Words & Emotion   Written by 奥杜レイ




    虹色花火
    ‐3‐




    「もし迷惑じゃなかったら、その段ボール、分けてもらえませんか?」
    「ずっと立ちっぱなしで、疲れちゃって」
    「コンビニ行ってきたんですけど、レジャーシート売り切れになってて」
    「え――」
     理解するまで間が開いてしまい、変に慌てて圭太は提げていた段ボール箱を差し出した。
    「えっと、いいです、あげます」
    「え、でも全部は、やっぱ」
    「半分もらっていいですか?」
    「いいですけど……」
     渡したら、バリバリとふたりがかりで半分に裂いた。呆気に取られている間に、残りの半分を返された。
    「ありがとうございます、助かります」
    「ねえ、これ」
    「あ、そうだね」
     ふたりは小突き合うようにして、コンビニの袋から缶をひとつ取り出す。
    「高校生じゃないですよね?」
    「え? ……まあ、大学生ですけど」
    「なら、よかったら飲んでください」
    「買ったばかりで冷えてますから、どうぞ」
     ニコッと明るく笑った顔が花火に照らされ、持たされた缶はチューハイとわかった。
    「――えっ? そんな、いいですよ!」
     焦って言ったときには遅く、ふたりは川岸の斜面に降りていきながら、ひらひらと手を振って寄越す。
     ……缶チューハイなんて。
     でも、いいかと思う。大学に入ってから何度か飲み会に出たことだし、目を凝らして見渡せば、花火をつまみに飲んでいる人はほかにもいる。
     だったら、康平と飲みたかったな。
     そんなこと、思いつきもしなかった。花火を見ながらなんて、初めてふたりで飲むには最高のシチュエーションだ。康平とはサークルの飲み会でしか飲んだことがない。
     持ち帰るにも母親に何か言われそうで、キンと冷たいうちにと缶を開けた。立ったまま口をつけ、グレープフルーツの甘くほろ苦い味わいに喉が鳴る。
    「あーあ」
     つい声が漏れ、ギョッとしてあたりを見回した。さっきのふたりが目に止まり、仲良く肩を寄せ合って座る姿に胸が締めつけられる。
     俺も、今年はあんなふうに康平と花火見たかった――。
     たまらない思いが突き上げ、咄嗟にふたりのところまで斜面を降りた。驚いて振り向いた顔に言った。
    「あの、近くに座ってもいいですか? 俺、ひとりで段ボールに座るの、その、ちょっと恥ずかしいって言うか――」
    「いいですよー」
    「隣に来ます?」
     もしかしたら、ふたりとも既に酔っていたのかもしれない。あっさりした返事を聞き、それでも気持ちばかり隙間をあけて、夏草の上に段ボール箱を敷いた。
     ……何やってんだろ、俺。バカみたい。
     腰を下ろして思うが、ふたりは花火を見上げて楽しそうに話している。少しホッとして、次々と上がる花火に目を向けた。
     そうして、しばらくはそれぞれに花火を眺めるだけだったが、もらった缶チューハイが半分まで減る頃にはすっかり話し込んでいた。
    「えー、それってドタキャンじゃない」
    「かわいそー。だからひとりなんだ?」
     ふたりは名前を訊くでもなく、他愛なく話しかけてくる。
    「なんで、ほかの子誘わなかったの?」
    「モテそうなのに」
     気づけば完全に年下扱いで、それはたぶん間違いじゃなくて、わりと心地よかったからか、カノジョと誤解しているのをいいことに康平とのことを愚痴っていた。
    「そういうのは、ちょっと――そいつと花火見たかったし……」
    「わー、真面目なんだー」
    「て言うか、一途?」
     花火が立て続けに上がった。派手な音が間断なく弾け、夜空が鮮やかに染まる。話などそっちのけで、そろって目が釘付けになった。
    「うーん、きれいー」
    「あれ、あの花火好き」
     そんなことを言い合い、ふたりはいっそう肩を寄せ合って笑う。
     ……やっぱ、康平と見たかったな。
     ふたりに声をかけたことを少し後悔した。ふたりの仲の良さが、かえって胸をふさぐ。
     あとちょっとで花火終わっちゃうじゃん。
     がっかりする思いで、缶チューハイの残りをあおったときだ。ポンと肩に手が置かれ、飛び上がりそうになって振り向いた。
    「こ、康平――」
    「ずいぶん楽しそうじゃん」
     冷やかに見下ろす目と合い、ギクッとする。
    「メールも電話もガン無視なわけだ」
    「え――違っ、ちょ……マジっ?」
     大急ぎで巾着からケータイを取り出した。
     ……わー。
     一瞬で血が引く。
    「来いよ」
     腕を捕られ、強引に立たされた。その勢いで歩き出され、めいっぱい慌てた。
    「え、ちょ、待っ……段箱はっ?」
     両手に巾着とケータイはあるが、段ボール箱は置き去りだ。
     あ、チューハイの缶も――。
    「今のお姉さんたちが片づけてくれるだろ」
     振り向きもせずに康平は答える。
    「はあっ?」
     あまりの言いように声がひっくり返った。普段の康平からは考えられない。
    「ちょ、なに言ってんだよ! 悪いじゃん、つか、片づけてくれなかったら――」
    「なら、俺が明日来て片づけるよっ」
     それも振り向くそぶりもなく言い捨てた。
    「――康平」
     土手の上まで来ても康平は腕を放そうとせず、背を見せてずんずん進んでいく。どこまで行くつもりか、花火から遠ざかるばかりだ。
     自分のペースより速く歩かされ、下駄の鼻緒が食い込んで痛い。着慣れない浴衣の裾がうまくさばけず、足がもつれそうになった。
     ……なんだよ。
     康平が怒っている理由はわかる。だけど、こんな一方的な態度はないと思う。
     ……一緒に、楽しく花火見たかったのに!
    「もうっ、頭来た!」
     圭太は無理にも立ち止まり、腕をつかむ手を振り払った。
    「悪かったな、ケータイに出なくて! けど、こんなしなくたっていいだろ! 花火はどうすんだよ!」
     苛立ちまぎれにケータイを巾着に押し込んで吐き捨てた。だが康平は、フンと鼻で笑う。つまらなそうに顔を向けてきた。
    「もう終わりじゃん。最後のナイアガラは、さっきのとこからも見えないし」
     まさかそう返されるとは思わず、ぽかんと康平を見つめた。
     背後で花火が上がる。康平の顔が薄明るく照らされる。見つめ返してくる瞳が冷たい。
    「……なんで」
     泣きそうな声になって圭太はつぶやいた。
    「なんで、そんなこと言うんだよ! ぜんぜん、らしくねーじゃん! 俺は、康平と花火見たかったのに――」
     睦まじく肩を寄せ合って見たかった。もう、それでよかったのだ、本当に。浴衣姿に何も言ってくれなくても、何も変わらないままでも――。
    「よく言う」
     しかし康平は低く漏らす。
    「楽しそうにしてたじゃん。俺なんか来なくてもよかったんじゃねーの? むしろ、来るなって?」
    「な……っ、んなこと言ってねーだろ!」
     思わず叫んで返すが、康平は聞かない。
    「同じじゃん。こっちは途中で抜けさせてもらって急いで来たってのに、言っといた場所にいないし、へそ曲げて帰ったのかと思って焦って探して、やっと見つけたら知らない女といるんだから。バカらしくなって俺が帰ろうかと思った。俺のことはガン無視でナンパしてたなんてな」
    「はあっ? してねーし! つか、そっちが先に約束破ったんだろ! バイト入れてさ! あのクソガキの代わりだなんて、断れよ!」
     意地になって言い返した。ケータイの着信に気づかなかったことも、そのせいで自分を探させたことも悪かったと思うが、ほかは悪くない。
     だが康平は、いっそう苛立たしげに言う。
    「バイトのことは、ちゃんと説明しただろ」
    「三日前なんて、ドタキャンじゃん」
     さっきのふたりの受け売りで言ってやった。
    「納得したんじゃなかったのか? 来たって無駄だって言ったし」
    「三日前じゃ、おせーんだよ! 浴衣だって買ってもらって――」
     余計なことまで口走ったと気づき、ハッと口をつぐんだ。怪訝そうな目になって康平が見つめてくる。
    「だ、だから――」
     どうしようかと焦った。だけど限界だ。
    「俺が浴衣着てんの見て、なんとも思わないのかよっ」
     とうとう言ってしまい、悔しくて涙が出そうになる。それなのに、康平の口からは信じられない言葉が流れ出た。
    「んなこと言って、奨さんにイタズラされてんじゃな。浴衣なんかで来なくたって――」
    「も、いい! 帰る!」
     たまらず、圭太は駆け出した。
    「ちょ、圭太っ」
     康平の横をすり抜け、土手を一目散に走る。花火の音が聞こえるが、楽しいはずの響きが今は苦しい。
     くそっ、なんで下駄なんだよ!
     浴衣の裾も邪魔で、スピードが出ない。こんなんじゃすぐ追いつかれる――思ったときには手首をつかまれていた。
    「待てよ、おい!」
    「うっせ!」
     振り切ろうとして転びかけ、力強く引かれた。だが圭太は康平の胸を押し返し、握られた手首をほどこうとする。
    「んだよ! 追ってくんじゃねーよ、バカ!」
    「追うだろ、フツー!」
    「も、フツーじゃねーもん! 大学入ってから、ずっと冷てーし!」
    「誰がだよ!」
    「おまえに決まってんだろ!」
     手首を握ったまま、康平の動きが止まった。ハッとした顔で見つめてくる。
    「そんな――思ってたのか」
    「思うだろ! バイトだって黙って始めてさ! 俺なんか、どうでもいいなら――」
    「どうでもよくないからだろ!」
     大声を浴びせられ、ヒクッと首がすくんだ。手首を放し、気まずそうに康平は言う。
    「ずっとムカついてたんだよっ、おまえに」
     驚いて圭太は顔を上げた。
    「なにそれ……ずっと、って。なんで、すぐ言わねーんだよ!」
     噛みつくようになって言えば、康平も声を荒げて返してくる。
    「言いたくなかったんだよ! 言ったって、今さらだし――」
    「けど、まだムカついてんだろ! 言えよ!」
     康平は、ぐっと口をつぐむ。言いにくそうに吐き出した。
    「なんで、第一志望に行かなかったんだよ!」
    「はあっ? ――行ってるし!」
     本気で意味がわからない。入学した大学は、高校二年の進路相談のときから第一志望だ。
    「行ってないだろ! 国立受かったのに行かなかったじゃないか」
     だが、それにはギクッとした。急激に鼓動が乱れ、目が泳いでしまう。
    「あっちが第一志望じゃなかったのかよ? 俺は落ちたけど、おまえ――」
    「が、学部が違うだろっ」
     必死の思いで言い放った。
    「法学部のほうが難しいし、倍率だって――」
    「そんな話じゃねーよ、今だって学部違うし」
    「だ、だから! 俺……」
     言い訳にもならないとわかって、もごもごと並べる。
    「教育学部入ったって、先生なる気なかったし……あそこ、英文科ないから――」
     康平は、呆れたようになって言う。
    「なら、最初から受けんなよ。あんなに勉強して、センター試験まで受けたのに無駄にしてさ。なにげに、ひでーよ、おまえ」
    「しょ、しょうがないだろ! けど……センター試験、ぜんぜん無駄じゃなかったし! 私大受けるとき楽できたの、康平だって同じじゃん! マークシートだったから点取れたし! わかってて言うなよ!」
     しどろもどろながらも、まっとうなことを返したつもりだった。本当のことは言えない。康平と離れたくないから、康平の第一志望を受けた。だが康平は落ちて、第二志望にしていた、自分にはもともと第一志望だった大学に入学するとわかったから合わせた。そんなことを言ったらさらに問い詰められ、本心を言わされてしまう。こんな言い争いで告白になるなんて、嫌だ。
     しかし康平は怒鳴り返してきた。
    「ああ、そうだな! だったら私大だけ受けときゃよかっただろ! 行く気ないのに俺と同じ大学受けて発表まで黙ってて、マジ――」
     圭太はグッと歯を食いしばる。そうしても涙がこぼれそうで、たまらず顔を伏せた。
     こんなにも康平を怒らせたなんて、初めてだ。学部は違うにしても、康平が落ちた大学に受かって蹴ったからか。そのことで康平を傷つけていたのか。康平は気にしない性格と思っていたが、自分がわかってなかったのか。
     マジ、好きで好きでしょうがないのに――。
    「だから! 聞けよ、そうじゃなくてだな! 優先順位がおかしいって言ってんだよ!」
     ハッと圭太は顔を上げる。じわっと潤んで康平が見え、急いでまた伏せた。
    「――ったく」
     ふうっ、と康平は大きな溜め息をつく。
    「だから……自分がマジやりたいことが先だろ。無理して曲げて俺に合わせたって、俺がうれしくねーんだよ。もう、すんな」
     ――え。
     ドキッとした。もしかして、とっくに康平にばれているのか。国立大に受かって奇跡だと親を喜ばせておきながら、卒業できる自信がないとか、教育学部には行きたくないとか、力試しのつもりだったとか、就職には今の大学のほうが有利だとか、もっともらしい理由をあげ連ねてわがままを通した、自分の本当の気持ち――。
    「言っとくけど」
     声を低めて康平は続ける。
    「俺があっち受かってて、おまえも入ってたら、やっぱ同じこと言ったからな」
     花火の上がる音が聞こえた。伏せた顔の陰で、はらりと涙がこぼれ落ちる。康平の言いたいことはよくわかった。でも康平が好きでならないから、同じ大学に行けるならそうしたかったのだ。
    「――そんなに俺は信用ないかよ」
     溜め息交じりに康平は言う。
    「もっと、俺を信じてくれてもいいんじゃないか?」
     すっと圭太は息を飲む。
    「大学が別々になるくらい、俺は平気だった」
     そろそろと顔を上げた。途端に顎を捕らえられ、目が丸くなる。
     パッと、夜空に広がる花火が見えた。だがすぐに黒い影に隠れ、熱い吐息が頬を掠めた。
     唇を、唇でふさがれる。
     これ、って……キス?
     大きく目が見開き、バクンと鼓動が鳴った。息が詰まり、しかしそのときには唇は離れていた。
    「――帰るぞ」
     低く康平がつぶやき、くるりと背を見せて土手を降り始める。
    「ここからじゃ、駅に戻るのも家まで歩くのも、あまり変わらないか」
     ひとりごとのように言った。
     圭太はドキドキしてならない。そんなことはどうでもよく、ふらふらと康平のあとに続くが、今の出来事で頭がいっぱいだ。
     ……キス、って。康平が、俺にキス――。
     頬が熱くなる。錯覚だったのではないかと思いそうになる。今のが、自分には正真正銘のファーストキスだ。
    「夕飯、食ってないだろ? 焼きそばとか、お好み焼きとか買ってくるつもりでいたけど、おまえ、メールしても返事ないし、電話にも出なかったから――」
     ふいと、康平が振り向いた。ビクッと圭太は立ち止まる。どうしようもなく、カーッと顔が熱くなった。
    「……圭太」
     下の道路の街灯で、康平の顔がよく見える。困ったような、照れたような、変な顔をしている。
    「ね……俺にキスした?」
     つい、口に出た。
    「え――」
     サッと康平は顔を背ける。
    「知らねーよ、そう思うならそうなんじゃね? ほら、手! 下駄で、また転ぶなよ」
     ぞんざいに差し出された手を慌てて握った。ゆっくりと引かれ、土手を降りていく。
     ……俺、なに言ってんだろ。
     康平の手が熱い。なおさらドキドキする。
    「――あ、バスがあるか。花火で規制かかってんの、駅から川までって話だし」
     わざわざ説明するみたいに康平が言った。
     康平も、ドキドキしてんのかな――。
     そっと顔を上げた先に、県道が明るく目に映る。土手際から何軒か連なる住宅の向こうだ。さらに顔を上げれば、遠い先に、自宅の最寄り駅の近辺が一段と明るく見えた。
    「帰る前に適当に買い込んで、家で飲み直しだな」
    「――え」
     握っている手に、ぎゅっと力が込められた。ためらいがちに圭太も強く握り返す。
     飲み直しって……康平は飲んでないじゃん。
     普段なら遠慮なく飛び出ていく言葉が喉に引っかかる。県道に向かう康平に連れられて、また視線が下がっていく。
    「あ、バス来た! ――間に合わないか」
     小走りになりかけたが康平は歩みを戻し、圭太は息が喘いでしまう。
    「そこのコンビニの前がバス停か。ちょうどいいや、寄っていこう」
     無駄なほど話しかけてくると思えるのも、康平も緊張していると知らされるみたいで、圭太はますます声が出なくなった。
    「よかったな、今のバス、行き先が違った。えっと、次のバスは――」
     バス停の前に来て、康平はさりげなく手をほどいた。バスの時刻を確かめるとコンビニに入っていく。
    「こ、康平!」
     咄嗟に圭太は呼びかける。
    「俺、ここで待ってる。まかせるから、全部」
     康平が浅くうなずくのを見て、バス停の脇のベンチに腰を下ろした。
    「はー……」
     ドキドキが止まらない。むしろ、さっきよりずっとドキドキしている。
     家で飲み直すって……康平の家だよな。それって――。
     ますます顔が熱くなった。なんだか情けない。肩が落ちて、うな垂れてしまう。
     ……お持ち帰りとか、考えるな、俺!
     でもやっぱり、さっきのあれはキスだ。康平からキスされた。唇が触れ合うだけの。
     ――ヤバ。
     どのくらい待ったのか、実感のないうちに康平が戻ってきて、やがてバスが来た。花火大会の帰りと一目でわかる人たちがたくさん乗っていて、肩や腕が康平と密着する状態がしばらく続き、ずっと下を向いていた。


    つづく


    ◆NEXT ◆BACK ◆作品一覧に戻る

    素材:+ Little Eden +