Words & Emotion Written by 奥杜レイ
「ビター・ホットチョコレート」
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周囲からは「マメだ」とよく言われるが、自分ではのんびりとした性格だと和弘は思う。
気がつけば、一週間も恋人の声を聞いていない。当然、顔を見たのはそれよりも前だ。
会いたいと思うし、会えないなら声を聞くだけでもいいと思う。それで一週間前に電話したのだが、返されたのは冷たい声だった。
『は? クリスマス? つまんねえ電話してくんじゃねぇ』
そう――今の和弘の恋人は男で、しかも口が悪い。東京生まれでもないのに、べらんめえ調で話す。
『こっちはカットオーバー前でシュラバってんだ、俺はクリスマスも仕事だ!』
ガチャギリだった。クリスマスがそうなら年末年始はどうなのか訊きたかったのに、声を出す間もなかった。
これで本当に恋人同士と言えるのだろうか。
それを考え始めるときりがない。女性との交際なら両手に余るほど経験のある和弘だが、今までの誰ひとりとして、和弘にこんな態度を見せたことはない。
それは、今までの恋人は女性だったからなのか。男同士でつきあうとなると、これが普通なのだろうか。
確かに、互いに仕事を持っていて、その上、それぞれに責任のある職務に就いて多忙だ。
和弘は総合商社に勤めていて、三十歳を前に役職に就いた。今は、インドネシア方面からの魚介類の輸入取引を統括している。海外を含め、かなり出張が多い。
恋人の雅巳は勤務先のコンピュータシステム開発会社で、開発チームをまるごと任される職務にある。肩書きは「プロジェクト・マネージャー」だ。係長クラスだろうと和弘は受け取っている。
なかなか時間を作れないのはお互い様としても、さほど頻繁でもない電話で冷たくされるのはどうかと思う。
かけた時間がいけなかったのかと思い、和弘はその電話の直後、メールを送った。もちろん年末年始の予定を訊くためだ。すると、即座に電話がかかってきた。
『メールなんか、すんな! いちいち返事打たなくちゃなんねえだろ!』
はっきり言って、驚いた。思わず絶句してしまったら、ため息混じりの声が返ってきた。
『――ったく、しょうがねえな。正月は三日まで仕事だ。システムの切り替えだから、クライアントの業務が休みのあいだにやんだよ。何もトラブらなきゃ、四日から成人の日まで休みだから』
「――わかった」
『とにかく、こっちは今シュラバなんだ、当分、電話してくんな! メールもだぞ!』
「わかった……」
時計を見れば午前0時近かった。ため息が出た。雅巳に「おやすみ」の一言を期待しては虚しいだけか。
この一週間、いろいろ考えた。年の瀬押し迫り、エビやらカニやらの需要が高くて和弘も多忙だったが、ふと気づけば雅巳のことばかり考えていた。
雅巳と恋人になれたのは、ほんの二ヶ月前だ。それまでは親友だった。それも、十年に渡っての――。
和弘が雅巳と知り合ったのは、大学一年のときだ。付属の高校から進学した和弘とは違って、雅巳は外部からの受験生で、学部もサークルも同じではなかったから、しばらくは名前すら知らなかった。
それが、夏休み前になって、急に親しくなった。合コンがきっかけだった。
『頼むよ。レベル高いの集めてくれって言われてるんだ。期待していいからさ、女の子は保証する』
高校のときからの友人に頼まれては、和弘は断れない。もともと、何人かで集まって騒ぐのは好きだ。できれば親しい者同士のほうがいいが、誘われれば合コンにも応じる。
ほかに誰が来るのか聞いていなかった。集まった中に雅巳を見つけたときは、少なからず驚いた。
本当の意味で知り合ったのはそのときだが、和弘は以前から雅巳を知っていた。
初めて雅巳を見かけたのは入学式の日だ。サークルの新入生の勧誘で、講堂から門までのすさまじい人の数の中にいて、和弘の目を引いた。
新芽が萌え始めたばかりの桜の木の下で、あれは――たぶん親だったのだろう、年配の上品な女性と何か話していた。
ほかの新入生と同じような紺のスーツを着ていたのに、どうして目に止まったのだろうと思う。自分よりも背は低いものの、姿勢がよくて、すらりとした立ち姿だった。
シャープな印象の横顔に、長めの細い髪がかかっていた。何枚かのプリントを持つ指が、男にしては細くきれいに見えた。
そのとき、雅巳はふと振り向いたのだ。ぴたりと目が合った。
きりっとした孤を描く細い眉と、二重で切れ長の涼しい目元――すっと通った鼻筋と、薄い唇――とても整った顔立ちだ。
和弘は、知らず笑みを浮かべていたと思う。それなのに、雅巳は途端に不機嫌そうな顔になって、プイと目をそらした。
自分でも驚いた。雅巳にそんな態度をとられたことにではなく、自分が雅巳に見とれていた事実に気づいたからだ。
同性に見とれたのは、あのときが初めてだ。実際、雅巳は見とれるにふさわしい、「きれい」と賞賛するに値する容姿だと和弘は思う。
学部は違っても、雅巳の噂は和弘の耳にも届いた。それはあまりいいものではなく、要約すれば「見た目以上にキツイやつ」だった。
外見から受ける印象と性格にギャップがあるらしいのは、そのうち和弘にもわかった。
どこにいても雅巳は目立つ。人目を引く容姿である上に、いつもセンスのいい服装をしていたから、なおさらだった。
全体的に線の細い印象で、どことなく女性的ですらあるのに、実はかなりのヘビースモーカーなのも、すぐにわかった。学内で雅巳を見かけるのは喫煙コーナーが多い。
どういうわけか、ことあるごとに目が合って、そのたびに不機嫌そうな顔をされた。自分の何が雅巳の気に入らないのかわからなかったが、できれば友人になりたいと密かに思っていたのは、それであきらめた。
学内では、雅巳はひとりのことが多い。誰かと一緒でも、いつも同じ相手ばかりのように見える。きっと、限られた相手とだけ親しくするタイプなのだろう。
それがどうして、合コンをセッティングするような自分の友人と知り合いなのかを思うと、和弘は不思議に思えてならなかった。
思い余って、合コンの始まる前にこっそり友人に尋ねてみた。
『あいつ、おまえが呼んだのか?』
『あたりまえだろ?』
『仲いいのか?』
『普通かな?』
なんでそんなこと訊くんだよ、と言ったあと、友人は思い当たったようにニヤリとした。
『あいつさ、話してみると、わりとイイやつなんだ。愛想ないけどな。今日はレベル高いの集めなくちゃならなかったし』
愛想がないと雅巳が言われたのには、和弘はその場で深くうなずいた。話してみるといいやつと言われたことは、合コンが終わるまでによくわかった。
いずれにしても、その日が始まりだったのだ。合コンだったのに、集まったどの女の子よりも雅巳と親しくなれたのが、和弘はうれしかった。
親しくなってすぐ、雅巳が和弘にいい印象を持っていなかった理由が明かされた。
『おまえ、カノジョが替わりすぎなんだよ』
雅巳が「カノジョ」と挙げた中には、本当には「カノジョ」ではない者も含まれていたが、言われてみれば、自分の周りにはいつも様々な女の子がいるわけで、誤解されていたとしても仕方ないように和弘は思う。
『人がよすぎんだよ。少しは相手を選べ』
告白されると断り切れないのは、自分でもなぜだかわからない。本当にお断りの相手は断ってきたが、それはごくわずかだ。
交際相手が頻繁に替わるのはどうしようもなかった。すぐに振られてしまうのだから。そんなに自分は中身のない男なのかと、振られるたびに落ち込みの度合いは深くなった。
『んなこた、ねえだろ?』
失恋すれば雅巳に慰められる関係が、十年も続いたのだ。
『女に見る目がないだけだ。おまえはイイやつだよ』
何度言われたか知れない。
『けど、もうちょっと、カノジョだけ大切にするようにしたらどうだ? 誰にでも親切でやさしいのは悪いことじゃねえけどさ――長所と短所は裏表ってのは、マジだな』
雅巳に言わせれば、自分は無駄にモテすぎとなる。自覚は浅いが、心当たりはある。
実は、自分から告白したことは一度もない。それなのに、独り身の時期はほとんどない。どんなに振られても、わりとすぐに新しい交際相手ができてしまう。
『だーかーら、軽いとか、遊んでるとか、そんなふうに見られるんじゃねえか』
雅巳は言い控えてくれたが、暗に、そのようなつもりで近づいてくる女性とばかり交際していると、指摘されたように思えた。
『ガタイがよくて、顔がよくて、やさしくて、マメで気が利いて、その上、女とのつきあいに慣れてるんじゃ、おまえがほっとかれるわけないだろ?』
しかし、それではタラシではないか。
雅巳は慰めたつもりのようだったが、それを言われたとき、和弘は余計に落ち込んだ。
『とにかく、長くつきあえるように努力しろ。そうすりゃ、おまえの本当の良さもわかってもらえるさ』
和弘なりに、ずいぶん努力したのだ。それなのに振られ続きだ。努力したらしたで、いつだったかの恋人には「ウザイ」と言われて振られてしまった。
和弘は、自分を本当にわかってくれるのは雅巳だけだと思う。親しくなって早い時期からそう思っている。だからこそ、雅巳とは十年も続いてきたのだ。
同時に、雅巳の良さを一番知っているのも自分だと思っている。外見や表の性格がどうであれ、雅巳は本当にいいやつなのに彼女がいないのが不思議で、それを口に出したのは、まだ大学生のときだ。
『率直で裏表ないのはいいけどさ、愛想なさすぎで女の子に引かれてんじゃないのか?』
そう切り出してみた。あのときの雅巳の顔は、ずっと忘れられない。
『俺……ゲイなんだよ』
雅巳はその一言を苦しそうに吐き出した。伏せていた目を上げ、ひたりと和弘と合わせた。雅巳は、今にも泣き出しそうに見えた。
気が強くて意地っ張りで、キツイ性格と言われる雅巳が初めて見せた顔だ。じっと自分を見つめる眼差しは、すがりつくようだった。
『そうなんだ……』
すぐには、そうとしか返せなかった。だが、とても大切なことを打ち明けられたのだ。
『うん。わかった。おまえ、きれいだもんな』
言葉を選んだつもりで言ったのに、雅巳はびっくりしたような顔になって、それから、くすっと笑った。その笑顔も和弘には初めてだった。はにかむようで、やわらかで、たまらなく――魅力的だった。
今になって、わかる。あの瞬間、雅巳が愛しいと確かに感じていたのだ。抱きしめてあげたい気持ちになっている自分に気づいて、驚いたのを覚えている。
和弘は思う。
あのとき、躊躇しなかったなら――。
これまでの十年は違ったものになっていたかもしれない。親友としてではなく、とっくに恋人としてつきあえていたかもしれない。
自分は、本当にのんびりとした性格だ。心のどこかでは、無駄にしたとも言える十年を取り戻したいようにも思っているのに、すっかり恋人のペースに持っていかれている。
もっと会いたい。もっと触れ合いたい。もっとかわいがって甘やかして、自分の腕の中でトロトロに溶かしてやりたい。
それなのに、雅巳は電話すらめったにくれない。こちらからかければ冷たくあしらう。
これでも恋人と言えるのだろうか。
きっと、今までの十年が邪魔をしているのだ。あまりにも長く、親友であり続けてしまった。恋人になれたのは、ほんの二ヶ月前だ。
それならば、時間をかけて、じっくりと心をほぐしてやりたいところだが――残念ながら、今さらそんな悠長な態度には出られない。
まだ一度も「好きだ」と言われてないのだ。あの意地っ張りは、抱かれればすぐに体を溶かすくせに、まだ心を溶かしてくれない。
どうしてくれようと思う。どうしたら、自分の本気を信じてもらえるかと思う。
わかっていた。
これが、自分には初めての同性との恋だから――雅巳は、まだためらっている。雅巳に惚れたのは、雅巳のせいだけど、雅巳のせいではないのに。
雅巳の魅力をそれまでとは違う面から認めただけだ。端的に言えば、今ごろになって初めて雅巳に欲情したのだ。それは単に、そのような対象として今まで雅巳を見てこなかったからであって、雅巳の魅力そのものは、初めて会ったときから感じていた。
むしろ、一目惚れだったのではないかとさえ思う。少なくとも、ゲイだと明かされたとき、雅巳を愛しく感じたあの気持ち――あれは、本物だ。
『今度つきあうなら、コイツだけは絶対失いたくないって、そのくらい強く思える相手にしろ』
二ヶ月前のあの日、失恋の落ち込みから雅巳に甘えたとき、そう言われた。
それで、やっと、気づけた。
いつからか、結婚したいと思うようになっていた。結婚は、一生の伴侶を得ることだ。
それなら、雅巳と一生を共にしたいと――あの日、強く思ったのだ。
雅巳にもつらい恋の経験があるのは知っている。バイの男に捨てられたのも知っている――それも、ひどい仕打ちで。
でも、自分は違う。そんなことは決してしない。振られた経験は数知れないけど、自分から振ったことは一度もない。それよりも何よりも、雅巳とは十年に渡るつきあいがある。
それは友情にすぎなかったとしても、雅巳との絆には違いないはずなのだから――きっと、雅巳はわかってくれる。
雅巳に言わせてみたい。
自分を「愛している」と――。
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素材:ivory