暗いリビングを足早に抜けて、松島は荒々しく寝室のドアを開ける。そこに存在を主張するセミダブルのベッドに鮎沢を突き倒した。 カーテンを閉め忘れた窓に月が見えた。室内は真の闇とはほど遠く、ベッドから呆然と半身を起こす鮎沢の表情まで見て取れる。裸体をさらしていることすら忘れた顔をしていた。 松島は鮎沢を視線で縛りつけるようにして、手早く衣服を脱いだ。いっそ恐ろしいほどの静けさで、ベッドに膝を乗せる。 「あ……」 鮎沢の顔が、泣くような、笑うような表情に変わるのを間近に捉えた。自分を映す瞳が戸惑うように揺らめく。体ではなく、胸の奥がじわりと滾った。 「あ――」 鮎沢の頬を手のひらに包む。視線をそらそうにもそらせないといった風情が愛しくて、望むとおりに、眼差しを絡ませて唇を重ねた。 「……は、ん」 鮎沢の吐息がせつなく唇から漏れる。それすらこぼすまいと、しっとりと深く合わせた。 こじ開けるまでもなく、鮎沢の唇は開いて松島の舌を迎える。慎ましく受け止めて、絡められるに任せる。 ただ、背に手が這い上がってきた。次の瞬間には強く抱きついてきた。裸の胸と胸とが隙間なく合わさり、どちらの鼓動ともつかない響きが伝わってくる。 この、穏やかなほどの心地よさはなんだろう――ひそやかに、全身に染み渡っていく。ほんの今しがたの激昂が嘘のようだった。換わって湧いて出た、泣きたいような感情が胸を満たしていった。 口づけに飽きずに、松島は鮎沢の首筋をくすぐった。ヒクッと震えた肩をなだめるように、黒髪に手をもぐらせる。 さらさらとした手触りを味わった。それはすぐに指をすり抜け、その短さでも鮎沢が男であることを知らしめる。 それで、よかった。 ゆったりとのしかかり、松島は鮎沢を押し倒していく。おとなしく組み敷かれた体に手をまさぐらせた。キスは続いている。鮎沢から解く気配もない。緩慢な愛撫に時折ヒクッと首をすくませるだけで、背に巻きつける腕をきつくする。 「ふ、あ」 松島が唇を離すと、濡れた吐息を溢れさせた。それにも酔わされるようで、今度は耳に吸いつく。 「ん……っ」 首をひねり、喉をさらした。そこに舌を這わせる。 「ああ……」 熱を孕んだ喘ぎは確かに松島を駆り立てた。 鮎沢の腕から抜けて、顔を下がらせていく。浮き上がった鎖骨から胸まで舌で辿った。惑わされてならなかった紅色の粒を口に含む。 「はんっ」 跳ねた体を押さえつけ、いっそう丹念に舌でこねた。 「あ……んん――」 甘さを増した喘ぎが耳に流れてくる。自分がもたらす刺激に耐えるように、鮎沢の胸がゆっくりと上下した。溜め息が湧き上がった。 松島は身を浮かせ、鮎沢をじっと見下ろす。そうしながらも、胸の粒をいじくる手は止めない。 鮎沢は、潤んだ目を合わせてきた。何も言わず、熱く湿った喘ぎを漏らし続ける。 重なり合う下腹の狭間では、互いの猛りが硬く相手を突いていた。どちらも先を濡らしていて、わずかな動きにも肌にぬめる。 「……うれしいか」 松島は、掠れた声を漏らした。そこに混ざる情欲は、隠しようがなかった。 「うれしです――」 鮎沢も声を掠れさせて答えた。目を細め、泣き出しそうな笑顔になる。 「もう、俺にしとけ」 だが、途端に目を瞠らせた。 「俺がいいなら、俺だけにすると言ってみろ」 浅く息を飲む。明らかに驚いて、ひたりと見つめ返してきた。 「部長――」 「……こんなときに、部長なんて呼ぶな」 低くつぶやき、松島は鮎沢の肩に顔をうずめる。ここまで言ってしまっては、合わせる顔がなかった。すぐにまた鮎沢の体をまさぐり始める。 「あ……っ、でも――」 愛撫を受けて素直に身をよじらせながらも、鮎沢は問い返してくる。 「どうして……」 鮎沢の鈍さに松島は呆れる。だが、それがますます愛しくて、撫で回す手に熱をこめた。 「はんっ」 胸の粒をつまめば、頼りない声を上げて跳ねた。再びしゃぶりついて舌先でつつけば、それは止まらなくなる。重なる腹の下に手をもぐらせ、鮎沢の屹立を掴んだ。 「ああっ」 ビクンと仰け反った。大きく見開いた目で見つめてくる。 「あ、あ」 しかし言葉が出ない様子で、潤みきった瞳からほろりと涙がこぼれ落ちた。 松島はほほ笑む。顔を寄せて、やわらかくキスをした。鮎沢は必死の様子で応えてくる。それが子どもみたいに感じられ、松島はいっそう顔を崩した。 一心――あの晩にも、思ったのだ。鮎沢がそんなふうだったから、自分は鮎沢を抱いた。あのときにも、愛しいと感じていた。それが鮎沢に少しも伝わってなかったようだから、自分は――悔しかったのかもしれない。 抱いたことが真実だった。やさしさや哀れみで、ひとを抱けるとは思わない。相手が女でも男でも、ひとを抱くとは、そんな 唇を離し、静かに見つめ合う。鮎沢の涙は止まらず、頬を濡らして伝い落ちていく。胸をせわしなく上ずらせ、屹立を握られる刺激に耐えていた。 それを見て取り、松島は手に包んだものをたっぷりとかわいがり始める。 「……だめっ」 それこそ、ぐずる子どものように鮎沢は首を振り、泣きじゃくりそうに顔をしかめた。 「――どうして」 言えば、涙を溢れさせる。 「そんな……させられません、あなたに、こんな――あっ」 生意気を返すから、ぐりっと強く指の腹で先端をこすった。噴き出た蜜を戻すように、割れ目に指先を立てる。 「はあ、ん!」 サッと頬が上気するのが、目に見えたようだった。鮎沢は目を伏せて唇をわななかせる。 あまりに おぼろな月の光が射して、肌は白く香り立つようだ。そう思ってみれば、うっすらと汗をまとった体から、鮎沢の肌の匂いが確かに感じられた。それは鼻腔を甘ったるくくすぐり、新たな情欲を湧き立たせる。 薄く開いた唇は濡れて震え、そこに覗く舌先も妖しく濡れていた。目元に黒髪がかかり、その陰でまつげも震えている。 すっきりとしなやかな首筋、肩へと続くなだらかなライン――それは、夕食の際にも惹きつけられた。今、一糸まとわぬ姿で目前にさらされ、あのときとは比べようもない興奮を覚える。 さんざんなぶった胸の粒は色を濃くして、小さく尖っている。せわしなく上下する胸も、鮎沢の体感を如実にしていた。 いじくり続ける屹立は蜜を溢れさせるばかりで、鮎沢が口でどう言おうと、悦びを深くしている。 もっと、喘がせたかった。身も世もないほど、自分に抱かれて乱れたらいい。そうして、自分以外の誰も目に入らなくなればいい。でなければ――怖くて、自分が鮎沢に溺れられない。 ……本当に、傲慢だ。 フッと口元で笑い、松島は握るものに顔を近づける。ビクッと鮎沢の体が揺れ、咄嗟に髪を掴まれたが構わなかった。蜜を溢れさせる先端に口づける。 「ぶ、部長!」 また部長と呼ばれたことに苛立った。少しもわからない鮎沢に焦れる。役職で呼ばれる上下関係が、自分の目を曇らせていたと言うのに。 あの少女とのことを引き合いに出して鮎沢が言ったとおりに、自分は鮎沢を有能な部下としか見ていなかった。使い勝手のいい 松島は、鮎沢の制止などまったく聞かずに、屹立を口でなぶり始める。躊躇もなかった。今は鮎沢を抱いているのだから、鮎沢の快感を引き出すなら何をしてもいいはずだ。 「あ、あ、あ」 舌触りもなめらかで、悪くなかった。次第に鮎沢の抵抗も失せて、あられもなく浸っていく様子に松島の興奮も高まる。 自分を好きと言うなら、鮎沢は心から自分に屈すればいい。見せかけで自分に跪き、その実優位に立って心を守り、体ばかりを求めたから、自分からは踏み込めなかった。 「あん、だめ……離してっ、イく――」 髪を振り乱し、鮎沢は激しく身をよじる。ぐいと額を押し離され、松島は手の中が温かく濡れた。出口をふさがれて、鮎沢のものはヒクヒクと残滓を吐き出す。 まいったか、とでも言えばよかったのか。しかし、恨めしそうに睨みつけてくる鮎沢と目が合い、松島は笑ってしまった。口は裏切り、本音を漏らしてしまう。 「かわいいよ――」 見る間に鮎沢の目が丸くなる。それがまたかわいらしく目に映り、松島は身を乗り出して唇を寄せた。 「かわいいよ、本当に」 「……部長」 「だから部長と呼ぶな」 ささやいて交わす言葉は 「――愛しいと思った。愚かで、悪ぶっても一心で……初めて抱いたときにも思っていたんだ」 言えなかった思いが口をついた。言ってしまえば自分が鮎沢に跪くことになると、わかっていたから言えなかった。 鮎沢は眉をひそめる。その表情すら、松島には美しく見える。 「今、なんて……? うれしいです、部――」 首にかじりついてきて、震える声を途切れさせた。ためらう素振りを見せ、ささやいて言い直す。 「…… 耳元で甘く響いた声は確かに胸に届き、松島はそっと唇を合わせた。自分をそう呼んだのは、母親と妻だった女しかいなかった。 鮎沢を下に敷き、膝で脚を開かせる。鮎沢が放ったもので濡れた手を奥へと差し入れた。 「ふ、ん――」 キスを解かないから、鮎沢の声が鼻に抜ける。満ち足りたように 男同士でどうすればいいかは、鮎沢に教えられて知っている。欲情を突き立てる箇所を探れば、先ほどとは違い、すぐにほころんできた。指をもぐらせて、丁寧にほぐす。 「んっ、は……」 鮎沢の顎が仰け反り、キスが解けた。さらに快感に染め上げられていく顔を松島は陶然と見つめる。 何も後悔はない。おかしなほど、なかった。 鮎沢の気持ちが自分にあるなら鮎沢を独占したいと思うのは、愛とは違うかもしれない。しかし結婚も誓約だった。男同士の関係でも、自分だけ欲しがるならくれてもいいと、誓いを求めるのは、あながち間違いではないかもしれない――。 むしろ、鮎沢が自分だけを欲しがるなら、自分も鮎沢が欲しくなっていた。 いや――違うだろう。あの晩、鮎沢は一度きりの情交と口にしたけれど、それでは自分が納得できなかったのではないか。 だろうな……でなければ、ここまで気にかけなかった。 引く手あまたの極上の男を組み敷く愉悦とも違う。そんな、つまらない征服欲はどこにもない。 鮎沢が一心だったから――それこそ極上の男が、こんな中年の自分に一途に身を任せたから――それが罠でも、単なる色欲からでも、自分に抱かれたがったから。 やっぱり愚かだ……だから愛しくなる。 いつかは終わる関係でいい。自分は、鮎沢より先に老いる。平坦に流れ過ぎていくはずだった時間に花が咲いたのなら、どんな花でも好ましく、咲いているあいだは 「鮎沢――」 松島は、喘いで声に漏らした。 「朝になっても、隣にいろ。先に起き出すな」 それが、今の願いだった。 体の奥を探る指は増えて、鮎沢は脚を引きつらせるようにして悶えている。 ゆらりと、濡れた瞳で松島を捉えた。 「……はい」 掠れた声が、薄く開いた唇からこぼれた。松島の背に再び手が這い上がってきて、指先が食い込むほどにしっかりと抱きついてくる。 「うれしい……」 うっとりと言葉を紡いだ。 「あなたの隣にいます――離れません」 松島は息を詰まらせる。吐き出して、鮎沢の体からも指を抜いた。 これで十分か、わからない。だが、鮎沢とつながりたくてならない。 鮎沢の脚のあいだに腰を沈めた。尻に手を回して軽く持ち上げた。たまらずに、欲望を突き立てる。 「あ……っ」 小さく声を上げて、鮎沢は目を瞠る。松島と視線を絡めて、うっすらと笑んだ。 「伸義さん――」 今また名を呼び、いっそうしがみついてくる。松島の胸は歓喜に染まり、ひたすらに鮎沢を突き始めた。 「ああっ! いい……いいっ」 今夜初めて、はしたない言葉を鮎沢は口にする。だがそれも、今ははしたないだけではなかった。 「いいか」 あの晩とは違い、松島も鮎沢の思いを汲んで、そう口にした。 「いい……っ! すごい、うれしい――」 鮎沢は、はらはらと涙をこぼす。それを松島は唇で拭った。そのままキスになる。 鮎沢を 揺さぶるに合わせて、鮎沢の興奮が腹にこすれていた。ぬるぬると濡らされて、鮎沢が口で訴える快感に偽りがないとわかる。 それが、うれしかった。 「もっとか」 「もっと、もっと!」 ねだって、鮎沢も腰を揺らめかせた。両足を大きく開き、松島の体に巻きつけた。そうして結合を深くして、より硬く勃ち上がったものを松島の腹に突き立てる。 「あ、あ、いい、いいっ、部――伸義さん!」 律儀に呼び直す鮎沢がかわいくて、いじらしくて、松島は、ぎゅっと強く抱きしめた。 「ああっ」 鮎沢もしがみついてきて、一抹の悲鳴のような声を上げた。密着した肌のあいだに熱いしぶきが散る。それを感じて、松島も放った。 「くぅ」 うめいて、鮎沢の肩に顔をうずめる。思いがけない早さだった。物足りない上に、顔を上げられなくなる。 「あ、あ」 息を上げて、鮎沢は声を漏らしていた。松島はまだ中にいて、何度かきゅっと締めつけられる。 そうするうちに、鮎沢の腕が背から滑り落ちた。巻きついていた脚もほどけ、シーツに落ちる。しっかりと松島に抱きしめられたまま、鮎沢は体を投げ出してベッドに沈むようだった。 しばらくの静寂に包まれた。互いの乱れた息づかいが間近に聞こえるだけだった。 そうなっても、松島は鮎沢の中にいた。離れがたく、身動きひとつできない。 鮎沢が息を深く吐き出し、松島の下で胸が穏やかに上下した。次第に鎮まっていく鼓動が伝わってくる。 やがて、鮎沢が低く漏らした。 「月が、出てたんですね」 たった今、気づいたと言うようだった。松島は顔をずらし、目だけを上げる。鮎沢は顔を仰け反らせて窓を見ていた。戻してくる。 「うれしかったです……とても」 淋しそうに笑んで、ささやいた。 「気持ちも、もらえてたなんて……わかってませんでした」 そう言って松島の頭を抱え、頬を重ねた。 「本当に、すみませんでした……謝っても、謝りきれない。あなただけが欲しかったのに。私は、あなたしか見えていません」 今さらの告白に、松島は胸が痛んだ。鮎沢に謝られるとは思わなかった。それも、ここまで他人行儀な言い方で。 「知らないぞ」 こんなときにも、口は裏切る。 「悪い男に引っかかったとは思わないのか? 俺は傲慢だからな」 鮎沢は、浅く息を飲んだ。眉をひそめ、目を覗き込んでくる。松島は、まだ鮎沢を抱きしめていた。 鮎沢の瞳が戸惑うように揺れる。 「どうしてそんなこと……あなたが思ってるんじゃ――」 「ああ、思ってるよ。人生を変えられた」 途端に大きく見開いた目を見つめ、松島は観念して笑う。 「この責任は取ってくれるんだろうな?」 また鮎沢の表情ががらりと変わり、松島は楽しくなってくる。仕事ではいつも冷静なのにくるくると表情を変えて、少しも鮎沢らしくない。だが自分が知っていた鮎沢らしさとは、鮎沢の一面に過ぎないのだ。 「部長――」 「部長と呼ぶなと言ったはずだが?」 眉を跳ね上げ、鷹揚に笑って返せば、鮎沢は急に澄ました顔になる。松島のよく知る顔だ。 「いいんですか? そんなに私を悦ばせて。望まれなくても、一生をかけて責任を取らせていただきますよ?」 鼻で笑い、松島も負けずに言い返す。 「そっちこそ、いいのか? 俺は、結婚してもひとりで暮らしているような男と言われて離婚したんだぞ?」 「それが、なんだって言うんです? 私が、あなたをひとりにさせると思いますか?」 松島の完敗だった。小さく息をつく。 「……本当に、悪い男に引っかかった」 ささやいて唇を寄せた。後ろ首を掴まれて、引き寄せられた。甘く、長いキスになる。 松島は、鮎沢を抱きしめて離さない。まだ鮎沢の中にもいる。それが、わずかながらも、また硬くなった。ヒクッと鮎沢の肩が揺れる。 唇を離すと、自然と見つめ合った。鮎沢の色香が立ち上るようで、松島は胸がいっぱいになった。自分の一番誠実な気持ちが口までせり上がってきた。ひそやかに声にする。 「……おまえが一度でもほかの男に目を移したら、そのときが終わりだ。俺は、傲慢だからな」 ゆったりと鮎沢は笑んだ。華やかな笑顔になった。 「それでは、私とは終われませんね」 松島は鮎沢を抱きすくめる。今また滾っていく自身を感じる。 抱きしめる力と同じ強さで抱き返されるのが、たまらなく心地よかった。どうなってもいい。人生の、このときに咲いた花を咲き切らせたいと思った。 「かわいいよ――自分ではどうしようもないほど、おまえがかわいい」 絞り出して漏らせば、泣き出しそうな声が答えた。 「私も――好きです、伸義さん……」 もう、口づけさえいらなかった。ただ抱き合うだけで心が満たされていく幸福を知った。 それは、鮎沢とだから――。 跪いて愛を これは、自分と鮎沢との話だ。鮎沢の思いが尽きない限り、自分も跪いて愛を請う。 おわり ◆BACK ◆作品一覧に戻る ◆おまけ |