マンションに戻る道すがら、ベーカリーにも立ち寄った。フランスパンに似た丸いパンがちょうど焼きたてで、それを買って帰った。 なかなか暮れそうにない夏空を外に、岩瀬はまな板に向かってサラダを作りにかかる。嶋田はシンクの前に立ち、ジャガイモの皮をむき始めた。 ケーキとアイスワインは冷蔵庫に入っている。サラダができて、付け合わせを作る手際を岩瀬が横で見ていたら、それぞれステーキは自分で焼きましょうと嶋田が言い出した。 「そのほうが、好みの焼き具合になるでしょ」 含み笑いに言って見つめてきた瞳は、またいたずらっぽい光を宿していた。 そうこうして夕食が整う。ステーキとサラダとパンを並べたテーブルに着き、赤ワインを開けた。互いに注いで、グラスを合わせる。さっそくステーキにナイフを入れた。 「うまく焼けました? 俺のほうは、レアにしては焼き過ぎかな。ミディアムレア?」 「私のほうは……ウェルダムかもしれない」 「余熱でも火が通るから難しいんですよ」 「そういうことは――」 「経験してみないとわからないですよね」 まただ。いたずらをするような目になって嶋田が笑う。本当に、心から楽しそうに。 どうして――思わずにいられない。先ほどの元妻との一件などなかったかのように、この食事がこれまでの礼だなどと考えてもいないように、嶋田はこれまでと何も変わらない態度でいる。 ――そうか。そうだった、今日で最後だ。 岩瀬も笑った。自然と顔がほころんだ。 「ん、うまい」 嶋田が言うから、穏やかに胸が満たされる。 「うん、こっちもうまい。これだけ焼いてもジューシーだ。さすが米沢牛?」 わざとふざけて返せば、嶋田は満面の笑みになる。 「奮発してもらいました。ごちそうさまです」 それには答えなかった。もう何も言わなくていいと思えた。 嶋田が話題を振ってきて、他愛のない会話を楽しんだ。ワインが進み、やがてボトルがからになって食事が終わる。窓は遅い夕暮れに染まり、冷蔵庫からケーキとアイスワインを取り出してデザートに移った。 「オペラは以前も食べたことあるんですけど……マジ、濃いですね。これにアイスワインじゃ、きつかったかも」 「私はいける。うまいよ、ワインも」 「いや、俺もいけるんですけど……ワインのチョイス、失敗したみたいで――」 くすっと岩瀬は笑った。嶋田らしいな、と思った。そう思えたことが、とても心地いい。 「アイスワインは飲むことがほとんどないが、こんなときはいいな。キンと冷えて口当たりがよくて、舌に蕩けて甘い」 頬杖をつくようにして、ワイングラスを頬に寄せた。冷やりとした感触が気持ちよく、思っていた以上に酔っているようだと気づく。仕事で飲むことも家で飲むことも数あるが、自分の酔いの加減を読み違えるなど珍しく、でも、今はそうなっている。 嶋田とだからか――。 とろんとしていると自分でもわかる目で、岩瀬は嶋田を流し見た。嶋田も頬を淡く染めている。既に一本半のワインをふたりで飲んでいるのだから、そんなものかと思う。 「――あ。飲み切ってしまったな」 ふと声に漏らしたら、ふらりと嶋田が立ち上がった。 「こっちも飲んじゃいましょう」 自分用にと言って買った一本を取り出して、戻ってきた。 「いいのか?」 「帰りに寄って、また買いますよ」 言いながら、もうオープナーで開けている。 「帰りって……今、何時だ? 専門店は八時までじゃなかったかな。スーパーは十時まで開いているが」 時計を見ようとした目の前にワインボトルをかざされた。 「無粋ですよ。閉まってたら今度にします」 それはいつのことを言っているのかとは、訊けなかった。酔っているのだ。頭がほわんとする。 「ソファに移ってもいいですか。デザートも終わったし」 「――うん」 岩瀬はのろのろと立ち上がり、崩れるようにソファに腰を下ろす。嶋田がローテーブルにワインとグラスを置くのをぼんやりと見る。 「注ぎますか?」 隣に座り、嶋田がほほ笑んで尋ねた。 「頼む」 まだ飲むのかと頭の片隅で思う。でも今は飲みたい。嶋田とふたりで飲むのは、今日が最後だから。 ……嫌だな。 胸が苦しい。飲み過ぎているせいではないとわかるほどには頭が働く。それならどんな理由で胸が苦しいのかまでは思考が続かない。 「大丈夫です? 耳まで赤いですよ」 グラスを唇に傾けて、嶋田が横目で言う。 「なら、勧めるな」 いつになくきつく言い返したとわかり、岩瀬は声を上げて笑った。自分が自分でないみたいだ。 「悪い……笑い上戸ではないはずなんだが、なんか、楽しくて」 空々しい気分で自分の声を聞いた。 「――俺もです」 やわらかく目を細めて嶋田が見つめてくる。近い。気づけば、肩が触れ合っている。 「いいですよ、もたれて」 何を言うかと思った。だが、こてんと嶋田の肩に頭を預ける。くらっとした。反対側の肩に嶋田の手が回ってくる。どうして、と目を上げた。 視線が絡まる。なぜ、こんなにもやさしい眼差しで嶋田は見つめてくるのだろう。やさしいのに、淋しそうな陰を宿して。 「……志信さん」 名前で呼ばれ、その深い響きが胸にしみた。 「ひとつだけ、教えてください」 グラスを置いて、ひっそりと耳に吹き込んでくる。 「離婚の理由は何だったんです? 誰でもよかったなんて……そんなふうにあなたが言われるなんて、浮気とか絶対ありえないのに」 フッと口元がゆるんだ。鼻先が触れてしまいそうな男の目を見つめて岩瀬は答える。 「家政婦の代わりじゃないと言われたよ」 見つめる先の瞳が不安そうに揺らめいた。 「セックスレスだった、……とか?」 くっと、低い笑いが漏れた。嶋田にもたれたまま、岩瀬は小さく身を震わせる。 「――下賤だな。でも、世間ではそうなるかな。家のことは任せきりで、身の回りの世話までさせて、私からは何もしなかった。感謝すら忘れて……離婚されて当然だ」 「それで――」 納得したようなつぶやきが耳元で聞こえた。 「奥さん……元奥さんは、甘え下手だ。甘えられたら、あなたは応えるのに」 言われて目を向ける。やけに真剣な眼差しが見つめ返してくる。 「あなたも同じだ。自分に厳しすぎる。見合いで結婚されたと聞きました。でも、愛情はあったんでしょう?」 「愛情、か――」 皮肉な思いが湧いた。手にあったグラスをぐいとあおる。 「互いに三十をかなり過ぎての見合いだったからな。一生の伴侶になると思ったから結婚した。向こうも同じだったはずだ。だから続かなかったと言われるなら、それまでだな」 嶋田の声は聞こえない。手の中のグラスにワインが注がれる。それを一口飲んだら肩を抱き直された。間近で動く唇を見る。 「でも……元奥さんには、未練があった――」 「未練?」 「そうでしょう? わざわざ借りに来て、返さなくていいと言われたものを返しに来たんだ。あなたのためにオペラを買って」 すっと岩瀬は目をそらす。見るともなしにワインボトルを見つめる。深緑のガラスを透かして、黒く見える中身が半分に減っていた。 「あなたに未練はありませんか」 「……もう、終わったことだ」 「あの人のことを思って、胸が苦しくなったりしませんか」 しない。胸が苦しいのは、今だ。 「悪かったと思う……それだけだ」 「誰にでもそうだったんですか? あなたなら見合いをしなくても、いくらでも相手がいたでしょう?」 「誰とも長く続かなかったし、別れても未練が湧かないんだ、私は!」 たまらず吐き捨てた。 「俺にも、そうですか」 いきなり顎をつかまれ、振り向かされた。途端に、唇が熱く濡れたものでふさがれた。ぬるりと入ってきたものに歯列を割られる。 そうなっても、驚くほど抵抗する気が起きなかった。きっとこうなると、わかっていたように思う。あの誤解が誤解でなかったのなら――そうであってほしいと、自分が願ったのなら。 ワイングラスを手から離され、きつく頭を引き寄せられ、それでも抗う気になれない。深まるキスに性感をあおられ、そのとおりに体が反応する。のしかかってくる重みを押し返す気にもならなかった。ソファに仰向けに倒され、なおさら熱っぽく唇を貪られ、背筋が妖しくざわめく。 ……酔っているんだ。 そんな言い訳が通用するものかと、むしろキスに酔う自分を笑った。男と、それも部下と、嶋田としている自覚がちゃんとある。 本当に、誰でもいいのか、私は――。 違うと全力で否定したくなるから、あえてそう思う。でなければ、嶋田でなくては駄目ということになってしまう。 こんなことになって、安心していられるなんて――。 それどころか、初めて知ったような快感に浸っている。キスの経験は歳相応にあるのに。 元妻が抱いた疑念どおりなのか。この歳になるまで自分の性指向に気づけないでいたか。 ……違うだろう。男に情欲を覚えたことなんてない――。 女性にも関心が薄かったくらいだ。恋人と呼べる相手はその時々にいたが、申し込まれて始まる交際ばかりだった。 そこまで思ってハッとする。今は、どうだ。 「んっ」 両手で嶋田を突っぱね、岩瀬は顔を背けた。唇が解放されて、せわしく息を継ぐ。 「苦しい……どいてくれないか」 喘いで言えば、嶋田は体を浮かせた。しかし両脇についた腕を伸ばしただけで、岩瀬を見下ろしてくる。 「嫌です。ここで放したら二度と手が届かない。今日で最後なんでしょう? 俺は帰ろうとしたのにあなたが追ってくるから、こんなことになるんです――あなたをもらいます」 どんな顔をして、そんなことが言えるのかと思った。岩瀬は顔を戻して嶋田を見上げる。 真っ先に、情欲に染まった瞳につかまった。したたるほどの男の色気とは、こんな感じかと思う。背筋がゾクッとして目を離せない。もともと嶋田は男前だ。キスに濡れた唇も、いっそ魅惑的に目に映る。 「――私を犯すと言うのか。強姦だな」 揶揄したはずが、吐息交じりのささやきになった。 「和姦です、その気じゃないですか」 自信に満ちた声音で言い切り、嶋田は岩瀬の股間を腿で押した。 「あつかましいな。その気になんてなるか、きみは会社の人間だ」 疲れて、岩瀬は言い返す。 「男だからダメとは言わないんですか」 どこか勝ち誇ったように嶋田も言い返した。 「男を押し倒して言うことか?」 「言いますよ! 惚れた相手になら――」 きっぱりと、しかし語尾は消えて、嶋田の声が岩瀬に降りかかった。 岩瀬は浅く息をつき、そっと目を閉じる。ゆっくりと見開いて、静かに問いかけた。 「……始めから、そんな気持ちだったのか」 「違います。先週、あの人が来て気づかされました。あなたとふたりでいたのに水を差されてムカついた。あなたは誰にも渡さない」 くすっと岩瀬は笑ってしまう。 「別れた妻に嫉妬したと言うのか、きみは」 サッと頬を染め、嶋田は睨みつけてきた。 「いけませんか? あなたの妻だった人ですよ? 今日はあんなことまで言われたんだ、焦りもします。あなただって、間男を見咎められたような顔になってたじゃないですか」 まさに図星で、岩瀬はたちまち目を瞠る。嶋田の強張った顔が大きく映り、ひどく真剣な眼差しに射抜かれた。 「間男じゃ嫌なんです、結婚の挨拶状を受け取ったときもそうでした。あなたを掠め取られたみたいで、そんなふうに感じたことが信じられなくて、あのときはあなたを独身主義と思い込んでたからと納得したけど、本当は違ってたんです!」 声を絞り出すようにして嶋田は言い募る。 「あなたは、ずっと憧れだった。同じ営業部に三年間いて、あなたに追いついて肩を並べたくても、あなたはいつも先を行って、ぜんぜん手が届かなくて――」 くっと喉を鳴らし、岩瀬を見据えたまま、嶋田は小さく肩を揺らす。 「大阪に転勤してからも、あなたが頭から消えなかった。それでも、あなたみたいになりたいだけなんだと思ってた。でも本社に戻ることが決まって、あなたの下だと知って――俺は、浮かれたんです」 そこまでをはっきり口にして、嶋田は深くうな垂れる。見えない陰で、何度も吐息を震わせた。そうして、愕然とするばかりの岩瀬の上に崩れてきた。甘えつくように、岩瀬の肩に顔をうずめる。 「……こんなふうになるなんて思わなかった。今度こそあなたに追いつきたくて、認めてほしくて、新しい仕事でも成果出してきたのに――ワイシャツ買ってきてくれなんて、あなたが言うから……ありえないことで、あなたに近づけた気になって、いい気になって――」 声を詰まらせ、荒っぽく岩瀬をかき抱いた。 「だから! やっとあなたに手が届いたんだ、放せません! ずっと憧れてたけど、そんなきれいな気持ちじゃなかった!」 「し、嶋田!」 再び唇を奪われそうになって、やっと岩瀬は声が出た。思いきり顔を背ける。 「――やめてくれ!」 それでも叫ぶしかできない。両腕ごと強く抱きすくめられ、嶋田の重みで脚も動かない。 たまらなかった。もう一度キスされたら、自分がどうなるかわからない。思いの丈を嶋田に熱っぽく浴びせられ、誤魔化しようもないほど胸が高鳴っていた。頭がくらくらするのも、ワインの酔いのせいだけではない。 「どうして! さっきは、させたくせに――」 だからだとは言えない。おまえにキスされると蕩けてしまうからだとは、決して言えない。おまえのキスは甘い毒だとは――。 「私は……っ!」 横を向いていられるうちに言葉を尽くす。 「ひとりで暮らせるようになりたいんだ!」 上ずる胸を抑え、はっきりと告げた。 「それは、きみが一番知ってるだろうっ?」 むしろ嶋田しか知らない。嶋田にしか明かしていない。嶋田から踏み込んできて、それを自分が許したから――。 違うだろう……私が踏みはずしたんだ――。 私用を頼んだりしたから、嶋田を惑わせた。嶋田自身が、そう言った。 「なら、なんで――」 嶋田は、悔しそうに唇を引き結ぶ。それを横目に捉え、岩瀬は弱々しく吐息を落とした。 「もう……ここに来ないでくれ」 「なんで! 俺でもいいと、思ってくれたんじゃないんですか? 全部、俺の思い違いだと言うんですか?」 「きみでは駄目だ」 冷たく放ち、岩瀬はそろそろと顔を戻す。 「きみは会社の人間で、私の部下で、十歳も年下の、まだ三十だ。いくらでも先がある、実績も買われている、まったくの未婚で男だ。そもそも、きみは同性愛者じゃないだろう?」 まっすぐに見上げて、ひとつひとつ噛みしめて言った。嶋田の顔が泣き出しそうに歪む。 「……なに言ってるんですか」 掠れた声を聞かせた。 「それ全部、知ってて俺とキスしたんじゃないか! 舌まで絡めて、はっきり興奮して!」 「酔っているんだ」 無理にも岩瀬は言い返す。胸はきつく締めつけられて苦しいが、頭はどうにか働いた。 「ふたりでワイン二本空けたのだから、当然だろう? それに、生理的反応を咎められても私にはどうにもできない」 ぽかんと、嶋田の口が開いた。言葉を探してか、唇がわずかに動く。 「そこまで……言うんですか――」 呆然とつぶやいた。おもむろに顎を引き、顔を隠すようにする。 「……やっぱり、今日が最後ですか」 やっと聞き取れるほどの声だった。 岩瀬は答えない。沈黙が流れる。 ポタッと、岩瀬の唇に熱いしずくが落ちた。岩瀬は静かに目を閉じる。泣きたいのは自分だと思った。 ……ひとりで生きていけるようになりたいんだ。 離婚を経験して、自分を変えると決めた。だが、まだ変わっていない。ひとりになって、結局は嶋田に甘えた。このままでは同じことの繰り返しになる。ほかのどんなことにも目をつぶれても、これだけは見過ごせない。 今なら、まだ断ち切れる――。 破綻が見えていて、始める気にはなれない。男同士なら、なおさらだ。嶋田がこうなった原因は自分にある。 「し、嶋田っ?」 唐突に下肢に手をかけられ、裏返った声が口から飛び出た。 「や、やめろ!」 「嫌です、あなたをもらうと言った!」 片手で肩を押さえつけてきて、嶋田は言い放った。 「今日が最後と、あなたが言うから!」 「――あっ」 せわしくベルトを解いて、するりともぐり込んだ手が、股間のものを乱暴につかんだ。 嶋田は噛みつくように、岩瀬の喉元に吸いついてくる。 「くっ」 声を殺し、岩瀬は仰け反った。強烈な快感に襲われていることが信じられない。 ……駄目だ、絶対に! 「……何がおもしろいんだ!」 浮かぶ限りの暴言を嶋田に投げつける。 「こんな、中年の――男を抱いて!」 「まだ抱いてませんよ」 しかし不敵に返されてしまう。 「中年なんて言ったって……あなたの肌は、さらりと気持ちいい――」 低くささやきながら、嶋田は唇を這わせて、掠めるほどに首筋を辿った。 「うっ」 それにも感じて、岩瀬は悶える。流されてしまいそうで、精一杯に抗う。 「さ……最低だ! こんなふうに私をものにしたかったのか!」 ヒクッと嶋田の肩が揺れた。それを見過ごさずに、さらに罵倒する。 「仕事で私に追いつきたかったと言ったじゃないか! 私を蹂躙して、これまでの実績を穢して何になる!」 自分で言って滑稽だった。こんなときにも正論しか出てこない。嶋田の手の中で劣情は育ち、無理にも抱かれる予感に胸は甘くざわめくのに。 「……志信さん」 低くつぶやき、嶋田はゆらりと上体を起こした。逆光に縁取られた顔は、なんの感情も映していない。それなのに、今また名で呼んだことに、岩瀬はきつく胸が締めつけられる。 「帰ります――」 消え入る声を聞かせ、嶋田はソファを降りた。ふらつく足取りでリビングを出ていく。玄関のドアが開いて閉じる音が小さく響いた。 「う……っ」 ソファに仰向けに倒されたまま、岩瀬は嗚咽を漏らす。嶋田の手を離れても劣情は名残を留めていた。白い天井を映す視界がじわりと滲む。 なんで――。 悲しむ資格など自分にはない。いったい何を悲しむのか。いっそ嶋田をあわれむのか。 あまりにもやるせなく、手を伸ばしてローテーブルからワインボトルを取り上げた。思いのままにあおるが、一口でむせてしまう。顔をしかめて離し、ラベルに目が止まった。 ……そうか。 眺めているうちに笑いが込み上げてくる。嶋田から『カベルネ・ソーヴィニヨン』と聞いて、このワインの名称だと思ったが、原材料のブドウの品種名だった。 そういう男だよな。 込み上げた笑いは止まらない。喉を震わせ、岩瀬は低く笑う。 なのに……なんで私なんだ。血迷っているだけじゃないか。 天井を映して、目尻から涙が伝った。淋しくてならない。ひとりで生きていけるようになると決めたのに。もう惑いたくないのに。 つづく ◆NEXT ◆BACK ◆作品一覧に戻る |