Words & Emotion   Written by 奥杜レイ




      猫と水たまり
      −13−




       夏休み最後の日曜日の夜、葵は机に向かいながら、目の端に一瞬の花火を捉えた。そうなって気づく。今日は川の花火大会だ。
       受験勉強もそっちのけで窓に向き直った。遠い夜空に、また花火が上がる。間をおかず、次々と上がり始めた。
       ウッソ! もろ見えじゃん!
       きっぱり休憩を決めてキッチンに行き、父親のビールをくすねようとするが、リビングのソファに翠がいて焦った。テレビがついていてゴールデンタイムのバラエティ番組が流れているが、翠はケータイを手にうつむいている。
       両親はそろって留守だ。父親がお盆をさけて夏期休暇を取ったので、泊りがけで田舎の祖父母のご機嫌伺いに出かけている。夕食は翠が出前を取ると言ったので、便乗して済ませたあとだった。
       葵は体で隠して冷蔵庫から缶ビールを取り出し、翠に見られないようにハーフパンツのポケットに押し込んだ。こっそり出ていこうとして、声をかけられる。
      「葵。ちょっと出かけるから。おまえは家にいろよ」
      「へ! あ、うん、いってらっしゃい」
       翠に「いってらっしゃい」なんて、いつもは言わないから変な目で見られた。
       翠は手早くケータイをスラックスのポケットにしまい、テレビを消して玄関に出ていく。葵は廊下にそっと顔を出して、その姿がドアの外に消えるのを見届けた。
       途端に自室に駆け込み、自分のケータイを手にする。一か八か、克巳の家に電話した。最初に克巳が出なかったら、ぶち切りにすればいいと思った。
      「いきなり何なんだ、すぐに来いなんて、こっちにも都合が――」
      「いいから、マジ急げって」
       かけた電話に、克巳が出た。一緒に花火を見たいから、すぐ家に来いと呼んだ。そうして克巳は来た。葵は、もう十分にうれしい。
      「どうよ、ほら」
       自室に引きずり込むようにして窓際に克巳を立たせる。それで克巳は状況が飲み込めたようで、ルーフバルコニーへのドアを開くと続いて出てきた。
      「すごいな」
      「だろ? これ見せたくてさ」
       柵まで進んで、前のめりにもたれる。克巳も隣に来て、同じように柵にもたれた。花火はちょうど目線の高さまで上がって、何にもさえぎられない。
      「あ。ちょっと待ってて、飲み物取ってくる」
       うっかりしていたと、葵はキッチンに急ぎ、克巳にはペットボトルのウーロン茶を、自分には缶ビールを持ってすぐに引き返す。先ほどポケットに忍ばせた缶ビールは克巳が来る前に冷蔵庫に返したから、別のよく冷えたものを取り出した。
       克巳の隣に戻り、葵は上機嫌でウーロン茶を手渡す。柵の上に両肘をついて、何も考えずに缶ビールのプルトップを引いた。一口飲んで、苦い炭酸の喉越しに満足して息をつく。
      「葵――」
       見咎めたように呼ばれてハッとした。しかし克巳は、意外なことを言ってくる。
      「自分だけ?」
       本当にビックリだ。葵は目をむいてしまう。
      「って、なに。マジ飲むわけ?」
      「いいだろ、べつに。いきなり呼び出されて、親に言い訳したりして、マジ、飲みたい気分」
      「……悪かったよ」
       克巳が着ているトレーニングウェアに目を留めて、葵は謝った。親には、ランニングに行くと言って出てきたに違いなかった。
      「謝らなくてもいい。今日は一日中家にいたから外に出たかったし、せっかくの花火だし、その意味でも飲みたい気分」
       フッと口元をゆるめ、克巳はやわらかく目を細めて見つめてくる。
       ――やっべ。
       葵は慌ててキッチンに取って返した。あんなふうに見つめてくるなんて、やっぱり反則だと思った。
       それからしばらくは、ふたりで並んで柵にもたれ、遠い夜空に花火を見ながらビールを飲んだ。葵は言葉もない気持ちで、ふとした折に盗み見るようにして、克巳の横顔に何度も目を向けた。
       真夏の湿った夜風がふたりを撫でていく。克巳の黒髪が揺れている。ビールを口に運び、克巳の唇が開く、喉が動く。そっと息をつく。
      「意外だった?」
       不意に目を向けられ、葵は心臓が止まったかと思った。
      「飲むなんて、思ってなかったんだろう?」
      「ま、まあな」
       不自然なほど動揺してしまう。
      「そういう親なんだ。外で飲まれたら困るから家でほどほどに、ってさ。笑える」
       弱々しく笑う克巳を見て、葵は眉をひそめた。克巳は花火に視線を移して静かに続ける。
      「最上階の南東の角でルーフバルコニー付き、5LDKで、リビングは二十四畳の広さ。新築のマンションだから、最高価格だったことは住民に知れている。どんな人が住むのか、陰では好奇心の的だ。ご主人は重役らしいとか、お兄さんは公務員で省庁勤めみたいだとか、なのに、弟は茶髪の派手な高校生で、奥さんは専業主婦で遊んでる――なんて話が、どこかから出てくるわけだ」
      「それって、オレんち……」
       葵は驚いて目を瞠るが、克巳は花火を見ている。
      「うんざりだよな。聞かされるほうも同じだ。そういうことを家で話す親なんだよ。子どもが教師に失望しても仕方ない」
      「……克巳」
       小さく息をついて、克巳はゆっくりと顔を向けてきた。淋しい笑顔だった。
      「悪かった、嫌な気分にさせて。そんな噂が出たの、最初の頃だから忘れてくれ。みんな、もう飽きただろ。葵のお母さん、人がいいし」
       咄嗟に葵は言い返す。
      「あの人は、そういうことに気づかないんだ。おっとりしてるって言うか、のほほんとしてるって言うか、ボケなんだよボケ」
       気づいていたなら家で騒いだと思える。母親をダシにしても、この程度のことで克巳に気兼ねしてほしくなかった。もっと聞きたい。克巳がプライベートな話をしている。
       克巳は、ふっと眼差しをやわらげた。
      「人柄だろう? 気づいているけどあえて目をつぶる、みたいな――葵もそういうところあると思う。瑣末と判断したらあっさり流して、次を考える。前向きで、惹かれるよ」
       ――え。
       葵は、目をしばたたかせてしまう。克巳はギョッとしたように顔をそむけた。
       えーと……。
       なんだか気恥ずかしい。どうも克巳に誉められたようだ。葵は慌しくビールを飲み干す。頬が火照るようで、隣にいる克巳が急に意識された。
       花火は続いている。港の花火より近くに見えるが、やはり音は聞こえない。夜空に弾ける光の花を見つめ、葵の胸はざわめく。
       ビールを飲んだせいかもしれない。気分がふわふわしていて、体が熱くなっている。吐く息も湿って、ぬるい夜風に流れていく。
       抑えきれず、顔を向けて克巳を見つめた。胸が熱くなる。克巳もこちらに顔を向けて、自分を見つめ返してほしいと思ってしまう。
      『おまえは、オレだけ見てればいいんだよ!』
      『ずっとオレを見てたんだろっ!』
       自分は克巳に、そんなことを言った。あのときは無性に悔しくて、腹立たしかったからで、でも――どうしてだろう。
       ……美由と話してたからだ。
       親密な空気が流れていたように感じられた。ふたりはよりを戻したのかと――そう思った。
       だからって……。
       克巳の横顔を見つめ、葵はそっと息をつく。薄闇の中に見る端整な顔立ち。やっぱりきれいだ。頬がいっそう火照る。熱に浮かされたみたいに、くらむ。
      『逃がさないから』
      『オレも逃げないから』
       自分は克巳に、そうも言ったのだ。克巳を逃がさずに、自分も逃げずに、そうしてどうなると思ったのか。克巳を捕らえて、克巳を知って、自分はどうしたかったのかと――。
       ……オレは。
       めくるめく思いが沸き立つ。せつなく胸が締めつけられる。指先まで熱くなった。克巳との微妙な距離がもどかしい。手を伸ばせば届くところにいるのに、肩さえ触れやしない。
      「……そんな、見るな」
       うつむけた顔から見上げるようにして克巳が視線を流してきた。葵の鼓動は跳ね上がる。
       知らず、手が伸びていた。克巳の頬を包む。
      「葵――」
       目に映る唇がわずかに動いた。葵は捕らわれる。捕らわれるのは自分と知る。
       熱く湿った息が唇から溢れた。克巳を見つめて眼差しが揺れ、おのずと顔が近づく。
      「あお……」
       克巳の呼ぶ声が重なった唇に消えた。頭の中が真っ白になる。敏感な皮膚を通して克巳の唇を感じている。開こうとは思わなかった。軽くこすれ合わせ、そこから生まれる快感に酔った。
       ふわふわと意識が浮かんでいく。足元まで浮かんだように感じる。
      「な、んで――」
       克巳の戸惑ったささやきが耳をくすぐった。抱きしめたい衝動を抑え、葵もささやく。
      「――好きだから」
       今、すべてが腑に落ちた。克巳にあんな乱暴なキスをした理由も、暴言を浴びせた理由も、目が離せなくなっていった理由も、卒業したら会えなくなると知ってショックだった理由も、何もかも。
      「なっ」
       大げさなほど驚き、克巳は大きく目を見開く。まじまじと葵を見つめ、だが、さあっと頬を染めた。視線を泳がせて顔をそむける。
      「……ないだろ、そんなこと」
       むしろ葵の手のひらに頬を押し当てることになったが、気づきもしないのか。やすやすと顔を戻され、ただ目が合わないようにする。
      「オレは信じられない?」
       その一言に、う、と息を飲んだ。目をそらして、固まったようになる。
      「……信じてよ」
       葵はせつない。せつなくて、克巳に顔を寄せる。今一度、唇を重ねようとした。
      「やめろ……っ」
       小さく叫ばれ、間際で止まった。
      「克巳――」
       鼻先が触れそうになって、葵はささやく。
      「オレ、美由に嫉妬した。美由に取られたと思ったから克巳にキスした」
      「……え」
       克巳が見つめてくる。形よい眉が、かすかに寄る。
      「ずっと、オレを見てたんだろ? オレも、克巳を見てた。だから……これからもずっと、オレだけを見ていて」
      「葵!」
       途端に身を引いて、克巳は葵の手を払った。
      「言ってること、わかってるか? 俺も葵も男だぞ?」
       葵は泣きたくなる。そっと吐き出した息は震えていた。
      「だから? しょうがねえじゃん、オレが好きになっちゃったんだから」
      「そんな……簡単に言うな!」
       克巳は柵にすがりつくように身を返した。
      「俺が! どんなに悩んだか知らないくせに。ずっと葵を見てきたけど、いつも実力を出し惜しみしてるみたいで、じれったくて、だから出し切ったらどうなるのか見たくて、だったら俺が誘って何か一緒にやったらどうかって……それだけだった。何もなかったはずなんだ、でも葵に迫られるとたまらなくなって、おかしいだろ、男なのに!」
       吐き捨てるように言って振り向き、きつく睨んでくる。
      「花火なんて、カノジョと見ろよ!」
      「それ、言う?」
       思わず葵はつぶやいた。
      「カノジョ、早く作れよっ。なんで作らないんだよっ。いつも、いただろっ」
      「それも、言っちゃう?」
       あんまりだと思った。
      「なんで――」
       克巳は片手で顔をおおい、がっくりとうな垂れた。力なく、背で柵にもたれる。
       泣きたいのは自分のほうだ。克巳を見つめ、葵は胸が苦しくてたまらない。浅く息をついた。大きく息を吸って、静かに声を出す。
      「オレはさ。誰かに好きになってもらえるのがうれしかったんだと思うんだ。だから、もうカノジョは作らない。自分が好きになったヤツとしか、つきあわない」
       克巳は何も応えない。ぴくりとも動かない。
      「オレと文化祭やって満足? そんなんで、十分なわけ? 言ったよな、港の花火のとき。けど……まだ終わってないよ?」
      「……おどすのか」
       葵は薄く笑ってしまう。そんなふうに受け取られて胸が痛い。
      「そんなわけないだろ。克巳とやりたいって、オレも言ったんだし。マジ、信用されてない」
       無性に悲しかった。自分から告白したのは、これが初めてだ。なのに、少しも信じてもらえないなんて――。
      「オレ、もう泣くしかないかな」
       つぶやいて、柵に向き直ってもたれた。遠い夜空に花火が上がって消えていく。
       克巳がそっと目を向けてきたが、葵は気づかない。花火を見ている。
      「友達って言われるし。けど、親がいないなら来ないって言われるし。文化祭終わったら、捨てられそう。何もなかったことになるのかな――」
       自分で言って、胸がきしんだ。それなのに止まらない。
      「誰も好きになったことないなんて言われたしさ。ホント、信用されてないよな。そんな、いいかげんかよオレ。マジ好きになったのに、男でさ。男だからダメって……」
       本当に涙がにじんできた。フラれる気持ちも、初めてわかったように思える。
      「……もう、これで終わりか。卒業したら顔見ることもなくなっちゃって……文化祭は、ちゃんとやるから。気にすんなよ」
       そう口にした流れで、克巳に目が行った。視線がかち合い、葵は息を飲む。
      「……なんで」
       つぶやいたのは克巳だ。
      「なんで――葵が泣く」
       克巳こそ、泣いたあとみたいな顔になっている。
      「……しょうがねえだろ」
       気まずくて葵は目をそらした。克巳が覗き込んでくる。絞り出したような声で言う。
      「俺に、信じろって?」
      「……もう言わねえよ」
      「あきらめるのか?」
       ムッとして葵は克巳を睨んだ。
      「なら、どうしろって言うんだよ。好きって言ってるのに信じられねえって言うし、男だからダメだって言うし、女になってコクればいいわけ? そしたら信じる?」
      「――バカ」
       コツンと克巳が額を合わせてきた。
      「……俺が、先にキスしたんじゃないか」
      「克巳――」
      「……したかった。したくなっていた。葵とキスしたら、どうなるか知りたかった」
       ささやいて、克巳はせつない溜め息を落とす。葵は息もできない。
      「怖くなった。自分の本音がわかって、葵に知られたくなくて。だから……あんなキスは、つらかった」
       葵の胸は熱く染まる。甘く痺れるような感覚が背筋を駆け抜けた。
       ――そういうことかよ。
      「克巳」
       葵はやさしく克巳の肩に手を置く。
      「やっぱ、しょうがねえよ男でも」
       克巳は応えない。目を伏せてしまう。
      「オレも、自分は終わったって思った。けど、やたら会いたくなるし。だから……しょうがねえじゃん」
       実際、古文を教えてもらった日のあとにも、勉強を口実に何度か克巳を呼んでいた。
      「友達って言われて、がっかりだった。友達じゃ、ぜんぜん足りないって。克巳も……そうなんだろ?」
       言った途端、唇がふさがれた。克巳が顔を傾ける。メガネがぶつからないように――。
      「ん……」
       葵は蕩ける。いまだ手にあった缶が落ちて、足元のコンクリートで高い音を立てた。続いて、同じ音が上がった。
       互いの体に両腕が巻きつく。きつく抱き合って、胸も重なる。口が開いて舌が絡まり、キスが深くなる。脚も絡み合って、腰も密着した。鼓動が跳ね上がる。
       克巳に貪られるキス、克巳を貪るキス、だけど克巳にキスするなら、ことさらに甘く、やさしく、葵はそれを思って胸がいっぱいになる。
       克巳にも気持ちよく蕩けてほしくて、たまらなく感じてほしくて、ためらいも、わだかまりも、何もかも、このキスで溶かしてしまいたかった。
      「ふ、ん」
       あえかな声をもらして克巳が息を継ぐ。
      「……つらい?」
       確かめたかった。つらいなんて言わせない。
      「なんで――」
       腰を押しつけて答えられ、葵はどうかしそうなほど昂ぶった。口を開き、食らいつくようにしてキスを続ける。舌を挿し入れるまでもなく絡みついてこられ、顎が動くほどになってそれに応える。
       ねっとりと濡れた音が耳にまつわりついていた。熱っぽいキスに、全身が火照っていた。
       克巳は逃げない。逃がさないと、自分が言った。だけど、そんなことじゃない。克巳も自分が好きだから――。
       初めて知る満足が体中のどこからも溢れる。克巳の黒髪に指をもぐらせ、さらりとした感触にも酔い、どこまでも昂ぶるようで快感の行き着く先が知れない。克巳に髪をまさぐられるのも心地よく、克巳も自分と同じように興奮しているから、とてつもなく幸せだった。
       ――欲しい。
       だから、なおさら甘くやさしく、葵は克巳にキスをする。克巳の唇から離れ、克巳の頬に唇を滑らせ、そこにキスして、目尻にも、額にも、耳にも、そして、その中に舌を挿し入れた。ぴちゃっと、濡れた音がした。
      「……あ」
       克巳のこぼした声が艶めいていて、胸が甘く痺れた。股間の昂ぶりは限界に近く、せつない思いが湧き上がる。
      「……欲しいよ、克巳」
       抑えきれずに、口にもらしていた。葵は、ぎゅっと克巳を抱きしめる。首に顔をうずめて、そこに唇も鼻先もこすりつけた。
      「欲しい、克巳……欲しい」
      「葵――」
       克巳が顔を向けたとわかった。熱く湿った息が耳を掠める。
      「このまま……ヤっちゃいたい――」
       ビクッと克巳の体が揺れた。急に克巳はもがいて、両手で葵を引きはがそうとする。
      「なんで――克巳」
       葵が目を向ければ、しかめた顔を赤くしていた。
      「無理言うな……っ」
      「無理、って――」
       ひとまず自分から体を離し、しかし克巳の両肩はつかんだまま、葵は克巳を覗き込んだ。
       克巳は目を伏せて喘いで息を継ぐ。それがかわいくて、またキスしようとして手のひらで止められた。
      「なんでー」
       情けない声が出て、葵は悲しい。
      「葵、忘れてるだろう?」
       冷ややかに言われてドキッとする。
      「俺も葵も、男なんだぞ? ヤるって、勢いで言ったって――」
       そこまで話したのに克巳は口をつぐんでしまう。一段と赤くなった顔を片手でおおった。
       う、わー……。
       葵はどうすればいいのかわからない。克巳はますますかわいくて、本当にここで押し倒したくなりそうなのに、男同士でどうやるんだと、そんなことを言い出す。
      「えっと……大丈夫だから」
       言って、葵まで真っ赤になった。こんな状況は初めてだ。雰囲気が整えば自然な流れでそうなってきたから、このタイミングで無理と言われて拒まれたことなどない。
       なんかオレ、すっげーエロいみたい――。
       恥じらう克巳は乙女のようで、無垢の相手に初めてをくださいと強引に迫っているみたいで、とんでもない罪悪感が湧いて、むしろ興奮する。
       しかし克巳は、恥ずかしそうにしながらも葵を睨んできた。
      「大丈夫って、それ変だから。ヤっちゃいたい、って……最初から、決めつけてただろう」
      「――え?」
       飲み込めるまで少し時間がかかった。克巳の照れてムッとした顔を見つめ返して、葵は大声を出す。
      「って、ええええーーっ?」
      「失礼なヤツだな! 帰る」
      「ちょ、待てって!」
       咄嗟に引き止めるが、軽いパニック状態だ。克巳に抱かれることにもなるかもしれないとは、まったく頭になかった。
       だが、いきなり耳に飛び込んだ翠の声で、心臓が飛び跳ねる。
      「葵!」
       克巳の足もぴたりと止まった。翠は、ずかずかと近づいてきながら、怒鳴って言う。
      「おまえ、家にいろって言ったけど! ……あれ? 高梨くん?」
      「――お邪魔してます」
       お定まりのあいさつでも咄嗟に出てくる克巳に、場違いにも葵は感心してしまった。
      「……なんだ。やけに背が高いと思った」
       葵の部屋は明かりがつけっぱなしだったから、そこから抜けてくるまで葵が誰といるのか、明暗の差で翠にはわからなかったようだ。
       そうと気づいて、葵はムッとする。
       オレが、女連れ込んだと思ったな――。
      「カノジョと一緒だと思ったんですか? 葵は、カノジョなんて呼びませんよ」
       しかし克巳が言い返して、葵と翠はそろって目が点になった。
      「いや、まあ……決めつけはよくないな」
       間が悪そうに答えた翠などどうでもよく、葵は克巳を見つめて浅く息を飲む。
       うっすらと笑っていた。艶っぽく、冷ややかに。
       やっぱ、そういう意味――。
       葵の動揺が顔に出た途端、ツンと澄まして克巳は顔をそむけた。翠に向かって言う。
      「もう帰ります。花火見させてもらってたんですけど、留守に来て、すみませんでした」
       失礼します、と会釈して帰っていく。葵はもう引き止められない。引き止められたとしても、そのあとの考えが何もなかった。
      「おまえが男と花火見るなんてな」
       あきれたように翠に言われてギクッとした。
      「高梨くんと、そんなに仲いいなんて意外だ」
       何も答えられない。それをどう勘違いしたのか、翠が改まったように言ってきた。
      「悪かったよ、一方的に怒鳴って。反省する」
       また葵は目が点になる。翠がこんなに素直に謝るなんて驚きだ。
      「……なんかあったの?」
       つい言ってしまい、しまったと思ったが遅かった。
      「おまえには関係ない」
       図星だったようだ。バルコニーに出てきたときと同じように、ずかずかと戻っていった。だがそれで、ビールを飲んだことに気づかれなかったと知る。変なところでホッとした。
       ひとりになって、落とした空き缶を拾い、克巳の分も拾って微妙な気持ちになった。
      『そんな……簡単に言うな!』
       ――だな。
       その一言に、そこまでの意味が含まれていたとは思えないが、簡単でないことは確かなようだ。
       ……男だもんな。
       せっかく気持ちが通じ合ったのに、さっそくつまずくなんて複雑な心境だ。自分が克巳に譲れば簡単とは思うが、自分も男だ。
       やっぱ、抱きたいし。
       想像して葵は顔が熱くなる。克巳を組み伏して、気持ちよく感じさせて、喘がせたなら、どんなに色っぽいだろう。
       やっぱオレ、終わってるし。
       たとえ好きな相手でも、快感に悶えて喘ぐ男の姿を想像して色っぽいと思えるのだから、行き着くところまで来た気分だ。
       そんなことを考えて、ハッとした。
       ……違うじゃん。
       克巳が好きな気持ちがようやく自覚できて、伝えて、しかも受け入れられて――。
       オレ、終わってない。……始まったんだ。
       両手に持った空き缶をぎゅっと握り締めて見上げた夜空に、特大の花火が散った。そのまましばらく見ていたが、次に上がる花火はもうなかった。
       今年最後の花火が目に焼きついた。闇に、パッと咲いた大輪の花の残像が鮮やかに残る。何度も打ち上げられる花火。いつまでも続くように見えるけど終わりはあって、だけど終わるまでは、消えても消えても次が咲く。
       ――うん。
       がんばろうと思った。せっかく、ここまで来たのだ。先ほどのキスを思い出して胸が熱く染まる。克巳が情熱的だったことを改めて思い、きっと大丈夫と信じられた。
       克巳の気持ちは自分と同じくらい強い。


      つづく


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