、言えちゃうんだなー。
「な、なに言ってんだよ、オイ!」
「うっせえ、少し黙ってろ」
 おれはおれに酔っていた。いつもとは逆のパターン、焦りまくってんのかアイツはおれにされるがままだ。あとからブツブツのたまわれてはタマらんからな、それはそれなりに、やさしく、甘ったるく、おれが今までされてヨカッタことのオンパレードで、攻めて攻めて攻めまくった。
「ん、ん、あ、はあ、んん――」
 気づけば、おれの下でアイツはよがってた。いやー、やってみるもんだ。いいじゃん、こーいうの、ひゃー、知らなかったよ。
 おぼろげな常夜灯の下、浮かび上がるアイツの顔はひどく色っぽい。いつもの、おれを押さえ込んで見下ろす男くささはなく、快感の波に翻弄されて――。
 俄然おれは燃えた。がんばった。無駄のない筋肉で包まれた男のカラダにむしゃぶりついた。初めてだろうから、あそこをほぐすのは特に念入りに、お気に入りのジェルを使って、指も一本二本と少しずつ増やして、十分様子をうかがって、もう大丈夫だろうと確信してから貫いた。
 うーん、このカイカン……これでこそ男ってもん?


「……あんま、びっくりさせんなよ、ワタル」
 ことが済んで、二人とも汗でぐっしょりのまま、ベッドに横たわっていた。
「――怒った?」
「いや、怒っちゃいないけど、とにかく驚いた」
「――ヤだった?」
 少し間があく。やば。怒ってないって言ったけど、本当は怒ってたりして。
 アイツはゆっくりとおれに顔を向けると、耳元に唇を寄せた。
「すっげ、よかった。俺、燃えてただろ?」
 恥ずかしそうに言って、頬にちゅっとキスなんかする。
「うん、めちゃくちゃ色っぽかった」
 ホント、あんまり色っぽいから張り切っちゃったもんな。えれー疲れたぜ。
「なあ、ワタルもよかったんなら、これからはこれでいこうぜ?」
「マジ?」
 思わず、すっとんきょうな声が出る。
「ああ、そうしようぜ、俺、こっちの方が楽だし、疲れててワタルに冷たくすんのが続くと俺も辛いし、ワタルがいいならそうしたい」
 マジ? マジ? マジっすか?
「俺、最近、本当に疲れてたのよ。ワタルのことは好きだけど、だけどするのは億劫でさ、悪かったと思うよ。おまえ、相当怒ってたもんな。マジ、浮気されっかと思った。でも、まさか、こんなふうに考えたなんてさ」
 くすくすとアイツは笑う。
「だからさ、そうしようぜ?」
 甘ったるく耳元で囁く。
 うーん……だけどな。
「それ、却下」
「なんで」
「おれ、もーいい。コウちゃんがすっげえ色っぽいのわかったし、もういい」
「だから、どーして」
「いいよ、もう、抱くのって疲れる」
 ぷっとアイツは吹き出した。ゲラゲラと笑う。
「ちぇっ、笑うと思った」
 はー、こういうのってなんて言うんだ? 棚から牡丹餅? 勢いでやってみたら、つくづくアイツの気持ちがわかったってゆーか、なんつーか。
 ゲラゲラ笑いながら、アイツはおれを抱きしめる。少し湿った肌に包まれて、慣れ親しんだ心地よさを感じる。
「かわいいじゃん、ワタル、愛してるよ」
 臆面もなくクサイセリフをおれの耳に吹き込んで、情熱的なキスをしてきた。
 うーん、なんだったんだろうな、おれがしたことって? でも、こんなのもアリ、か。
「おれも」
 答えて、アイツの腕の中で眠り落ちていく。今度はいつ、抱いてもらえんのかな。ま、いつでもいいか、おれたちがうまくいってんのなら。


2002年7月17日


ショートストーリーに戻る



つけたし(7月20日)
「ワタル、朝メシ〜」
 いつものセリフに今朝も起こされた。
「ワタル、起きてくれよ」
「う〜ん?」
 重い瞼を開ければ、アイツのスーツ姿が飛び込んでくる。
「コウちゃん、今朝もカッコイイ……って、な、なんだよ、おれ、バリバリじゃん!」
 腹の上から何から、おれのカラダはバリバリに固まっている。
「うげ〜、なんだよ、シャワー浴びなくちゃ」
「そんな時間ないって」
 言いながらも、おれを見るアイツは笑っている。
「あんだよ」
「いや、いいんだけど」
 ちぇっ、そういうことかい。朝のシャワーの時間も惜しいから、億劫がってたんかい。
「ちくしょう、大サービスだっ」
 Tシャツ一枚着る気にもなんない。立ち上がって裸にエプロンつければ、困った顔でアイツが言う。
「ワタル……そんなカッコされちゃ、ますます時間なくなるって」
 言って、アイツは朝からキョーレツなキスをかましてくれた。