窓から降り注ぐ明るい陽射しで目が醒めた。結局カーテンを閉め忘れたままだったと気づいて自分に溜め息が出そうになったが、ハッとして松島は隣を見る。 わざわざ見るまでもなかった。横に大きく広げた腕の中に鮎沢はいた。脇に器用に収まり、裸の胸に頬を寄せて眠っている。 なんて言うか……。 複雑な気持ちが湧いて、松島はむずがゆく顔をしかめたり緩めたりする。鮎沢が自分に寄り添って眠っている現実を受け入れられない感じだ。 黒髪が散って顔にかかり、朝日にきらめいている。なめらかな肌に、まつげが薄く影を落としている。端整な顔は眠っていても端整だと、変なところで感心しそうになるが、それよりも、寝顔だといっそう子どもみたいにあどけなく見え、胸が甘くざわめいてくる。 ちょっとした罪悪感のようなものか。 こんなふうに眠る鮎沢に、昨夜自分は何をしたかを思い、たまらない羞恥と、いくばくかの後悔と、淡い幸福感に襲われた。 ――まいったな。 あのあとシャワーを浴びるように勧めたのだが、あっさり断られてしまった。べたつく体液をティッシュで適当に拭っただけで、このまま一緒に眠りたいと言われ、ベッドから一歩も出ずに今に至る。 自分だけでもシャワーを浴びようとは思えなかった。抱きついて離れようとしない鮎沢を振りほどけなかった。 言葉にして思いを伝えられるより、そんなふうに態度で示されるほうが胸に響く。それなのに自分は鮎沢に言葉を求めて、あそこまで追い詰めたのだ。 傲慢、か。 安らかな寝顔を見つめ、松島は静かに腕を上げる。艶やかな黒髪をそっと撫でた。 ――かわいい。 こんな感情が湧き上がることは、かつてなかった気がする。確かに自分は結婚をしたが、結婚は自分にとって当然のことであり、一生を共に過ごせそうなパートナーを選んだのであって、相手を尊重する気持ちがあったからこそ、感謝することはあっても、かわいいとか愛しいとか、相手を加護するような感情は湧かなかった。 それ以前の女性との交際においてもしかりだ。互いを尊重することを求め、意見や価値観の食い違いで感情を乱されることを嫌った。それゆえ自分が経験してきた恋愛は、どれも静かで穏やかなものだった。 まったく――大したタマだ。 ここまで自分を変えたのだから。それも、短期間で。 追いすがってくるなら まあ、俺も……大概だな。 フッと顔をほころばせ、さてどうしようかと思う。目覚めたときに隣にいろと言いつけたとおりに鮎沢はいて、だが鮎沢が目覚めたときに自分がいなかったら怒るだろうか。 窓に広がる青空が目に爽やかだ。シャワーを浴びて自分もさっぱりしたい。 「ん……」 鮎沢が身じろいだ。松島は、髪に触れていた手を離す。ゆっくりと鮎沢の目が開いた。ぼんやりと見上げてくる。目が合った途端、それこそ花がほころぶように笑みを浮かべ、首を伸ばして口づけてきた。 「うれしい……」 おはようございますではなく、鮎沢はそう口に上らせた。今また気持ちを伝えられて、松島はまるでお手上げだ。自分がどう変わろうとも、鮎沢には勝てそうにない。 「シャワーを浴びたいんだが、いいか?」 おのずと許しを求めてしまう。 「どうぞ」 にっこりと返された。 ……まいった。 自分の家にいるのにと、つまらないところで腹立たしさを覚える。バスルームに入っても鮎沢の華やかな笑顔がちらつき、つい腹に目が行ってしまった。まだ大丈夫そうだが、何かしら努力したほうがいいかもしれない。相手は一回り年下の、それも男だ。 そこまで思い、ふと松島は苦笑する。体型を気にするなど、同性同士に生じる対抗意識だとしても、どうやら自分は鮎沢に嫌われたくないらしい。 いずれにしろ……悪いことではないな。 「ふぅ」 体を洗い流したら気持ちもさっぱりした。バスタオルを手に、裸で寝室に戻る。着替えは寝室でするのが習慣だ。 鮎沢はまだベッドにいてシーツに突っ伏している。むき出しの背中に目が惹きつけられ、ドキッとした。上掛けは腰までしか隠してなくて、しなやかで優美なラインが朝日にまぶしいほどだ。暗がりで目にするのとは違い、かえって淫猥に感じられる。 いつになく再び盛ってしまいそうな照れから、松島は鮎沢をきつく呼びつけた。 「おまえもシャワー浴びて来い」 言われて松島に気づいたように鮎沢は振り返る。途端に頬を染めた。慌ててバスタオルを腰に巻くが、松島のほうがうろたえる。 「ほら、早くしろ! シーツ洗うんだから」 自分からは少しも甘い雰囲気に持ち込めないジレンマもあったかもしれない。何か言いたそうな鮎沢を急き立て松島はシーツを引きはがした。だが、そうしたことで鮎沢のきれいな裸体の後ろをついて行くことになる。 後ろ姿とは言え、全裸をさらして鮎沢は恥じるでもない。ちらりと、肩越しにほほ笑んでくる余裕まで見せる。 くっそぅ……。 松島は小さく締まった尻を睨みつけてバスルームに鮎沢を追い立てた。苛立ち紛れに、洗濯機にシーツを放り込む。 「あっ」 声を上げて鮎沢が振り返った。 「なんてことするんですか、それじゃ汚れが落ちませんよ」 ムッと松島は口元を歪める。とんでもなく恥ずかしい。 「いいんだ、これで」 「でも、先に洗い流さないと。バスルームで私がしますから――」 「うるさい!」 仕事の話でもするようにそんなことを平然と言う鮎沢を中に押し込み、ぴしゃりとドアを閉じた。ふと思い出し、和室からもシーツを取ってきて洗濯機に放り込む。適当に洗剤を入れて全自動のスイッチを押した。 ……ったく、冗談じゃない。 精液のついたシーツなんて、考えるだけで赤面ものだ。部分洗いをするなんて、それも鮎沢にさせるなんて、自分には耐えられない。だが今後も鮎沢と家で抱き合うなら、こんなことも日常になる。 なんて言うか……なんだろうな――。 四の五の思いを巡らせることを放棄して、廊下に出た。さっきから目について、しかし手が出せなかった鮎沢のスラックスを拾う。 昨夜、強引に寝室に移る際に、鮎沢が足をもつれさせて脱ぎ捨てたのだ。内側に下着が重なっているのを見て心が咎められた。 「はー……」 声にして大きく息を吐き出し、落ち着きを取り戻そうとする。普段のペースに戻ったはずが、もう乱れている。 だがそれも仕方ない。自分が昨夜したことの そうして、ようやく着替えを済ませて松島はキッチンに入った。普段どおりにコーヒーを淹れようとするが、そこでまた鮎沢の分も作ることを考えてしまう。 誰かのためにコーヒーを淹れることも初めてなら、朝食を用意することも初めてだった。馴染めない気持ちのままに、いつもの二倍の分量でコーヒーメーカーをセットする。食パンがまだあったことにホッとして、トースターに二枚放り込んだ。 愛用のマグを取り出しかけ、その横に並ぶカップに目が止まった。五客そろっていて、別れた妻が置いていったものだ。そう考えると躊躇も覚えるが、マイセンを模した薄紫のトーンはひどく鮎沢に似つかわしい。 今日は、特別だ。 二客取り出し、長く使ってなかったことを思い、流水ですすいでキッチンペーパーで拭く。別れた妻が見たら、さぞかし驚くだろうと思う。 バカか、俺は。 いつにない思いがやたらと湧いてくるのは、離婚してからこの方、朝に自分以外の誰かがいたことがないからだ。鮎沢が初めてだった。 そう思うと感慨深く、リビングに向いたカウンターにカップを並べる手が止まる。その下のダイニングテーブルが目に映り、四人掛けの大きさを今さらながら思った。 結婚の際に購入したこのマンションは4LDKの広さだ。結婚当初から二部屋が余り、今は三部屋を遊ばせている。別れた妻とは、始めから寝室を分けていた。そう望んだのは自分だった。結婚しても自分のプライバシーは彼女とは別だった。 記憶を辿り、松島は浅く息をつく。鮎沢とこうなって初めて、なぜ自分が離婚したのかよくわかったような気がする。 あれが 離婚したことには後悔も未練もなかったが、強くそう思った。 「いい匂いですね、ちょっと酸味がある」 涼やかな声がして、松島はハッと我に返る。 「シャワー、ありがとうございました」 廊下から顔を覗かせた鮎沢に目を瞠った。 素肌にジャケットを着ている。松島は動揺を抑えられない。目に映る姿にしたたるほどの色気を感じると同じに、自分がそんな姿をさせている責に押し潰されそうになる。 「これ、どこに捨てたらいいですか?」 当然のことのように昨日のドレスシャツを差し出してきた。 「捨てるのか?」 やはりと思いながらも訊き返してしまった。 「はい」 きっぱりと鮎沢は答えた。 「そこに――ちょっと待ってろ」 ゴミ箱を指し示し、松島は慌しくキッチンを出る。寝室から自分のシャツを取ってきた。 「これじゃ風邪ひくぞ」 ほかに言いようがなくて、鮎沢の前に立ってジャケットを脱がした。裸の胸を目にして息が詰まりそうになりながら、自分のシャツを後ろから回して鮎沢に着せる。 「すみません……お借りします」 うつむいた陰で、鮎沢はほんのりと頬を染めた。襟元に鼻先をうずめ、そっとつぶやく。 「部長の匂いがします」 たまらず、松島は鮎沢をかき 「――悪かった」 声が震えていた。今はこれほど愛しく思えるのに、昨夜はなぜあそこまで鮎沢を追い詰められたのか、自分でわからなくなっていた。 鮎沢は、抱きしめられて身じろぎもしない。互いに息をひそめるようで、しんとした中にコーヒーメーカーの立てる音が、コポコポとやさしく耳に響いた。 「……謝らないでください。竹原のことでしたら、私にも非がありますから。それに――部長にあそこまでさせたのは私だとわかってます」 やがて松島の肩でひっそりと息をつき、鮎沢はやんわりと体を押し離した。 「手伝います」 横をすり抜けてキッチンに入った。 「朝食はいつもトーストとコーヒーですか? ちょっと失礼します」 松島が呆然としている間に冷蔵庫を開ける。 「卵がありますね――って、これ、賞味期限が昨日じゃないですか」 「いや、そんなことはいいから――」 「ああ、牛乳はないんですね」 松島の制止など聞こえないとばかりに中を覗き込む。 ――まいった。 「本当に何もしてくれるな。先にテーブルに着いて――」 「スクランブルエッグなんて、すぐですよ」 ようやく顔を上げて楽しそうに笑った。 松島はもう何も言えず、鮎沢がキッチンを見回しただけでてきぱきと調理を始めたかたわらで、トーストを皿に取り出した。ものの数分で、その横にスクランブルエッグが盛りつけられる。 テーブルに鮎沢が運ぶあいだにカウンターのカップに松島はコーヒーを注ぐが、それも鮎沢がテーブルに下ろした。 「いただきましょう」 向かい合って席に着き、鮎沢はにこやかにフォークを取る。つられて松島もフォークを取るが、なんとも言いようのない気分だ。 鮎沢は職場で窺える性格を裏切らず、私生活でもマメなのだろう。家では無頓着な自分とは大違いだ。 松島はムッと黙り込んでトーストをかじり、スクランブルエッグを口に運ぶ。たっぷりとバターを使ったらしく、塩味が利いてふんわりとおいしい。つい声に出た。 「うまい。驚いた」 にっこりと鮎沢が笑いかけてくる。 「牛乳があればよかったんですけどね」 「いや、十分だ」 胸が温かくなる。コーヒーはいつもの味で、気持ちをすっと落ち着かせた。 「ありがとう」 自然と言葉になった。鮎沢は軽く目を瞠り、急に恥じらったように顔を伏せる。 「この程度のことで、そこまで言わないでください」 消え入るように言って食事に戻った。松島は改めて鮎沢を見つめ、強く惹きつけられる。 洗い立ての黒髪はしっとりと艶やかで、サイズの合わないシャツの襟元に鎖骨が覗いている。それに、こんな食事のときにも鮎沢の優雅な仕草は変わらず、袖を少し捲り上げた手で流れるようにフォークを操る。 ――まいったな。 今朝から何度目の降参になるのか、またそう思った。何をしていても鮎沢が色っぽく見えてならない。 本当に――まいった。 こうして鮎沢といられる心地よさが胸に染みる。言葉を交わさずとも、触れ合わずとも、確かな幸福として感じられる。 「鮎沢……俺が好きか?」 口をつき、そんな言葉が飛び出た。 「え――」 ビクッと顔を上げて鮎沢は目を丸くする。 「どうしたんです、急に。そんなの決まってます――好きです……心から」 鮎沢が恥じらうから、松島は楽しくなってくる。 「こんな、中年のオヤジがか?」 「そんなふうに言わないでください。部長らしくもない、怒りますよ」 鮎沢は憤然とコーヒーを飲み干すが、うっすらと頬が染まっている。そんな鮎沢はかわいいだけで、松島は笑ってカウンターからサーバーを取り上げると、それぞれのカップにコーヒーを注いだ。簡単な食事は既に終わっている。 「向こうに移ろう」 目でソファを指し示した。松島は立ち上がり、鮎沢の分もソーサーごとカップを持ってローテーブルに並べて置く。鮎沢が座りやすいようにソファの半分をあけて腰を下ろした。 「部長――」 鮎沢は目の前まで来て、どこか遠慮がちに見下ろしてくる。 「いいから座れ。それから、部長はやめろ」 「……はい」 縮こまるように隣に座った鮎沢の肩を何も言わずに抱き寄せた。驚いて振り返った顔に被さり、唇を合わせた。 「あ……」 漏れ聞こえた声はかすかで、甘い熱を滲ませていた。松島は昂ぶり、鮎沢の唇を深く貪る。ひたすらに応えてくる鮎沢が愛しい。 絡ませた舌を解き、鮎沢の目を覗き込んだ。たったこれだけの口づけで、もう潤んでいる。 松島は、きっぱりと口を開いた。 「俺から手放す気はない。それだけは、よく覚えとけ」 見つめ合う瞳が揺らめいた。 「もう誰にも触れさせないし、おまえも誰にも触れさせるな。だから……ワイシャツにも気をつけてくれ」 「あれは――」 きれいな弧を描く眉が寄った。 「わかってる。俺の気を引こうとしたからで、いつもじゃないんだろう? もうその必要はないんだし……俺を妬かせるな」 「――はい」 それぞれに気恥ずかしく、松島はひとつ息をおいて声音を引き締める。 「それと、その堅苦しい話し方をどうにかしろ。仕事とプライベートの区切りがつかないと、俺が落ち着かない。おまえも、昨日は『俺』と言ってたじゃないか。普段がそうなら、俺の前でもそうしろ」 「はい」 「あと、俺を部長と呼ぶのは本当にやめてくれ。おまえに――手が出せなくなる」 それには顔をほころばせた。そっと抱きついてきて、肩に頬をすり寄せる。 「鮎沢……」 「うれしいです――部……伸義さんも、俺を名前で呼んでくれたらいいのに」 松島は顔が熱くなる。こんなふうに甘えられるとは、予想してなかったかと言えばそうでもなく、しかし対処に困るのは同じで――。 鮎沢の名前って……「 無論覚えていたものの、そう簡単には口にできそうにない。 「それは……まあ、そのうちな」 気弱な声になって返した。 「意地悪です」 上目で鮎沢が睨んでくる。それがまたかわいいのだから、松島は苦笑するしかない。 「だから、そのうちな。呼ばないと言ってるわけじゃない……」 ごまかしているなと自分でも思い、また唇を合わせた。今しがたのキスよりも、鮎沢は積極的に応えてくる。逆に貪られるようだ。 「お、おい……ちょっと」 のしかかられ、松島は否応なく後ろに倒れた。ソファの肘掛に頭が乗る。 「嫌です――もう、俺のものだ」 仰向けになった胸にしがみつかれ、そのあたりをやわらかくまさぐられた。 「好きです、いくらでも言います、言って、あなたが俺のものになってくれるなら何度でも言います、誰にも渡さない」 「鮎沢――」 心に染みた。ぎゅっと強く、仰向けの胸に鮎沢を抱きしめた。ベッドでは従順に抱かれようとも、やはり鮎沢は男なのだなと思った。 いつまでもそうしていたい気持ちは鮎沢も同じに違いなく、きつく抱き合うだけで時間が流れていった。鮎沢の熱い吐息で胸元が湿り、しかし情事にもつれ込むでもない。キスも、もういらなかった。抱き合う感触の心地よさで胸が満たされていた。 「……外、いい天気ですね」 やがて身を起こし、鮎沢が言う。 「洗濯、終わったんじゃないですか」 松島は、なんとなく不甲斐ない。 「蒲団も干したほうがよさそうですね。和室に敷いてあったほうの――」 竹原の痕跡をこの家に残したくないのは、やはり鮎沢も同じだ。 「俺、干してきます」 「ちょっと待て!」 だが、ソファを降りた鮎沢の腕を素早く松島は掴んだ。何か言われるより先に言う。 「俺がやる。おまえに、そんなことさせられるか」 「え――」 咄嗟の言い訳は、自分で嫌になるほどなめらかに出てくる。 「晴れた日曜日の分譲マンションを甘く見るな。俺はひとり暮らしで知られているんだ、客に蒲団を干させたなんて言われたくない」 怒ったふうを装い、跳ね起きて和室に行く。当然だった。昨夜の責を負うのは自分だ。すぐにベランダに蒲団を干し、洗ったシーツも干した。 そのあいだ鮎沢はソファでおとなしくコーヒーを飲んでいたが、戻ってきた松島を見て笑った。軽く息を上げていたからか、屈託のない明るい笑顔を見せる。 「まったく――」 どさりと隣に座って、松島は言葉が続かない。蒲団を干したなんて久しぶりだし、重労働をした気分になる。 「このあと……出かけませんか?」 デートしましょうと言う口ぶりで、鮎沢は照れくさそうに笑う。この切り替えの速さと積極性は鮎沢らしくて好ましいのだが、松島は疲れた声で言い返す。 「その格好でか?」 「……ああ」 落胆したように自分の姿を見下ろした。 松島は意地悪な気持ちが湧いてくる。鮎沢が素直になるほど、どうもそうなるようだ。 「もっとサイズが合うのを見繕って着替えるか。さっきはよく考えなかったし」 慌しく立ち上がり、鮎沢の手を取る。寝室まで引いていった。 手をつないだからか、着替えてデートだと思ったからか、鮎沢が陶然としているようなのがおもしろくて、先にベッドにシーツを敷くのを手伝わせた。そんなことをさせられて疑問に思わないようなのもおもしろかった。 警戒心、ゼロだ。あの鮎沢が。自分には。 「え――」 松島は笑いながら、ピンときれいに張ったまっさらなシーツの上に鮎沢を押し倒した。 「出かけようなんて、よく言えたな」 「部……伸義さん――」 「そう、それでいい。もう言い間違えるなよ」 鮎沢がかわいくて、松島は鼻先を突きつけて唇や頬を指先でくすぐった。 「でも――」 ふわりと頬を染めて鮎沢は眉を寄せる。 「おまえがうろたえるか? 今日は一日家だ。腹が減ったらデリバリーを頼めばいい」 鮎沢に異論はないようだ。淡くほほ笑んだ。うれしいと、また返してくるかと思ったが、それは違った。 「いいんですか? ここまで俺をあおって。後悔しても知りませんよ。勃たなくなっても、しゃぶりますから」 松島は目が丸くなる。だが笑ってしまった。 「おまえなー……そうやって、わざと下品に言うな」 「嫌いじゃないくせに」 「だいたい、俺はまだ、そんなに老いぼれてないぞ?」 それには鮎沢が目を丸くした。 「あたりまえです、あなたが素敵だから俺が節操なしになるんです」 いきなり抱きついてこられ、松島は甘く胸がざわめいた。その心地よさに浸ってじっとしていたら、どう勘違いしたのか鮎沢が低くつぶやく。 「……男同士なんて、そんなもんですよ」 「だろうな。俺もあおられる」 あえて否定せずに笑って返し、松島は鮎沢のシャツのボタンをひとつひとつはずし始めた。今さらながら、だぶついた自分のシャツを着た鮎沢には無性にそそられる。 「でもな……気持ちは変わらない。むしろ、今までになかったほどだ」 シャツを開いた胸がヒクッと揺れた。そこに唇を近づかせ、松島は熱い息を吹きかけてささやく。 「おまえがかわいいよ。年甲斐もなく興奮する。よがらせて、イかせたい――渓」 鮎沢の敏感なところに舌を押し当てたのと、きつく頭を抱えられたのと同時だった。 「好き、好きです、伸義さん……!」 甘ったるい叫びを飲み込み、松島は鮎沢に口づける。もう言葉はいらなかった。これからも何度も抱き合うことを思う。鮎沢とは抱き合うことが真実で、気持ちまで通わせ合えるのだから、鮎沢に望むことはもう何もない。 おわり ◆BACK ◆作品一覧に戻る |