Words & Emotion   Written by 奥杜レイ




      十七歳の頃
      −1−






       一

       足を踏み出すたびに絨毯がやわらかく押し返してくる。地元では屈指のホテルに違わず、広々としたロビーは壁いっぱいの窓から陽が降り注ぎ、晩夏のまぶしさそのものに輝いて目に映る。こんな華やかな場所に出てきたのは久しぶりだと、かすかな胸の痛みをもって智明は感じ入った。
      「あ、一之瀬くん!」
       女性の明るい声に呼ばれて顔を向けた。だが名前が出てこない。とりあえず笑顔を返し、彼女のいるエレベーター前まで行く。
      「すごい、懐かしい! 逢沢よ、覚えてる?」
      「ああ、逢沢――覚えてるよ」
       名乗ってもらえたことで瞬時に記憶がよみがえった。一年のときの同級生だ。
      「十年ぶりだもんね。顔見ても名前思い出せない人ばっかなんじゃないかって、すっごくドキドキしてたの。最初に会ったのが一之瀬くんで、ホッとしちゃった」
      「俺もかな」
       さらりと返すが、よほど自分のほうがホッとしたと思う。名前を覚えてくれていた人と一番に会えて――少なくとも、『彼』と一番に会わずに済んで。
      「やだ、そんなふうに言うと勘違いされちゃうかもよ? 一之瀬くん、モテたんだし」
      「――え?」
       エレベーターのドアが開き、そろって乗り込む。会場のある三階のボタンを押した。
      「高校のときの話。だから名前覚えてたって言うか……今日って、どのくらい来るのかな。先生も来るんだって?」
      「みたいだね」
       ころころと話題を変えて逢沢は楽しそうだ。勢いに負けて、智明も口元がほころぶ。
      「あー、やっぱ緊張するなー。卒業してもう十年経ってたなんて、びっくりしなかった? 十年は長いよね」
      「……そうだね」
       しかし、それには浅く息をついた。そう、十年は長い。だがこの十年は進学に就職と、誰にとってもめまぐるしく過ぎたと思える。
       実際、高校卒業十周年を記念しての今日まで、一学年全員を対象とした同窓会は一度もなかった。三十歳を前に日常が落ち着いて、ようやく当時を懐かしむ気持ちが生まれたというのが誰もの本音ではないだろうか。
       ……だよな。みんな、俺とは違う――。
      「ね、着いたよ。どうしよう、またドキドキしてきちゃった」
       エレベーターを降りたそこは小さなロビーになっていて、既に多くの人が集まっていた。それぞれに数人ずつ固まって談笑している。
      「あ、優子! 一之瀬くん、またあとでね」
       懐かしい顔を見つけたらしく、逢沢は慌しく離れていった。
      「え、一之瀬?」
      「うぉ、マジ一之瀬だ!」
       智明も記憶にある顔を見つけ、次々に声をかけられる。
      「おまえ何やってたんだよ」
      「来たの初めてじゃね?」
      「受付、向こうだぞ。先に済ませて来いよ」
       懐かしさが込み上げ、胸が温かくなった。だが一方で、『彼』がこの場にいないか、視線を巡らせてしまう。
       いない……か――。
       安堵とも落胆ともつかない気持ちが湧いて、言われるままに先に受付に向かった。
       受付のふたりとは当時にもつきあいはなく、通り一遍に手続きを終えた。ふと思いついて、出席予定者のリストを見せてもらう。
       会場に入る前に知っておきたかった。そもそも『彼』は、出席の予定なのかどうか。
       ……ない。
       学年の半分ほどの氏名が五十音順に並ぶ中、自分の『一之瀬智明』の下をもう一度注意深く目で辿るが、やはり『加々美遼二』の名前はなかった。
       深い吐息が唇からこぼれ、智明はわずかにもうろたえる。胸の奥が、ぎゅっと強く締めつけられた。
       やっぱ、俺……まだ忘れられないか――。
       十七歳だった当時、自分はいつも遼二といた。遼二なくして自分の高校時代は語れない。当時の思い出から遼二を消したらあとに何も残らないと思えるほどなのに、この十年のあいだ、ひたすらに遼二を忘れようとしてきた。
       だから会いたくなかった。今日の同窓会も気が進まなかった。だけど、もし遼二に再び会うなら今日がチャンスに違いなかった。
       しかし遼二は今日の同窓会に来ない。遼二との再会は、もうない――。
       智明は、そっと唇を噛む。
      「――一之瀬? マジ、一之瀬じゃん!」
       受付のテーブルに視線を落とす横から覗き込まれ、智明は顔を跳ね上げる。
      「吉池――おまえ、どこから来たんだ?」
       屈託のない笑顔を前に、瞬時に懐かしさで胸がいっぱいになった。吉池は東京の大学に進学し、以来一度も会っていなかった。
      「東京。て言うか、お盆で帰省してたから、実家からかな?」
       のんびりとした話し方も当時と変わりなく、智明も満面の笑みになる。
      「放送部のやつら、みんな向こうにいるぞ」
       だが、その一言には慌てた。
      「みんな?」
      「上条と宮坂と柳沢。加々美は欠席って宮坂が言ってんだけど、おまえ何か聞いてる?」
      「いや……俺はぜんぜん」
      「え? だって加々美は――」
       吉池の声を消して、受付が大声を上げる。
      「時間になりましたので、お入りくださーい」
       会場の扉が開き、近くにいた者から次々と動き始めた。すぐに列ができて、その中から智明と吉池は呼ばれる。上条だ。
      「よ、一之瀬。生きてたな」
      「一之瀬くん、久しぶり」
      「どうも」
       放送部の同学年ではふたりきりだった女子の宮坂と柳沢も、明るい笑顔を向けてくる。
      「それで、さっきの話。あ、一之瀬くんなら知ってるかも。二年下に唐沢っていたじゃない、彼、アナウンサーになったんだって?」
      「そうなのか? 知らなかったな」
       いきなり宮坂に話を振られ、咄嗟に答えた。
      「えー? なら、ラジオかな――」
      「ガセじゃね?」
       すかさず上条が突っ込み、宮坂が眉を寄せる。吉池と柳沢と一緒になって智明も笑った。
       胸が温かくなる。放送部の彼らは変わっていない。すんなりと溶け込め、部活動で数々の放送番組を共に制作していた当時に戻ったように感じられる。
       だがそれだけに、温かくなった胸が痛んでくる。卒業して十年も経つのだから誰と疎遠になっていても不思議はないが、自分は、放送部の彼らには故意にそうしてきた。遼二を忘れたいがために、何かと理由をつけて彼らからも遠のいていた。
       俺って……薄情だよな。
      「どこか適当な場所で固まっていよう」
       吉池が言って、会場の中をまとまって移動する。立食形式であることは一見してわかり、料理の並ぶテーブル近くに陣取った。
       間もなくして前方の左隅の壇に司会が立つ。ざわめきを残しながらも開会となった。
       その後しばらくは幹事の挨拶や招待を受けた恩師の言葉が続いたが、あとは食事をしながらの歓談で、誰もがそれぞれに会場を動き回り、あちこちで笑い声が上がった。
       智明もそれなりに卒業時の同級生と言葉を交わしたりしたが、最初に陣取った場所からほとんど動かなかった。
       当然と言えば当然だが、誰と顔を合わせても近況を訊かれる。卒業後も地元に留まり、自宅から徒歩で通える国立大学に進学して、これまた徒歩で通える地元テレビ局へ就職したまではわりと知られていたが、二年前に辞職したことを知る者はなくて、そのあたりの説明を求められて気持ちが疲れてしまった。
       自業自得と言えば、それまでだ。高校時代の友人とは、すっかり疎遠になっていたのだから。大学時代はともかく、テレビ局に勤務していた四年余りのあいだは仕事が忙しすぎて、誰に限らず、友人とのつきあいそのものがなくなっていた。
       だからこそ、今日の同窓会に出席する気になったとも言える。遼二にも会うことになるかもしれないと、怯えながらも――。
      「一之瀬くん、回ってきた? やっぱ、同窓会ってすごいね。なんとなく合コン?」
       宮坂がワインを片手に戻ってきた。ふたりして壁際まで下がり、会場を見渡す。
      「みんな、気合い入れたカッコで来てるし。同窓会で再会して恋に落ちるなんて、ドラマじゃ定番だもんね。一之瀬くんも高校のときよりカッコよくなってるし。マオカラーのシャツなんて、そんなおしゃれだったっけ?」
      「え? 俺?」
       いきなり自分を話題にされて智明は慌てるが、宮坂はちゃめっけたっぷりに返してくる。
      「そうよー。高校のときもモテてたけど、今のほうがずっといい。社会にもまれて男が磨かれました、って感じ」
      「なつみ、カレシに言っちゃうよ」
       言いながら、柳沢も戻ってきた。
      「高校のときは『顔はいいけど、なんとなくイマイチ』とか言ってたくせに」
      「理恵!」
      「誰がイマイチだって?」
       上条も戻ってきて、その背後に吉池もいる。
      「高校のときの一之瀬くん。今思えば、あの頃の一之瀬くんって、イケメンって言うより美少年だったもんねー」
      「は? 美少年? それ言うか?」
       柳沢に上条が呆れて返し、一同で笑い合う。
      「ま、イケメン言うなら、加々美だよな」
      「うん。あいつ、今何してんの?」
       さらりと加々美の名を出した吉池に頷き、上条は智明に尋ねた。智明は返事に詰まる。
      「いや、俺も知らないんだけど――」
      「そうなの? 意外。おまえらならまだ続いてると思ったんだけど、違うんだ?」
       智明は気まずい。そう言われるのも当然と思えるだけに、そのあたりの事情は話せない。
      「東京で編集やってるって、さっき向こうで言ってたよ。雑誌だって。えーと、なんて名前だっけ、そうそう――」
       宮坂が口を出してきて、聞かされた雑誌名に柳沢が驚いた声を上げた。月刊の女性ファッション誌で、たまに買っているのだと言う。
      「へえ。加々美がファッション誌の編集ねえ。おもしろいよな、記者になりたかった一之瀬がテレビ局で、テレビやりたかった加々美が出版社なんて」
      「上条くん」
       制するように柳沢が呼んで、それをさらに制して智明が続けた。
      「違うんだ。俺、テレビ局は辞めたから」
      「え、マジ? じゃ、今は何やってんの」
       少し迷ってから智明は答える。
      「在宅で、ライターみたいなこと。仕事って言うには、まだちょっと――」
      「しょうがないのよ」
       声を重ねて、柳沢が代わって説明する。
      「一之瀬くん、お母さんがガンになって看護で辞めたんだから」
      「え!」
       それには残り三人がそろって目を丸くした。
      「偉いよね。お母さんが亡くなるまでずっとそばにいて、通院に付き添ったり、入院した病院に通ったりしてたんだよ」
      「いや、偉いとか、そんなんじゃなくて――」
      「なんで柳沢、知ってんの?」
       上条に横やりを入れられ、柳沢は溜め息をついて言う。
      「同じ町内なの、忘れたの? 私まだ実家にいるし、母親から聞いたの。お通夜にも出させてもらったんだけど、高校のときの友だちにまで連絡しなくていいって、一之瀬くんが言ったから」
      「隠してたわけじゃないんだ、ごめん。俺も、いろいろあってさ――」
      「わかるよ」
       それまで黙っていた吉池が言い、一瞬しんとなる。
      「まあ、あれだ。十年も経てば誰だっていろいろあるってことだよ」
       場を取り繕うような吉池に上条が頷く。
      「だな。結婚したヤツもいるし。ここにいるのは、みんな独身だけど」
      「やだ、なにそれ? 私だって、もうすぐ結婚するんですからね」
      「ええっ」
       宮坂の発言に、またもや騒然となった。
       智明はさりげなくその場を離れる。決して宮坂の幸せ話を聞きたくなかったわけではないが、テレビ局を辞職したいきさつを彼らにも打ち明けてなかった後ろめたさに駆られた。明るい話を暗い顔で聞いてしまっては申し訳ない。
       上条も覚えていたくらい、智明は記者になるのが夢だった。それで高校時代は放送部に所属していたようなもので、だが元放送部員としては筋違いでもないテレビ局に就職した。
       テレビ記者になる道は残されていたものの、辞職する直前はアシスタントディレクターというポジションにいて、筆舌に尽くしがたい多忙を極めていた。そんな折りに、入退院を繰り返していた母親が家にひとりでいたときに倒れてしまい、ヘルパーを頼むことも検討したのだが、父親が辞職して付き添うと言い出した。
       父親は翌年に定年退職を控え、当然ながら一家の稼ぎ頭だった。生活のためにも、父親本人のためにも、辞職するなら自分だと申し出た。まったく躊躇なくそう口にできたほど、その頃にはテレビ局の仕事に疲弊していた。
       母親を看取るまでの月日は一年に満たず、思いのほか静かに過ぎた。退院して家にいたときの母親には看護の必要までなく、家事を肩代わりして常に一緒にいるだけだった。一日が長く、学生の頃のように趣味で書き物をする時間もあった。
       あの日々を過ごせたことで、自分には何も後悔がない。遠くに嫁いだ姉には一歳の息子がいて手を離せなかったから、自分が母親のそばにいたことで姉を安心させられもした。
       しかし母親を看取ってから一周忌が過ぎるまでが、たまらなく虚しかった。再就職する意欲が少しも湧かなかっただけでなく、どういうことか、やたらと高校時代が思い出されてならなかった。
       遼二を忘れたくてあの頃の記憶をひたすらに打ち消していた大学時代よりも、目の前の仕事に振り回され続けたテレビ局時代よりも、あの頃は確かにきらきらと輝いていたに違いないが、それでもなぜ十年近くの年月を飛び越えてあの頃ばかりが思い起こされるのか、たったの数年で時間が巻き戻されたようにも感じられ、そんな自分が不安でせつなかった。
       父親のために家事をこなすかたわら、あの頃に戻ったように、気持ちの向くままにさまざまなものを書き散らし、気づいたときにはラジオ番組の構成やらテレビドラマのシナリオやらができあがっていた。
       そういったものをそれぞれ妥当なところへ投稿したり、テレビ局時代のツテで持ち込んだりしたのは、このままずるずると父親に養われていては駄目だと、自分ながらに現状を変えたかったのだと思う。その結果、仕事として依頼が来るようになり、今では少しずつでも収入を得られるようになっている。
       だけど、これからどうするか――。
       料理が並ぶテーブルを前に、小皿を手にして智明は立ち尽くす。視界には多くの人がいて、それぞれに動き回り、楽しそうに笑い声を上げているが、焦燥にも似た孤独感に襲われた。
       今の自分は、言わばフリーのライターだ。それも、依頼は何でもこなしている分、これといった売りがない。
       父親は今年の三月に定年退職して、それからは家にいる。姉には、父親の心配までしなくていいから自分のやりたいことを存分にしなさいと言われている。それに見合うことを自分はやってのけたのだから、と。
      『お父さんが家にいたんじゃ智明にお嫁さんが来ないわ』
       一番下の子も幼稚園に入ったし、実家はボロだし、いっそお父さんと同居してもいいと夫も言ってくれているから、東京へ行きたいならそうしなさい――。
       ……今さら、だよな。
       許されるなら、大学に進学する際にそうしたかった。自分も東京の大学に行きたかった――遼二と同じ大学に。
      「なんだ、こんなとこにいたのか。色気より、食い気か?」
       肩越しに聞こえた低いささやきは、一瞬で智明を縛りつけ、耳から周囲のざわめきを消した。背中から回った手が、ぎゅっと智明を引き寄せる。
      「あー、やっぱ痩せたな。つか、やつれた感じだわ。せっかくの美貌がもったいない」
       驚きのあまり、これ以上ないほど大きく目を瞠って見上げた智明を覗き込み、男くさい容貌がニヤリと笑みに崩れる。
      「お母さん看取ってからも引きこもってるんだって? ――大変だったんだな」
       しんみりとした声音には確かに思いやりが滲んでいた。なのに、智明は喘いで言う。
      「遼二……来ないって――」
      「ああ? オレが来たらマズかったか? だろうな、あんだけ拒否ったんだもんなあ」
      「どうして――」
       嫌味で返されたことすら頭を通り過ぎる。智明はただ呆然と、間近に遼二を見つめる。
      「万障繰り合わせて参りました。ま、お盆明けの土曜日だから、休みっちゃ休みだけどな」
       今度は、ことさら軽口で返してきた。だが次の瞬間には、恐ろしく真剣な目になる。
      「――おまえに会いに来たんだよ。こんなときじゃなきゃ、もう会えなかったんだろ?」
       もう会えなかった――遼二と会う気が自分にはないと、はっきり決めつけた言い方だ。
       ハッとして、智明は思わず身をよじった。
      「ずるいな。手、どけろ」
      「嫌だね。ずるいのは、どっちだ」
       遼二は、いっそう強く智明を引き寄せる。がっちりと肩をつかんで、少しも離しそうにない。
      「なんで、今さら――」
       たったこれだけのことで智明は音を上げた。遼二に肩を抱かれるなんて、たまらなかった。高校時代には、しょっちゅうあったことだ。
      「今さらじゃねえよ。十年は長かったよなあ。今日までの空白、全部埋めてもらうからな」
       逃げられない――耳元で響いた低い声に、智明は身をすくませる。胸の奥が、ぎゅっと強く絞られた。耐えがたい痛みに違いないのに、苦く、甘酸っぱい感情が滲み出てくる。
       遼二も、何ひとつ変わっていない。大胆な態度もストレートな物言いも、高校のときのままだ。
       どうして……あんなことがあったのに――。
       すっと息を飲み、智明は唇を噛む。震える胸をなだめるように、きつく目を閉じた。
      「あー、やっぱりいじってるじゃない」
       柳沢の声がして、遼二が振り返った。
      「もう。一之瀬くんはずっと大変だったんだから、今日はいじらないでって言ったのに」
      「いじってないって」
      「嘘ばっかり。一之瀬くん、嫌そうな顔だし」
       それには智明が慌てた。ゆるんだ遼二の腕から逃げて、柳沢に振り向く。
      「ぜんぜん平気だから。じゃなくて、何もないから」
      「何もない、ねえ?」
       柳沢に言ったのに、遼二がぽつりと返した。
      「いいけどね。一之瀬くんがそう言うなら。て言うか、高校のときからそうだったもんね。ふたりで絡んでばっかり。見に来て損した」
      「ごめん、柳沢――」
       気を悪くしたような柳沢に智明は思わず詫びるが、遼二が口を出してくる。
      「なんで謝るんだよ。柳沢こそ、高校のときから口うるさいんだから。変わらないな」
      「すみませんね、今は教師ですから。ダメな子たちを見ると、つい言いたくなるの」
       そんなふうに言い返すものの、柳沢はプッと吹き出した。
      「やだな、これじゃホント同窓会だわ。あの頃に戻った感じ」
      「なに言ってんだか。マジ同窓会だし。ほら、せっかく来たんだから食い物持ってけよ」
       遼二から小皿を差し出され、苦笑して柳沢は受け取る。遼二も料理を取り始めた。
       ふたりに釣られ、手にしていただけの小皿を智明も埋めていくが、自分でも気づかないうちに遼二から目が離れなくなっていた。
       卒業式を最後に、この十年、顔を見ることさえ一度もなかった。当時の面影を残して、今は格段に大人びた印象だ。黒髪をさっぱりと整え、より精悍になった面立ちは横顔でも男らしい強さを感じさせる。
       服装にも隙がなく、一見ラフな、ニットにコットンパンツという組み合わせだが、上質な素材と洗練された色合いが、それを着る遼二自身が上等な男であると知らしめるようだ。
       唐突に後ろめたい思いに駆られた。思わず顔をうつむかせ、料理が半分に減った大皿に手を伸ばしながら、智明は暗く吐息を落とす。
       長めの髪が前に流れ落ちて、誰からも横顔を隠してくれていた。生まれながらの濃い栗色で、引きこもりをいいことに普段はあまり構わないのだが、同窓会を前に美容院に行き、しかし長めのほうが似合うからとシャギーを入れて整えただけで、このスタイルにされた。
       服装も、おしゃれになったと宮坂が言ってくれたが、美容院の帰りに立ち寄った店で、店員がコーディネートしてくれたままに買い求めただけだ。
       マオカラーのシャツはさらりとした肌触りで着心地もよく、オフホワイトは無難な色に思えたし、パンツは抹茶色で全体に夏らしい爽やかな装いだと自分でも思うが、髪のことにしても、結局は――自分は受け身なんだと思い知らされてしまう。
       俺は……遼二にも流されてしまうのか?
       不意をつかれたにしても、再会して一目で揺らいだ自分が心許なかった。
      「あ、そうそう。二次会どうするって、男子たちが言ってたよ? 一之瀬くん、こんなときじゃないと出て来ないんだから行こうよ」
       柳沢から急に声をかけられ、智明はハッと顔を上げる。
      「加々美くんも実家に泊まるなら――」
       しかし柳沢は料理を取りながら話していた。
      「いや、実家はさ。ここに来る前に顔出してきたんだけど、アニキの嫁さんとうちの母親がヤバイ感じで、泊まるなんて無理だわ」
       そう言って、遼二はチラッと智明を見た。
      「うわ、そうなの? じゃ、今日中に東京に帰るなら――」
       遼二は柳沢に背を向けて、智明に向き直る。
      「それも面倒だから、今日は智明の家に泊まるかな。このホテルで部屋取れなかったし」
      「え――」
       智明は目を丸くして遼二を見つめた。
      「積もる話もあるし。てことで、智明も二次会は無理だわ」
      「えー?」
       遼二の向こうで、柳沢が眉をひそめた顔を上げる。だが遼二は目もくれずに智明に言う。
      「だろ? 今日を逃したら次はないみたいだから、きっちり話させてもらうわ」
       智明は何も返せなかった。柳沢が何か言いたそうにしているのが目に映り、曖昧に視線をそらして、また唇を噛む。
       遼二を家に泊めるなんて、ありえない話だ。高校時代は何度もそういうことがあったが、あの頃と今は違う。
       しかし、ここで泊めないとは言えない。柳沢がいる手前、押し問答にでもなって遼二との不和を知られては気が引ける。まして理由まで知られたら、放送部の仲間とは、この場ですら二度と顔を合わせられなくなる。
       ならば、遼二はともかく自分は二次会に出ると言えばよさそうなものだが、そうしたら遼二も来るときっと言い出すに違いない。
       どういうつもりなんだ……。
       すべて見透かしたような笑顔で見下ろしてくる男を智明は恨めしく見つめ返した。


      つづく


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