クリスマス商戦の会議ではあったが、販売促進部が打ち立てて企画営業部を通った案は決定事項で、それを受けて各支店がどのように営業展開するかの話し合いだった。 始めに、あらかじめ配布されていた会議資料に沿って企画営業部の社員から補足説明があり、ところどころで質疑応答があったのち、クリスマスセールの目玉商品となるサンプルが回覧された。 「これは……」 セールスマネジャーたちは一様に表情を曇らせた。不況の折、消費者の財布の紐は固く、せめて客足を遠のかせないためにと『一万円で買えるダイヤモンドペンダント』を今年の目玉商品にすると知らされてはいたが、予想をかなり下回る品に誰も感じたようだ。 しかし羽柴は、そのペンダントを手にしたときには別のことを考えていた。ほかにイヤリングやピアス、リングも展開することになっていて、そのすべてを購入しても五万円で収まることが売りとされているが、このような商品を購入する客とは、どのような層か。 玉葉百貨店の看板の下に販売するのだから、決して粗悪品ではない。価格に見合った商品というだけのことだ。しかし自分が日頃対応している客たちは満足するだろうか。 「競合他店よりも量販店に負けない売り上げを目指すということでしたね」 他店のセールスマネジャーが発言する。 「宝飾品すら薄利多売ですか」 別のセールスマネジャーが皮肉めいた口調で言った。 「今の景気では、少しでも多くのお客さまにご来店いただくことが肝要です。その点は、売り場を任されているみなさんのほうがよくご存知と思われますが?」 営業企画部の社員が冷ややかに返した。それを受けるようにして、バイヤーの八木が口を開く。 「製造元は取引も長い甲府の工房で、品質には信頼が置けます。大量発注を交換条件に、この販売価格での生産を請け負ってもらいました。ですから、この価格としてはギリギリの商品であることをご理解ください」 「そうは言ってもねえ」 「完売しなければ元が取れないじゃない」 「うちは追加で完売させます、当然でしょう」 「せめてチェーンをもう少しどうにかできなかったのかと思いますよ? この長さと細さでは、切れたと苦情が来るかもしれない」 「それは、みなさんの販売手腕でしょう?」 次々とセールスマネジャーが思うところを口にし、また営業企画部の社員が制した。 「もちろん完売してもらいます。チェーンのことが出ましたが、お客さまに応じて替えのチェーンをお勧めするとか、いくらでも対応のしようがあると思いますが?」 「それでは一万円に価格設定した意味がないでしょう? たとえば三万円にして、商品のグレードを上げてもよかったと思いますよ」 「羽柴くん」 名指しで八木に呼ばれ、羽柴は顔を向けた。 「きみは、どう販売しようと思っている?」 胸のうちを見透かしたような質問だった。全員から一斉に視線を浴び、羽柴は少し迷う。 集まったセールスマネジャーの中で、自分が一番の売り上げを継続中であることは周知の事実だ。立地や客層など、各支店の状況は異なるから、一概に支店間で売り上げを比べることは無意味と誰もわかっているにしても、この中で最年少であることがいっそうの関心を引くらしい。 「そうですね」 自分なりの戦略をすべて話すかどうか、間をあけて逡巡する。田口が興味いっぱいの目を向けてきていることも気になった。 「目玉商品は、あくまで集客が目的です。お買い上げくださったお客さまが、引き続き当店をご利用くださるとは言いがたいでしょう。財布の紐が固い景気のときこそ、緩めるなら、確かな満足が得られる商品が求められるのではないでしょうか」 そこまでを言って口を閉じた。目玉商品に釣られて来店した客に別の商品を勧める作戦を考えているが、手の内をすべて見せる必要はないと判断した。ここまで話して伝わらないようでは、それこそ営業手腕が問われると言うものだ。 「なるほど」 八木が深くうなずく。 「では、羽柴くんのところの発注数は、割り当てどおりで構わないな?」 「はい。追加はありません」 誰かが鼻で笑ったとわかった。若造が生意気を言ったと思われようとも、羽柴が気にかけることはない。自分が任された売り場の責任は自分にある。セールスマネジャーという職務のおもしろみでもあるのだから、実績をともなっているうちは好きに取り仕切る。 その後も会議は続き、終わってから羽柴はこっそり田口に声をかけた。 「さっきの話になるけど」 田口は内密の相談と察知したようで、無言でうなずいた。 「在庫で、十万以内に下げられる商品を回してほしい。三万から五万で販売できるものを多く揃えてもらえると助かる」 「わかりました。リストアップして、次に伺うとき持っていきます」 「よろしく頼む」 「あの、羽柴さん」 会議室を出ようとして呼び止められた。どんな用件かすぐに思い当たり、羽柴は眉をひそめてしまう。田口に振り向けない。しかし振り向くほかない。 「これから店に戻られるんですか?」 思ったとおりのようだ。戻ると答えれば終わる話とわかっていても、このタイミングで沈んだ顔をされてはいささか胸が痛む。 「いや。もうこんな時間だし、引き継ぎは済ませてきたから戻るつもりはない」 「だったら」 田口はパッと明るい顔になる。飲みに行きましょうと言われることは先刻承知で、羽柴は最後まで言わせずに答えた。 「ここじゃマズイだろう。一階を出た、正面の店でコーヒー飲んでるから。わかるな?」 「はい」 小声で返されたことにホッとする。見るからに田口は浮き立った様子で、うっかり声を張り上げて返されるかとヒヤヒヤした。 アシスタントバイヤーの田口は九時に出社して六時半に退社する定時の勤務だが、羽柴は早番の日と遅番の日とで勤務時間が異なる。 飲みに行きましょうと田口に個人的に誘われるようになったのは、あんなことがあってからだ。それまでは一度もなかった。そうと気づいてから、田口が仕事で来そうな日は、できるだけ遅番になるように調整している。遅番の退店時間は閉店後の八時半だから、早番の社員と先に行ってくれと言えば、ふたりで飲むことにはならずに済む。 ふたりきりで飲むのは、初めてのときに次いで今日で二回目だ。その間に数回は断っていて、それでも少しもめげない田口にいくばくながら辟易していた。 仕事帰りに飲むこと自体は嫌いではないし、それがバイヤーとならば、普段はなかなかできない情報交換の場にもなって互いに有益でもある。しかし田口の誘いには個人的な意図があると、ありありとわかるのだ。 会議が開かれた支店の一階正面口を出た向かいのコーヒーショップで、羽柴は口にしたとおりにコーヒーを飲んで田口を待った。 すっかり日の暮れた外の様子が、ガラス張りの壁越しに窺える。歩道は街灯に照らされて明るく、通りを行き交う車のヘッドライトもまぶしく、しかし対面の玉葉百貨店は一段ときらびやかに目に映る。 休憩を決めてカウンターの上には何も開いてないが、つい仕事のことを考えてしまう。世間では『まだ十月』であっても、業界ではクリスマス商戦が既に始まっているのだ。 肘をついてカップを持ち上げたまま、ぼんやりと外を映していた視界に、ふわりと大きな影が飛び込んだ。ギョッとする間もなく、目の前のガラスが軽く叩かれる。田口だ。 どうして……っ。 両隣は空席だったが、たまらなく恥ずかしくなった。動揺を隠して立ち上がり、慌てずにカップと鞄を持って席を離れ、しかし顔を上げられずに店を出た。 田口はそこで待ち構えていて、満面の笑みで羽柴を迎える。 「どこ行きましょう、羽柴さん」 「あのなー……」 言いたいことは山々だが、羽柴は言葉にしなかった。拳を作って、田口のスーツの胸を軽く叩く。 「え? なんですか?」 本当にわかっていないようだから困るのだ。 「このへんは、おまえのほうが詳しいだろう? 居酒屋がいい。日本酒と肴のうまい店」 「わかりました! いい店、ありますよ」 今にも腕を引かれそうで、そうなる前に田口に並ぶ。歩き出した田口に遅れないように歩調を合わせる。頬に視線を感じて顔を向ければ、どうしても見上げることになる。 田口は背が高い。肩幅が広く、姿勢もいい。スーツが本当によく似合う。紳士服売り場で三年間販売に携わった自分が思うのだから、間違いない。 明るい笑顔、白い歯がこぼれるとはこんな表情を言うのか。さっぱりと整えられた黒髪、接客業には清潔感が第一だ。少し頬高で、鼻も高くて、でも大きくはない。大きく感じられるのは口で――いや口はいい、目がそうだ。やたら熱っぽく自分を見つめるようで――。 「わ、羽柴さん!」 横断歩道を渡りきったところでつまずいた。咄嗟に田口の腕をつかみ、羽柴はハッとする。 なに俺、見蕩れ――。 「大丈夫ですか?」 腰に手が回ってきて慌てて離れた。自分が今、どんな顔をしているのか自信がもてない。 「行きましょう、もう、すぐそこです」 肩越しにニコッと振り向き、田口は先を行く。ゴクッと息を飲み、羽柴はまた隣に並んだ。なんだか息が上がっているようだった。 「羽柴さんでもコケたりするんですね」 居酒屋に入って開口一番に言われ、羽柴はムッとして正面に座った男を睨んだ。知らず見蕩れていたせいでつまずいたとは言えない。 「俺をどんなふうに思ってたんだ」 それで出てきたセリフがこれでは、まったく無意味だった。 あおって、どうする……っ。 「コケない人だと思ってました」 しかし田口はけろりと返してきた。羽柴はおしぼりで拭いていた手が止まる。 「いつも動じないし、身軽そうだし」 「身軽って――俺は小さいからな」 おしぼりを脇に片づけ、ぼそっともらした。 うっかり田口をあおるようなことを口走ったと思ったが、田口は気づかなかったのか、あえてかわしたのか。どちらにせよ、素直すぎる田口に合わせることにする。 「小さくないですよ。一七〇あるでしょう?」 だがやっぱり、素直にもほどがあるのだ。 「あ……すみません、そう見えるってことです。ほっそりしているから」 ほっそりだと? 確かに自分は細いほうだが、それを体格のいい田口に言われたくはない。客観的な感想にすぎないのであれば、なおさらだ。 「やだな……気を悪くしないでください」 さすがにカチンときた。こんなことで気を悪くしたと言われては心外だ。 「おまえ、どっちなんだ? 今おまえが言ったことは、どっちかって言うと女性に対する誉め言葉だぞ?」 羽柴はギッと正面の男を睨み上げる。田口はゲイと確信したが、そうではなかったのか。 「あー……すみません――」 気まずそうにこぼし、田口はメニューを手にした。目の前で開き、顔を隠すようにする。 ……ったく。 これでは自分ひとりが空回りしているみたいだ。コーヒーショップに自分を迎えに来た田口は、デートで待ち合わせをした恋人同士のような振る舞いをしたのに。 そう思って羽柴はギクッとする。自分は何か期待していたのかと疑った。 「日本酒ですよね? どれにしますか?」 「見せろ」 もう何に対して苛立っているかも、羽柴はわからない。メニューを取り上げて店員を呼び、自分が欲しいものを次々と注文する。 田口にメニューを返し、店員を待たせて、ずいぶんと戸惑う様子を黙って眺めていた。だがすぐに田口も注文を済ませる。切り替えの早い男だ。 それからしばらくは仕事の話とか、最近の景気についてとか、ごく一般的な会話をしながら酒を飲んで肴をつついた。 前回、初めて田口とふたりで飲んだときは、家はどの駅が最寄りなのかとか、ひとり暮らしなのかとか、自炊するのかとか、当り障りがない程度にプライベートなことを訊かれた。 おかげで、田口のプライベートも知ることになった。今は実家にいるが出て行けと親がうるさいとか、ひとり暮らしはいいが食事が面倒だとか、それより朝が苦手だから不安だとか、まあそういったところだ。 個人的な意図で誘われたことは明白だったのに、少しも核心をついてこなかった。まるで、つきあい始めたばかりの高校生カップルみたいに思えた。互いにゲイと知った男ふたりが親密になろうとするなら、話はもっと端的でおかしくないはずだ。 俺がスレてんのか? 夜の街で男を引っかけるのは簡単だ。その手の店に行って、よさそうな相手を見つけ、とりあえず寝てみるかと言えば済む。自分の場合、交際は望まないから最初にそう断っておくが、ひとによっては一度寝たことがきっかけで何年も続いたと聞いたことがある。 こいつ……とんでもなくウブなのか? それはありえそうだ。しかし自分が勘違いしているだけで、単に仕事仲間として飲みに誘われているのかもしれない。 いやいやいや、だったら何度も断っているのに、俺だけしつこく誘うなんてないだろう。 ほかにも誰か来るとなると、いきなり淋しそうな笑顔になるのだ。あれは、こたえる。 「田口。おまえ本当のところ、どうなんだ?」 もう、はっきり訊かずにはいられなかった。 「どうって、何がですか?」 「なんで俺を誘うようになった?」 「――え」 きょとんと見つめてきて、サッと頬を赤らめる。しどろもどろして、グレープフルーツハイをあおった。 ……何なんだよ。 こっちのほうが恥ずかしくなるとは、このことだ。何杯目になるか、羽柴も冷酒のグラスを口に運び、ジトッと田口を見つめる。 「その……羽柴さんは、今はどなたとも交際してないんですよね?」 言うに事欠いてそれかよ、と内心で呆れた。 「ああ、どなたとも交際してません」 だから、ついそんなふうに返してしまう。 と言うか、結局そういうことなら、最初にそれ訊くもんじゃないか? 素直で、仕事熱心で、人あたりがよくて、この自分が太鼓判を押すほどのルックスなのに、こんな調子では、田口の恋愛経験は相当浅いに違いない。 「俺、羽柴さんの横に立つ女性って、ずっと想像できなかったんです」 またずいぶんと遠回しに切り出したなと、羽柴は吐息を落とす。だが田口は気づかないようだ。テーブルの一点を見つめている。 「羽柴さんって、なんて言うか――キラキラしてるじゃないですか」 危うく日本酒を噴きそうになった。羽柴は目を丸くして田口を見つめる。 「いつも堂々としていて仕事ができて――今日の会議でもそうでした。身だしなみにも隙がないし、颯爽として……きれいです」 きれいって――。 だからそれが女性に対する誉め言葉と同じだと言ってやりたかったが、羽柴は顔が熱くなって言えなかった。 どうにも腰のあたりがむずむずしてくる。飲みすぎたか、視界がぐらりとした。 非常に困る。そんな歯の浮くようなことをすらすら言えるおまえのほうが、よほどキラキラして見えると言ってしまいそうになる。 「たまんないですよ、髪もツヤツヤしていて、サラッとしていて、さわりたくなる。小顔なんて言ったらまた怒られそうですけど、マジ、八頭身? 一七〇ないなんて思えません」 「おまえなあ〜」 羽柴は唸るしかない。誉められているのか、からかわれているのか、だんだんわからなくなってきた。 「だから、どっちなんだと言ってるだろうが」 「どっち、って――」 「今まで、男と女、どっちとつきあってきたんだ? じゃなくて、おまえ男が好きか?」 ずばり、自分から核心をつくことになってしまい、チッと舌打ちする。 「すみません……そういうことでしたら――経験ありません」 「嘘だろっ」 消え入りそうな声で言われ、羽柴は小さく叫んで腰を浮かせてしまった。赤くなった顔を伏せて縮こまる田口を見つめ、唖然として座り直す。 あまりにも気まずい。経験がないとは、どの程度の経験がないことを言ったのかと問い返すわけにもいかない。 まさか……童貞とか? そんなこと訊けるはずもない。しかし誰ともつきあったことがないと聞かされたように感じる。下手をすると、これまで誰も好きになったことがないという意味かもしれない。 「……もったいない」 思わず声にもらしていた。 「すみません」 ここは謝るところではないだろう。それがわからないとは……田口は本当に、まったくのウブなのか。 「このあいだ――今月の頭でしたか。羽柴さんが、その……男性とキスしているのを見て、なんて言うか、その――」 もう、すべて聞きたくはなかった。とんだ裏目だ。想像もつかなかった顛末にめまいがする。 「悪い、今日は飲みすぎた。ここで失礼させてもらっていいかな?」 言い方も丁寧になるというものだ。 「あ――はいっ」 田口は助け舟を得たように顔を上げてきて、羽柴はいっそう混乱する気分だった。伝票を取り上げ、慌てる田口をその場に留めて、会計を済ませて店を出た。自宅に辿り着くまで、何も目に入らない気分だった。 つづく ◆NEXT ◆BACK ◆作品一覧に戻る |