「は……」 ベッドの前で、立ったまま抱き合ってキスをして、羽柴はあえかな声をもらしてしまう。 シティホテルのスタンダードツインだから、素っ気ないほどに機能性を重視した部屋だ。その分、自分たちがしていることが出張先の秘め事のようにも感じられ、変に昂ぶった。 職場に近いこともいけないのかもしれない。でも近いからこそ穴場と思えたわけで――。 羽柴の気持ちは不安定に行き来する。これを夢の出来事にしたいような、確かな現実として受け止めたいような、両極端な気持ち。最後まで自分を隠しておきたいような、何もかもぶちまけてしまいたいような、どちらともつかない気持ち。 でも……。 田口に抱かれたくてたまらない。田口を抱きたいとは、もう思えなかった。 それは、伝えなくては田口にはわからないだろう。思うのに、口に出すことがとんでもなく恥ずかしく感じられる。 自分はどうなってしまったのか。これから、どうなっていくのか。 不安と期待に入り乱れる気持ちが、羽柴を駆り立てた。言葉にできない思いをこめて、キスを続ける田口にすがりつく。 仰向いて、背を反らせた。すくい上げるようにして、いっそう深いキスにする。絡みつく舌を伝って、溢れた唾液が顎に流れた。 田口と淫らなキスをしていることを思い、いっそう昂ぶった。快感に痺れて膝が危うくなる。くずおれそうになり、キスが解けた。田口に腰を支えられる。 間近から熱っぽく自分を見つめる眼差しに射すくめられる。もう言わずにはいられない。 「抱いて……」 抱いてほしいと最後まで声にならなくて、甘えてねだったとしか聞こえず、あまりにも恥ずかしい。 「……いいんですか?」 律儀に田口は返すが、瞳は情欲に染まる。初めて目にした。ひどく、男っぽい。 「あ……」 うなずくまでもなく、きつく抱きすくめられた。田口の肩に顔がうずまり、田口の匂いで胸がいっぱいになる。 「――えっ」 ひょいと横に抱え上げられ、心底びっくりした。静かにベッドに下ろされる。 「な、な……っ」 されたことに、羽柴は顔が真っ赤になって言葉を失うが、田口はベッドに腰かけて髪に手を伸ばしてきた。顔を近づけてささやく。 「そんなに驚きますか? 二度目ですよ?」 言われて思い当たった。きっと倒れたときも、今みたいに横抱きにされて運ばれたのだ。 「お、俺は……そんなに軽いか」 嫌味を言ってみても嫌味にならなかった。 「軽いはずないでしょう?」 それが体重を言ったわけではないと、体を重ねてきながら奪われたキスで知らされた。 「はっ」 またたく間に息が上がる。田口がこんなに積極的だなんて、思ってもみなかった。 自分を抑える気など立ち消えた。好きな男に求められる歓びに震え、羽柴は自分をさらけ出していく。 「ん――」 田口の首に両腕を絡め、引き寄せた。キスが深まり、頭がぼうっとしてくる。 何も考えなくていい。田口になら、身も心も、何もかも委ねられる。 「好きにしてほしい」 だから、そうささやいた。 「おまえの好きなようにされたい」 自分を見下ろす田口の顔が急に赤くなる。そろそろと身を起こし、手のひらを口に当てて顔を背けた。 どういうことかわからない。不安になって田口を見つめる。 「……待ってくださいよ」 田口が視線を流してきて、羽柴はゾクッとする。色っぽくて、変にドキドキしてくる。 「正気が吹っ飛びそうになりました。マジで」 照れて言われ、羽柴のほうが赤くなってしまう。田口が素直すぎて、声も出なくなる。 「もうホント、どうにかなりそう。とっくに舞い上がってたのに――」 言いながら田口は羽柴の手を取り、そっと引き起こした。羽柴を背後から胸に抱きこみ、手を回してスーツのボタンをはずし始める。 「なんて言うか……プレッシャーかも」 ひっそりと耳元でささやく。 「ブランク長いし。て言うか、実質初めてで」 そんなことを言いながらも、羽柴の衣服を解く手を止めない。タイが引き抜かれる。 「もうね、マジ……たまんない」 ふわりと羽柴に被さってきて、田口は唇で耳に触れる。 「羽柴さん色っぽくて、見てられないです」 開いたワイシャツの下に手を滑り込ませ、探るように胸に這わせる。 「初めてなんです……男は」 震える響きで、つぶやいた。 「あ……っ」 喘いで羽柴は仰け反る。胸の一番感じる箇所に田口の指が触れた。ピリッと快感が走る。 ブランクを言うなら羽柴も長い。抱かれるのは本当に久しぶりで、たまらないのは羽柴も同じだ。 田口の気持ちが胸に迫る。首をひねり、唇で唇を探して深く合わせた。大切に思われていることは、もうわかっていた。 だから――。 「いいんだ、好きにして」 うっとりと田口を見上げて口にした。 「俺が好きにされたいんだ。おまえに欲しがられると……うれしい」 「……もうっ」 たちどころにスーツもワイシャツも脱がされた。上掛けがめくられ、シーツの上に押し倒される。見上げる先で、田口がせわしなく脱いでいく。引き締まった肉体があらわになり、羽柴は浅く息を飲んだ。飛びつく勢いでのしかかられ、歓喜に声を上げた。 田口に抱きついてキスをねだる。浅ましく、硬く起ち上がったものを押しつけた。早く下も脱がせてほしい。全身で田口を感じたい。 「は、あ、あっ」 少しくらい荒っぽくされても、まったく構わなかった。むき出しになった脚をもどかしく絡ませて、胸を上ずらせる。 田口に組み伏せられ、田口の重みを感じて身をくねらせた。髪をやさしくまさぐられ、頬に、顎に、喉元に、キスを散らされる。 素肌を這う田口の手が熱い。どこに触れられてもそこに熱が移り、体中が火照っていく。 髪を乱して自分を貪るような田口が愛しい。夢中になって求めてくれる。 初めて会ったときから田口は一貫して真摯だったことを思う。仕事に対しても、自分に対しても。 どうしてもっと早く、田口の気持ちを受け入れられなかったのか。自分の弱さのせいだ。田口は信じられたのに。澄んで一点の曇りもなく、いたずらに傷つけようとも傷つかない。 「はっ」 胸の尖りを口に含まれ、背がしなる。腰に伝わる快感の痺れに悶えた。 「うれしい――」 田口が声をもらした。 「感じて、もっと」 甘えられたとわかり、それに感じて羽柴は喘いだ。胸の上で田口の頭を抱く。髪に指をもぐらせ、その感触にも胸を熱くした。 「……はじめ」 田口の名を初めて口に上らせ、涙が滲む。 『創立の創ですけど、はじめ、と読みます』 名刺を差し出したときの輝く笑顔が脳裏にひらめいた。この瞬間にも思い浮かぶほど、深く印象に残っていたと知る。 「はじめ、はじめっ」 羽柴は止まらない。頭をもたげて田口を呼ぶ。すぐに応えられ、唇にむしゃぶりつかれる。大きな手に頬を包まれ、舌を絡め合った。 目を合わせてきて田口が甘くささやく。 「俺も、貴志って呼んでいいですか」 蕩けた眼差しだった。瞬時にキスで応え、田口に抱きつく。 「もう、欲しい……っ」 蜜を溢れさせる先は田口の腹にこすれて、とっくにそこを濡らしている。田口の屹立もまた、さっきからぬるぬると腿を突いていた。 「あ。けど――」 田口が何にためらったのか羽柴にはわかる。だけどもう田口を待っていられない。こんな調子で続けられては、焦らされているとしか思えなくなる。だから田口の頭を引き寄せ、耳に吹き込んだ。 「ジェルなら俺の鞄にあるから――」 また田口は顔を赤らめた。体を浮かせ、羽柴の鞄に手を伸ばすが、動きがぎこちない。照れまくっていることは明らかで、顔を伏せて、膝立ちになってジェルのふたを開ける。 これだから羽柴はたまらないのだ。焦らされているわけではないとわかるが、恥ずかしいことを口にしたのは自分のほうで、なのに、田口が恥ずかしがるから、釣られてますます恥ずかしくなり、めまいがしそうなほどだ。 だけど、田口がそんなだから愛しい。 「来て」 とりわけ甘い声が出た。片膝を立て、誘うことにためらいはなかった。どんなに田口が照れようとも、のぼせて我を忘れようとも、どちらでもうれしかった。 しかし田口は、甘く蕩けた瞳でまっすぐに見つめてきた。大切そうに羽柴の頬を手のひらで包み、撫でるように滑らせて羽柴の顔の横に手をついた。 間近に田口を見つめて、羽柴は甘酸っぱくときめく。田口は浮かせた体で羽柴を覆い、ジェルを取った手を股間の奥にもぐらせてくる。やわらかく唇が重なり、キスが深まるに合わせて、固く閉ざされていた中をじっくりと探り始めた。 田口のやさしさが胸にしみる。今再び、大切に思われている歓びに満ちる。 「……あっ」 顎が仰け反り、羽柴は細く声をもらした。膝を立てた脚がせつなく動く。両手できつくシーツをつかんだ。 「んっ」 田口が舌で素肌をたどっていく。体を開く指はゆるゆると抜き差しされ、もうひとつの手は脇腹を掠めて撫で下ろす。 猛って濡れた先にキスされた。しっかりと握られ、指の腹で裏筋をこすり上げられる。先を割るようにいじられた。 「あ、あん」 あられもない声が出てしまう。幾度となくしてきたことなのに、田口が相手と思うと、羞恥にかき立てられる。そのくせ欲望は募り、じわじわと甘ったるく攻められていることに耐えられなくなる。 田口には、すべて委ねられるから怖かった。その先に届いたら、何が待っているのか。 でも。 「も、だめ……創!」 胸を突き出し、背が引きつるようになって羽柴は喘いだ。 ずるりと指が引き抜かれる。替わって、張り詰めたかたまりが押し当てられる。熱い。ぐっと入ってくる。 羽柴は全身から力を抜き、田口を迎えた。田口の先が、記憶にある箇所を突いた。 「あ、ああっ」 湧き上がった快感のうねりに飲まれ、羽柴は身をよじる。 「はじめ、創!」 抱きつきたくて、叫んだ。 指先まで鮮やかな感覚に染まっていく。田口にしがみつき、田口で身も心もいっぱいになる。 求めて、応えられた。求められて、応えている。 「貴志っ」 せつなく呼ばれ、ぎゅっと抱きしめられた。熱っぽく揺さぶられ始める。田口の髪が耳をくすぐり、頬が重なって、いっそうすり寄せた。田口の首に腕を巻きつける。こすれ合う肌の感触にも感じた。 もう耐えられない。羽柴は熱を放つ。重なる肌の合間がじわりと濡れて、遅れず、田口も達したと感じ取った。 田口を胸に抱き、羽柴は息が静まらない。せわしない鼓動が重なって感じられる。 白い天井がぼやけて目に映っていた。まぶたを閉じると、目尻からしずくが伝った。 満たされていた。ひとつになる感覚を初めて知ったと思う。あたりまえかもしれない。思い、思われている相手と結ばれたのだから。田口とは――本当の恋をしているのだから。 ほうっと田口が深い息をつき、それが首筋を掠めた。羽柴はゆっくりと目を開ける。だが田口は、肩に顔をうずめていて動かない。 「すみません、俺……我慢ききませんでした」 ぼそっと耳元でつぶやいた。 「どうして謝る」 目を丸くして羽柴は田口に顔を向けるが、田口は顔を隠したままだ。 「よかった……すごく」 そんな田口が愛しくて、羽柴は正直な気持ちを伝えた。 「本当ですか?」 そろそろと田口は情けない顔を上げてくる。 「嘘は言わない」 こんなにも満たされているのだから、隠すも何もなかった。 フッと笑みがこぼれ、羽柴は田口の髪をやわらかく撫でる。 「……すみません。初めてだったし――」 目をそらし、田口はぽつりともらした。 「大学のときの彼にはこうなる前に振られて、あれから誰ともつきあえなかったし――」 自嘲するように聞かされ、だがそれが意外で、羽柴は口を挟んでしまった。 「え? 就職してから誰ともつきあってないのか?」 「はい。自分みたいな男とは知り合えなくて。女性はもう無理だったし」 眉をひそめた笑顔を田口は向けてくる。 羽柴はどう返していいか言葉が見つからない。聞かされたことに喜びそうになっている自分がいる。 「だったら――」 身を返し、田口の目を覗き込んだ。向かい合って並んで横たわる姿勢に変えて、そっと田口の頬に触れる。 「俺と、始めよう?」 不意に口をついて出た言葉に、自分でときめいた。そう、これはまだ始まりだ。本当の恋の――。 「もうっ」 田口が抱きついてくる。耳元で甘えた声を聞かせる。 「これだから羽柴さんは――」 うっとりと湿った吐息を落とした。 「もう始まってますよ、そうでしょう? 不意打ちで、かわいいこと言わないでください。また襲いたくなる」 クスッと羽柴は笑ってしまう。かわいいのはどっちだと言ってやりたい。襲ってもらえるなら、すぐにも襲ってほしい。 だけどそうして抱き合って、幸せな気持ちに浸った。幸せだった。本当に。 「あれ?」 しばらくして田口が声を上げた。 「これ――」 羽柴を越えて腕を伸ばし、体を戻してきて、手にしたものを開いて見せる。 「床に落ちてました。羽柴さんのですよね?」 折り紙の鶴だ。新年のディスプレイに使おうと、羽柴が試作品に折ったものだった。 「さっき一緒に鞄から落ちたんだな」 いつ落ちたのか思い当たったようで、田口は照れた顔になる。羽柴は明るく笑った。 「昼休みに折ったんだ。今日は、時間に余裕あったから」 使った和紙は両面が紅白の色違いで、それで赤と白のふたつの鶴を折るつもりだと田口に話す。 「結婚指輪を首に掛けて、対で置こうと思うんだけど、これじゃ小さすぎるよな?」 和紙をもう少し大きく切り出して作ろうと考えていた。 「いっそ大きなものをひとつにしたらどうですか? それでダイヤモンドリングを掛けたほうが目を引くし、そっちのほうが売りたいでしょ?」 言われて、きょとんと田口を見てしまった。田口らしいような、田口らしくないような、先を越されたような、でも、うれしくなってくる。 「やっぱり羽柴さんですよね」 田口は手の中の折り紙をしみじみとした様子で見つめ、吐息混じりにもらした。 「物は作った人を映すって言いますけど、俺が折ったんじゃ、こんなにきれいにできない」 そうして目を合わせてきた。真摯な眼差しをまっすぐに受け、羽柴は胸が熱くなる。 「いつからの趣味なんですか?」 「……子どもの頃から」 それこそ初めて折り紙を手にしたときからの趣味だ。すべて言えなかったのは、田口の眼差しに息が詰まりそうだからで――。 「ずっと続けてきたんでしょ? 羽柴さんがキラキラしているわけだ」 田口が言おうとしていることが胸に伝わる。また心が溶ける。涙が溢れた。 「キラキラしているのは、おまえだ」 首にかじりついたら、すぐにキスがもらえた。何度でも熱く溶ける。溶けて、蕩けて、身も心も解き放たれて、でも田口が受け止めてくれるから、もう何も怖くない。 「好きだ、どうしようもなく……創!」 「俺もですよ」 やさしい響きが、しっとりと胸にしみた。涙をそっと拭われる。 「今日も一緒に眠りましょ?」 やわらかく見つめられ、寄り添って眠るだけで迎えた、あの朝の幸福は自分だけのものではなかったことを知った。 そうだ――田口と自分は同じ気持ちだから。 「その前に風呂入って、あっちのベッドで」 だが田口はまた赤くなる。今度は何なんだと、聞く前から羽柴も赤くなった。 「一緒にしたいこと、今できちゃいました」 照れて、コツンと額を合わせてくる。 「でも風呂じゃ、鼻血出ちゃうかも」 どう返していいかわからない。だけどこれが田口で、これからもきっと、こうして何度でもたまらない羞恥に襲われ、それが幸せに感じられてならないのだろう。 「……風呂で鼻血なら流せば済む」 強気で返した途端、ぎゅっと抱きしめられた。 「そんなこと言うと、本当に出ちゃいますよ」 クスッと同時に笑い出した。笑顔で見つめ合って、唇が重なった。 何度でも溶ける。溶けて、心が澄んでいく。田口となら、ずっと笑顔でいられる。田口と、ずっと笑顔でいることを思った。 そこには、一点の曇りもない明るい未来が広がっている。 おわり ◆BACK ◆作品一覧に戻る |