Words & Emotion   Written by 奥杜レイ



千のしずく

−3−


 結局、富樫さんから電話があったのは翌日の午後だった。昨夜は風呂に入ったら疲れは取れたものの、風呂上がりにビール1缶飲んだらすっかり眠る体勢になってしまい、原稿はあれから進んでいない。
『いい感じです、このまま続けてください』
 想定通りのセリフを聞かされ、脱力する。その程度しか言えないのは、俺の作品をさほど読んでいないか、読んでいてもたいした感想を持っていないからとしか思えなかった。
 俺の原稿をめぐって、弓削くんと盛り上がった日々が思い起こされる。それは必ずしも俺にとって気分いいものに限られていたわけではないけれど、どんなに厳しいことを言われても、そこに弓削くんの真摯な思いが汲み取れたから、何を言われるにも俺も真摯に受け止められたのだった。
『ちょっと硬い印象ですが、今はひとまず書き上げることに専念されてください』
 俺がスランプだったのを知ってるかのような口ぶりで富樫さんは続けた。当然といえば当然、でも、俺はムッとしてしまう。
 事務的にあしらわれれば、個人的な感情が介在しない分、仕事はやりやすいように思えたけど、どこかで弓削くんのような情熱を富樫さんに求めているのだと気づいた。
 やっぱり、俺は弓削くんじゃないとダメなんだ。執筆にはこれほどのめりこめるのに、それを受け止めてくれる相手が醒めているのでは――ま、愚痴を言っても仕方ない。初めての編集部を相手に担当を替えてくれと頼んだところで、誰に替わっても同じに決まっている。
「では、初稿が上がり次第、ご連絡しますから」
 弓削くんには横柄な口をきくのに、自然と丁寧な口ぶりになる自分に、富樫さんとのあいだに壁を作っているのを意識した。
『お願いします』
 富樫さんは、何も感じてないように言う。
『美園先生』
「はい」
『もうひとつご依頼したいことがあるのですけれど――』
「はあ、なんでしょうか?」
 まさか、次の作品のプロットを立てろとでも?
『初掲載になりますので、先生のご紹介ページを予定していまして』
「そんなの、あるんですか?」
 うっかり口にしてから、自作の掲載誌になる『小説ラブポップ』を一読もしてないと白状したと同じと気づいて焦った。弓削くんが置いていってくれたのは文庫だけだったんだ。
『はい。特に先生の場合は、このジャンルの作品自体が初めてになりますので、ぜひ読者のみなさんに親しんでいただこうと』
 単発で1回きり書く作者に読者が親しむも何もないとは思うが――ま、これをきっかけに『月刊お色気小説』で書いた俺の作品も読んでもらえるのなら俺としてもうれしいし。
『原稿をお預かりに伺います際に、質問用紙をお持ちしますので、ぜひご回答いただけたらと思います』
「いいですよ」
 そこで、富樫さんは妙な間を置いた。
『助かります〜』
 急に女子学生みたいな声を出した。今までの声音だと、30代に違いなく思えたのだが。
『どんな質問でもお答えいただけますか?』
「え?」
 なんか、嫌な予感がした。
『先生?』
 富樫さんは猫なで声でうながす。
「え、ええ、まあ、俺に答えられることなら」
『お写真はどうでしょうか?』
「は? 写真ですか? それはちょっと」
『あら〜、残念。なかなかの男前でステキな方だと弓削が申しておりましたから』
 そ、そんなことを社内で話しているのか弓削くん!
 俺の顔を知っている相手といえば、弓削くんと『月刊お色気小説』の編集長くらいだ。新人賞で佳作を受賞したといっても、受賞記念パーティーみたいなものはなかったし、担当が決まったときに、弓削くんを俺に引き合わせた編集長にもそのとき初めて会ったわけで――。
 だいたい、俺はまだ2年目の作家だし、弓削くんが自宅まで原稿を取りに来てくれるようになったのだって今年に入ってからだ。それに去年まではサラリーマンと作家の2足のわらじだったから、こっちの仕事関係者と個人的に付き合う機会なんてなかった。
 そう言えば、弓削くんと飲んだのだって数えるほどしか――。
『いえね、先生』
 妙に甘ったるい声で富樫さんは続ける。
『このジャンル、男性の方が書かれているっていうだけで、かなりの評判になると思われるんですよ。しかもそれがステキな方となれば――』
「な、何を言ってるんですか!」
 やっぱり、嫌な予感的中だ。作家のはしくれとは言え、俺にだって俺なりの自負がある。
 芸のない芸能人じゃないんだぞ、芸を売らずに自分を売って、どうするってんだ! 俺を知りたかったら、俺の作品を読めばいい。
 なんか、腹が立ってきた。よこされる質問の内容がわかってきたぞ。まず間違いなく、何問目かには、きっと――。
『失礼しました。では、著者近影はなしとしますので、質問のご回答のほうはよろしくお願いします』
「ちょ、ちょっと富樫さん」
『あ、それと大変遅くなりご迷惑おかけしましたが、こちらのファックスと電話の番号を申し上げますので、お書きとめ願えますか?』
「え、あ、はい、どうぞ」
 メモ用紙を引き寄せ、ペンを取って、俺はうまいこと丸め込まれている自分に気づいた。
 ダメじゃないか、どうして俺は、こうも簡単に誰にでも丸め込まれてしまうんだ!
 受話器から聞こえてくる番号を必死に書きとめている自分が情けなく思えた。
 同じ丸め込まれるにしたって、弓削くんのほうがずっとましだ。少なくとも、弓削くんはこんなふうには俺を丸め込んだりしない。
 もっと親身で、もっと思いやりがあって、どうのこうの言うのは俺の作品に関してだけで、俺自身を批判したり、俺自身を探ろうとしたり、そんな態度を見せたことはなかった。
 けど、社内じゃ俺の顔がどうのこうの言ったりしているのか――。
「はあああああ」
 受話器を握っているのに、長いため息が出てしまった。
『では、原稿の完成、お待ちしております。今のご様子ですと、週明けにでも拝読させていただけると思っていてよろしいでしょうか?』
「え!」
 俺の長いため息が聞こえなかったはずはないのに、それには一言も触れずに富樫さんは事務的に話を進めた。
 週明けと言ったら――今日が火曜日だから、ちょうど1週間後になるじゃないか。
 スランプに入る前だったら、100枚1週間なんて楽勝だった。でも、ここ数ヶ月のことを思うと――いやいや、ペースは取り戻しつつあるんだ、大丈夫、きっと――。
「はい、では、〆切は1週間後ということで」
『お願いします。最終の〆切は今月20日になりますから。掲載誌の発売日は27日ですので』
「――わかりました」
 電話を切って、カレンダーを睨んだ。最終〆切まで2週間ちょっと。最終〆切を言ってきたことを思えば、場合によっては改稿もあると言い含められたことになる。
 ちくしょう。
 今の電話の内容といい、富樫さんの応対といい、俺としては珍しく、かなりムカついた。
 初対面苦手な俺が、よく知りもしない相手にこんな感情を抱くのは本当に珍しいんだ。たいがい、簡単に折れて、相手に合わせてしまうのがオチで――認めたくないが、丸め込まれてしまうのは俺の性格のせいでもある。
 こうなったら、何が何でも初稿で通してやる。どこにもケチのつけようのない原稿を上げて、富樫さんの鼻をあかして、それでサヨナラだ。富樫さんとは二度と書くもんか!
 急にやる気が沸き上がった。朝から立ち上げてもいなかったパソコンに向かう。原稿を開き、執筆に没頭した――。

つづく




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